第5話点甜はこれ、フルコース完成ですっ!

 その夜、リンリンはなかなか眠れなかった。

 明日作る点甜は、自身にとってもワクワクするようなものだからだ。

 それは祖父のノートにも残されておらず、趣味でやっていたお菓子作りで培ったノウハウで仕上がるしかない。自分自身の力ですべてを成し遂げる!

 そんな状況が、リンリンの料理人魂、いやパティシエ魂にめらめらと火をつけていたのだ。


 夕刻、やはり竈の火は既に囂々と燃えている。

 ショウは椅子でこっくりこっくり居眠り。

 毎夜の試作付き合いで、疲れがたまっているのかもしれない。

 直接あれやこれや聞いたわけではないが、現在日中の仕事を免除されているリンリンと違って行儀作法の勉強や女官の仕事で忙しくしているに違いない。

 そんなショウを起こさないようにそろりそろりと足音を消して歩きつつ、リンリンは今日の献立の準備を始めた。

 先ずは貯蔵庫の棚の奥から、昨夜ショウを見送った後練った饅頭生地を取り出す。

 これが点甜になるわけではない。

 フルコースにするには足りないものがあった。

 湯(スープ)は前菜とセットで良いが、楊玲に言い付かっていなかったとはいえ肝心な主食をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 そのことに気付いたリンリンは、申し訳ないと思いつつぐっすりと眠っている小怡をゆすって起こしとあるものを調達してもらっていた。

 それは御前房の棚の奥に隠されているはずだ。

 そっと手を伸ばして引きずり出したズタ袋、その中には昼餉の残りの生麵が入っている。

 サッとゆでたその麵を卵油を入れた中華鍋で硬めに炒めて塩コショウを振りかける。

 それから饅頭の生地に麺を包み、ふかし始める。

 焼きそばパンに着想を得たそば饅頭だ。

 それから大鍋にスモモを放り込み、その上に浴びるように大量の砂糖を振りかける。

 砂糖といってもリンリンが知る白くさらさらとしたいわゆる普通の白砂糖とは違い、土色で砂利のようにざらざらとしたザラメや黒糖に近い。


「そのように大量の砂糖を振りかけるのを見るのは、初めてだな」


 いつの間にか目を覚ましていたショウが、思わず驚きの声を上げるのも無理はない。

 砂糖はこの国では、大変貴重で高価なものだ。

 庶民では口にすることもままならず、リンリンのいたあの茶屋でも甘い味付けをする時は、はとむぎや麦芽から作られた水飴を使っていた。

 けれど、この後宮では砂糖がふんだんにある。

 そんなこの場所では、ジャムだって作れてしまうのだ。

 久しぶりのジャム作りにリンリンの気分は高揚していた。

 しかし、いかにふんだんにあるとはいえ宮廷医も消化薬として重宝している砂糖をこのようにドサドサと使ってしまうというのは、実に異例なことだ。

 天子や皇太后が薬用として茶に入れて嗜むために切らさぬように大量に備蓄されているのであって、いくら点甜とはいえ料理に気軽にたっぷりと使うためにこの場所にあるわけではないことをリンリンが知る由はなかった。

 もし、ジャムの作り方を平や他の料理人が知ったとしてもここまでの大量の砂糖を使うと分かれば、試しに作ってみようなどとは到底思えないことであろう。

 後宮に来てから自室と御前房の行き来のみで他の世界を知らず、宮廷医の存在すらわかっていないリンリンだからこそ為せる業ではある。


 ショウの驚きの意味をきちんと理解せず、リンリンは尚もジャム作りに精を出す。

 焦がさないようにゆっくりかき混ぜながらことことことこと、果実と溶けだす砂糖が絡み合う甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。それを楽しみながらスモモの形がほろほろと崩れジャムが出来上がるのを見守りつつリンリンはくるりとショウに向かって振り返り笑顔を向けた。


「今ねージャ、じゃなくてスモモの砂糖蜜を作ってるんだよー! これは絶対美味しいって断然できるから、安心して待っててよ」

「ほう、その砂糖蜜が点甜なのか」

「ううんーこれは点甜の仕上げに使うのーふふっ」


 思わず零れ出す笑み、これから作る点甜はリンリンの大好物であり、小学校高学年の時に祖父の誕生日祝いに初めて作った時は「うまいなぁ、りんは天才だ!」と褒められたくらいの一品なのだ。


