第4話さぁ前菜と点甜はどうしよう!
火の問題はショウの登場で解決したが、問題は前菜と点甜を何にするかだ。
リンリンは日中の間料理ノートを穴が開くほど見つめ続けたが、菅沼飯店は下町の大衆的な中華屋でありフルコースを出すような高級中華料理店とは違う。
お客が頼むのはレバニラや天津飯、炒飯に五目焼きそばのような一品料理がほとんどで、二品頼むときもラーメン餃子といったところで、定食にしてもスープがつくくらい。
お子様定食やラーメンセットにはミニ炒飯に動物柄の旗を挿したりデザートの杏仁豆腐をつけていたが、フルコースとはまるで違う。
リンリン自身もテーブルがぐるぐる回るような店には一度も行ったことが無く、何にしたらいいのかさっぱり分からなかった。
(うーん、好きなものにしようとエビマヨを選んでいいとこの子っぽいショウにも気に入ってもらえたし、やっぱり自分が美味しいと思えるものがいいよね。)
リンリンはパタッとノートを閉じ、何かを決意したようにうんうんと頷いてから、気合を入れるように両手でピシャっと自分の頬を叩いた。
そして、日暮れ時、小怡に持って来てもらった夕食の饅頭を食べリンリンはショウとの待ち合わせ場所である御前房の入口へと向かった。
ショウが手を回してくれたのか、廊下のところどころにほんわりと小さな明かりが灯っており昨日のようにいちいち壁に手を付かなくてもきちんと歩くことが出来る。
そして、待ち合わせ場所に着いたとき既にショウは竈に火を入れてくれていた。
「わぁ、ありがとうショウ。これですぐに料理を始められるわ」
リンリンが両手を合わせて拱手をすると、ショウは少し照れたようにふふっと笑った。
「早く他の料理を食してみたいからな。我はリンリンの料理の一番先のお客なのだから」
「ふふふ、ありがとう! いいお客さんがいてくれてよかったわ。ショウって美味しそうに食べてくれるから、すごく作り甲斐があるの」
「そうか、それは良いことであるな。さて、今日は何を作るのだ?」
「ふふふー、出来てからのお楽しみよ!」
「何だ! 教えてくれれば良いではないか」
ショウはぷーっと頬を膨らませた。どこか大人びていて高貴で近寄りがたいとさえ思えるような美貌が、子供らしい愛嬌のある拗ねた表情に変わる。
それがどうにも可愛らしくて、リンリンは顔を伏せてこっそりふふふと笑った。
「何を笑っておるのだ。我の顔がそんなに面妖か」
「そうじゃないってーかーわいいなって」
「ふんっ」
一層拗ねて外方を向いてしまったショウの様子をずっと見ていたいような気もするが、先ずは料理を済ませてしまわなくては。
リンリンは食料貯蔵庫を開け、めぼしい材料を揃え始めた。
「わー、昨日も思ったけどすごい品揃えよねー」
御前房の食料貯蔵庫は北方で切り出され氷柱に囲まれ、初夏の今自分でもまるで冷蔵庫のように野菜や果物魚介に肉などが保存されている。
干し魚や干し肉もふんだんにあるが、生肉がそう長期間は無理とはいえある程度の日数こうして保存できるのはありがたいものだ。
今日の料理には必要ないが、この大陸の一部の地域でしか育たない羅漢果という珍しい果実までもがある。
ショウに聞いたところによると砂糖の何百倍もの甘さがあるそうで、後宮でもお祝い事の時にしか使わない高級な果実だそうだ。
一口齧ってみたい気もするが、それでお縄になってしまってはかなわない。
リンリンは赤い布で包まれたその餡ドーナッツのような茶色い丸い果実をそっと壺に戻し、食材選びを再開した。
(前菜っぽいもので爺ちゃんのノートにあって私の好きなもの、それはトマトの卵炒め、それに春雨サラダにワンタンスープだ。でもトマトはここにない、一度も見たことが無いからこの時代のこの場所には存在していないってことなんだろう)
春雨はある。名前は違って粉絲(ふんし)というが。
卵もある。後宮の裏庭で放し飼いにされた鶏の生んだ生きのいい卵が。
ワンタンは……作ればいい。
リンリンは一つ一つの材料を手に取りながら、その使い道を考えてゆく。
何のことはない、ショウに聞かれたときに答えなかったのは、まだ何を作るか決まっていなかったからなのだ。
「よし! これで決定!」
そして今、全ての材料を手に取ったリンリンの中で前菜料理が組み立てられた。
炊事場では待ちくたびれた様子のショウが、調理台に肩肘を付き手持ち無沙汰だ。
「あっショウ待たせてごめんね! 実はこれからもっと待たせそうなの。昨日より時間がかかるものつくるから」
リンリンがペコっと頭を下げると、ショウは面倒くさそうに数度首を振りいつの間にか御前房の壁際に設置されていた小さな赤い椅子にゆったりと腰掛けた。
その様子は実に堂々たるもので、小さな椅子がまるで天子の座る玉座のように見えてきてリンリンは目をぱちくりとさせた。
「これリンリン、何をぼんやりしておるのだ。我はそなたの調理の様子を見るのは良いが、そうやって棒のようにただ突っ立っておるのをただ眺めているほど暇ではないぞ」
「あっ、ごめんごめん」
リンリンは慌てて調理台に戻り、丸い木の桶に小麦粉と塩を入れた。
そして、水を入れながら捏ねまとめた生地の上に濡らした布巾を被せ、次の作業に移る。
小さな椀に胡麻油と酢を入れ、そこにざく切りにした胡瓜を浸す。
それから先ほどの生地を麺棒で薄く伸ばし一つ一つ小さくしようと思ったところで、はたと後ろを振り向きうとうととしているショウに向かって声をかけた。
「ねぇショウ! これ小さくまとめてくれない? 卵油の時みたいに手伝ってよ」
「はっ、この我にまた手伝えと言うのか! ほんにそなたは面白きものだなぁ」
ショウは眉をキッと上げつつもまんざらでもない様子で腰を上げ、生地を丸め始めた。
一つ、一つ丸めてゆくうちに楽しくなったのか、鼻歌交じりに幼い子供が粘土遊びをするように大きさを揃えようと比べながら丸い玉をおもちゃの兵隊が整列するかのようにきれいに一列に並べている。
その間リンリンは中華鍋を火にかけ、鶏がらを使ってスープを作っていた。
そして、ショウが生地を丸め終わるのと同時に片栗粉でとろみをつけたスープの入った鍋を火からおろし、食料貯蔵庫に持っていき氷柱の間に挟み置くと小さな瓶を手にまた戻ってショウの横に立った。
「今度はこの酢漬けのニンニクを挟んで巾着状にするんだよ。こうしてちょっとだけ隙間を開けつつきゅっと口をねじってさ、それから縁の部分をこうやってこうやって花びらみたいにするの」
リンリンが器用な手つきでワンタンの花を作っていく。
ショウも見よう見まねで手伝うが、花びらが上手く作れない。
「うむ、難しいものだな」
「あー、初めてだとそうだよね。じゃあそこはやめておこうか」
「いや、出来る!」
ムキになってワンタンと格闘するショウの愛らしさにまたぷっと吹き出しそうになった笑いを飲み込んで、リンリンは今度は卵と対峙し始めた。
椀に割り入れた卵にヤギの乳を少々加え、菜箸でぐるぐると搔きまわして中華鍋の中にじゅーっと注ぎ込み、またわしゃわしゃと掻き混ぜる。
オムレツ風の玉子炒めだ。
それを青菜を敷いた皿に盛り、刻んだ唐辛子を散らせて貯蔵庫で冷やしておいた冷製湯(スープ)を注ぎ込む。
ちょっとした野原のようだ。しかし、まだ花が足りない。
悪戦苦闘の痕がありありとわかるショウ作のワンタン花を熱い湯に数分間くぐらせ、余計な水気を切った後、ざく切り胡瓜を少しだけ開いた口の部分に差し込んで先ほどの湯(スープ)の上に浮かべてやっとリンリン+お手伝いショウの特製前菜が出来上がった。
「ふーやっと出来た! あつー」
夢中で気づいていなかった額の汗を手の甲で拭おうとすると、ショウが懐から薄手のふわりとした手拭いを出し代わりに拭ってくれた。
つるりとしたやわらかな肌触り、おそらくこれは絹だろう。
「そなたは汗をぬぐう手拭いも持っておらんのか。ほれこれはやろう」
あきれたような顔で差し出された手拭いを見つめながら、リンリンはブンブン首を振った。
「いやいやいや! これ絹でしょ。こんな高価なものもらえないし」
「そんなことはない。これは叔父上の土地の生産品だからな幾枚も持っておるわ」
差し出した手を決して引っ込めようとしないショウに根負けし、リンリンはおずおずと手拭いを受け取り自分の懐にしまった。
火を用意してもらい、料理の手伝いに手拭いまで……これはよほど料理が口に合わないと、つり合いがとれないではないか。
しかし今回の料理は、リンリンですら一度も口にしたことのない完全なオリジナルだ。
自分で先に味見しようかとも思ったが、ショウの手は既に皿に手を出そうとうずうずと伸びかけている。
(ええい! どうにでもなれ)
「召し上がれ」
「うむ、馳走になる」
リンリンの言葉と共に皿を受け取り匙でまずは湯(スープ)をすすり、次にワンタンを口に運んだショウの顔は……昨日とは違い何だか考え込むような顔だ。
(うっわー私しくじった!?)
顔から血の気が引くような思いのリンリン、先ほどまで額から滴っていた汗はすっかり引いている。
しかし、ショウは無言で表情を変えぬままではあるが匙を置くことはなく手は動き続け、中皿の中は瞬く間に空になっていった。
「リンリン、初めて食す味で戸惑いはしたがこれもまた美味だな。冷たさとぬくもりやわらかな卵とワンタンにシャキッとした胡瓜、酢と胡麻油、とろみの塩梅も良いぞ」
食べ終えた後のその笑顔、好意的な感想にリンリンはほっと胸をなでおろす。
前菜に主菜、残すは点甜のみだ。
これはもう何を作るか既に決めている。
「ねぇショウ! 明日はきっと美味しいって思える点甜をつくるからね!」
「楽しみにしておるぞ」
「任せとけ!」
リンリンはポーンと勢いよく手拭いを忍ばせた胸を叩き、今日初めて頬を緩ませ顔いっぱいで笑った。
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