「さてと、完成だー」


 ジャムが出来上がるのと同時に、そば饅頭もふかし終わった。

「これ先に食べてまっててね。本番ではエビの卵油和えと一緒に出すんだ」


 リンリンはその饅頭をショウの前に置き、点甜の本丸づくりに取り掛かる。

 ふーふー息をかけて冷まし冷まし、ハフハフと饅頭を頬張りながらショウは味の感想も口にせず興味津々にリンリンの背中を見つめる。

 果たしてどんな点甜が出来上がるのか。

 ショウは、ここ数日で一番の胸の高鳴りを感じていた。


(ふむ、杏仁の匂いがするな……さては杏仁豆腐を作る気なのか? いや、それならあのように勿体ぶった物言いはせぬだろうし、砂糖蜜も使わんな)


 饅頭の残りを食べるのも忘れ、腕を組みうーんと考え込むショウ。

 リンリンはそんなショウの様子にも気づかず、サクサクと準備を進めて行く。

 水で戻しておいた寒天を鍋に入れ、その上にヤギの乳を注ぎ込む。

 水、そして砂糖、杏仁をすり潰した粉を入れて沸騰しないように気を付けながら混ぜてゆく。これを蒸せば杏仁プリンの出来上がりだ。


 蒸しあがったプリンの上には、さっきのスモモジャムをトッピングする。

 本来ならホイップクリームも添えたいところだが、これはマヨネーズのように振って作るわけにもいかない。

 それでもこの場所に来て、プリンを食べるのは初めてのことだ。

 リンリンの胸はジャムの時より更にときめき、とくとくどくんと早鐘のように鳴っていた。


「さぁ出来た! 杏仁卵蒸しのスモモ砂糖蜜添えだよー」


 自分で言いながらリンリンは首を傾げた。

 プリンは通じないから茶わん蒸しから連想してこの名前を付けてはみたが、イマイチぴんと来ない。


「うーん、何か名前がイマイチだから、ショウがこの点甜の名前つけてくれないかな」


 急に命名を頼まれたショウは、あんぐりと口を開けた。


「我が点甜の命名を!」


 そう一声漏らし、うーんと腕組をして考え込むショウ。

 眉間にしわが寄ってはいるが、口元は緩みどことなく楽しげにも見える。


「あっ、まだ食べてないじゃない。先ずは食べてみて」

「ははは、大役に驚きすっかり忘れてしまっていた」


 リンリンにそう急かされると、照れたように眉を緩め匙に手を伸ばす。

 どうやらあんなに楽しみに待っていた点甜を口にするのを本当に忘れていたようだ。

 そして、一口口にするとその口元は花のようにほころび、歓喜に沸いた声があふれ出した。


「月花白美、この味にふさわしい名は他になかろう」


 実にロマンティックな名を告げた後、ショウは残りの杏仁プリンをぺろりと平らげてしまった。


「わー、随分優美な名前ねー。何か由来でもあるの?」


 唇に残った白い後味をぺろりと嘗めとると、ご満悦の表情でふわりと笑みを浮かべたショウは滔々とその意味について語る。


「うむ、スモモの木はわが国では月下の木と言われているのはそなたもよく知っておろう。その花の美しさとこの点甜の様子が実に似ておるのでな」


 そんなことはさっぱり知らず、しかし状況的に知りませんということもできないリンリンはいかにも理解したようなしかしどことなく困惑した表情でうんうん頷き、自らも月下白美に手を伸ばした。


(あーやっぱ杏仁プリンってめちゃうま! 砂利の砂糖ジャムもちょっと心配だったけど、いつもよりコクがある感じで結構いいなー。)


 にこにこと頬張るリンリンの様子を、ショウは幼子を見るような優しい表情でじっと見つめている。


「いつもは我ばかりで、こうしてそなたの食す姿を見るのは初めてだな。ふくふくと実に喜ばしい顔で食すのでこちらも気分が良い」

「えー、そんなに顔に出てたー恥ずかしい」

「ははは、ところで砂糖というものはあのように料理に使うものであったのだな。ち」

「ち?」

「いや、言い違えた。天子様や皇后さまが消化の助けとして宮廷医に少量ずつもろうて茶に入れておるので、我は薬として使うものだと思うておったわ」


 リンリンの赤らめていた頬は一気に血の気が引き、首筋にぞくりとする冷たい夜風が吹き抜けてゆくのを感じた。


「あのーえっとー、砂糖ってここではもしかしてお薬なの?」

「ふむ、もしかしなくても希少な薬と宮廷医は言っておるな。調味料として使うということも知ってはおるが少量であろうしの、したがってあのようにするのは薬膳のような点甜を作るつもりなのかと思うて眺めておったが、まさかそなたそのことを知らなかったのか」

「ははは、そいつは、全然知らなかったなぁ……」

 ため息とともに乾いた笑いを吐きだしたリンリンは、ことりと匙を置いた。


(あぁ、やっちまったー。ジャムを作るのはこれが最初で最後かもしれないな……)



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