第28話劉翔厨房に立つ

 夜更けの御膳房、抑え目の宮灯の明かりの前で調理台の前に立つ男三人、劉翔、陳流々、そして楊怜だ。


 中庭でリンリンのための誕生祝の料理を作ると思い立った劉翔であるが、はたと思い当たったことがあった。


「はて、ところで料理というものはいかようにするのであるか、そして我は何を作ればよいというのだ?」


 そこで劉翔がはじめに頼ったのは、陳流々だった。

「えーっ!あたし食べるのは大の得意だけど、料理に関しては門外漢なのよー。茶部長の管轄は食事についてじゃないのよねぇ、あっ、あたしがその専門家を連れて来るわ!」

 こうして跳ねるように劉翔の部屋を出て行った陳流々が耳を引っ張って連れて来たのが、渋い顔をした楊怜だった。


「劉翔太子様、私に御用ということで、おい、陳流々いい加減耳を離せ!あっ、申し訳ございません太子様、お見苦しいところをお見せしまして」


 どうやら、楊怜は陳流々から何も聞かされずに有無も言わさず連れて来られたようだった。

 いつも冷静沈着な楊怜のしょうしょうあたふたした様子にこぼれそうになった笑いを押し殺しながら、劉翔は用件を切り出す。


「うむ、七日後の弥生の八日はリンリンの誕生日なのだ。我はその祝いに料理を振舞おうと考えておる」

「はぁ、その手配を私にと…」

「いや、我手ずから料理をしようと思うておるのだ」

「ま、まさか!太子様手ずからお料理など!お怪我でもなされたらどうなさるおつもりなのです!」


 楊怜は目を丸くして驚き、その後目がぎりりと釣り上がった。


「そのような心配は無用だ。それよりも我は今まで料理というものをまるでしたことがない」

 正確にはリンリンの手伝いで卵湯の瓶を振ったことがあるにはあるが、あの調理場での出来事の全てを話してしまうのは、二人だけの秘め事のときめきを共有するような気がして何となく嫌だったのだ。


「それはそうでございましょうとも…」

「だからな、何を作うたらよいか、それをどうやって料理すればよいのか、お前に手助けして欲しいのだ」

「えっ、私めに!」


 鳩が豆鉄砲を喰らったようなあんぐり顔の楊怜の腰を、陳流々が肘でつつきひそひそと耳打ちする。

「あんた膳部長でしょ、リンリンの上官じゃないの、あたしと違って料理のひとつやふたつできるでしょ」

 にやついた顔の陳流々を横目で睨みつけ、腰の肘を自らの肘で押し返しながら、楊怜は深々と劉翔にお辞儀する。


「太子様、私は膳部長ではありますが、実際に御膳房で調理をすることはありません。りょりと言えるほどのものではありませんが、子供のころ母の手伝いで餡餅(シャービン)なるものは作ったことはありますが、その程度でございます」

「ほう、この三人の中で唯一の料理経験者ではないか!その餡餅なるものはどのような料理なのだ」

「いや、本当に料理と呼べるほどではなく…野菜などの餡を餅のような生地で包み平たく伸ばしてただ焼くだけでございます。本来は肉も包むようではありますが、我が家では主に山菜や茸でした」

 極貧であった楊怜の生家、裏山で採った茸入りですら御馳走であったが、そんな事情を太子である劉翔にに打ち明けている場合ではない。


「なるほど!ただ餡を包んで平らにして焼くだけか!それならば我にでも簡単に出来そうだな!よし、早速今夜から試し焼きをしてみよう、楊怜、しっかり教えてくれよ」

「へっ…」


 こうして、男三人はひっそりと夜更けの御膳房へと集まった。


 大きな木の椀に小麦の粉を入れ、水を少しずつ加えながら菜箸でこねて、こねて、こねていく。その最中に、楊怜がハッとして、陳流々をこずく。

「おい、陳流々、そろそろ見回りの刻だぞ」


 夜更けの後宮、リンリンは新しい料理を試すときも今は夜更けではなく昼の中休みや、夕餉の支度を終えた後に行っており、夜更けに御膳房に来ることはなくなった。

 この時間は自室でぐっすりと眠っているはずだ。

 しかし、不浄に行ったときに御膳房から漏れる明かりに気づいてふらりと現れてしまうかもしれない。それ以外でも、他の使用人たちに見つかってしまうわけにはいかない。

 何しろ、皇太子が御膳房で料理の練習を試みているなど前代未聞の珍事なのだから。


「我ももう女装には無理があるでな」

 男らしくたくましい体躯へとなってきた劉翔が以前のように女官に扮することも出来ず、ならば下級宦官に見張りをさせるとも考えたが、何しろ彼らの口は羽のように軽い。

 そのため、陳流々と楊怜が交代で廊下を見張ることとなった。

 しかし、楊怜には劉翔に餡餅の作り方を教えるという大きな役目があるため、主に見張りは陳流々が行うということになったが。


「ちょっとー、またあたしなの。今度は、楊怜、あんたが行きなさいよー」

 顔をしかめて抗議する珍流々に「何を言う、これからが肝心なのだぞ、楊怜はここにいてもらう」「そうですよ、陳流々、あなたがここにいても何の役にも立たないでしょう、どうせつまみ食いをするためだけについてきただけなんだから」劉翔と楊怜、二人に矢継ぎ早に役立たず扱いされ、「はいはーい、わかったわよ、せいぜい、頑張ってやんなさいよーあたしの労力に見合うくらい美味しいの作ってよねー」と、渋々数度目の見張りに向かう。


「さて、生地はこれでよいかと思われます。本来ならここで餡作りもするのですが、まずは生地のみで練習をしようと思います」

「うむ、それが良いな、ところで楊怜よ、餡は卵油と貯蔵室の茸を和えたものと決めたが、我は甘いものもつくりたいのだ」

「ほう、甘い餡餅でございますか」

「本当ならリンリンが作ってくれた花畑餅のようなものがよいのだがな、作り方がわからぬ、けれどリンリンは甘いものが好きだからな、母上に相談したら以前リンリンに分けてもろうた栗の甘露煮の残りをくださった。これを生地に混ぜようと思うのだ」

「それは良い案でございますね。ならば、生地焼きをまずは成功させましょう」

「ふむ」


 後は焼くだけ、二人ともそう思っていた。

 焼くだけで失敗など、あり得るはずもないだろうと。しかし…


「あちちちち…油がはぜたぞ」

「太子様危ない、どうぞ私の後ろに。ああっ、生地が黒焦げに」

「何故このようなことになるのだ。楊怜、おぬしは餡餅の玄人ではなかったのか!」

「作っていたのはまだ子供のころで、それに私の家にはこんな立派な調理台は」

「あららー、言い訳は見苦しいわよ、楊怜、まぁ焦げ焦げ真っ黒ね、とてもこんなもの味見したくないわー楊怜ったら、大口を叩いたわりにあたしと五十歩百歩じゃない」


 慌てふためく二人の後ろから、いつの間にか戻ってきていた陳流々が鉄の箸でツンツンと黒こげの生地だった何かをツンツンつつきながら、楊怜をからかう。


「何を!私は大口など、そこまで言うならあなたがやりなさい、陳流々!」

「あはは、ごめんだわーあたしは見張り役だもの、あーでもこれじゃあとてもリンリンに食べさせられないわね」


 喧々諤々の楊怜と陳流々の横で、劉翔ははぁーっと吐息を漏らす。

「料理とはかように困難なものだったのだな、こねて包んで焼くだけ、簡単に出来ると思うておった。リンリンはかろやかに新しい料理を生み出して作り上げておったというのに」

「あら、あらあの子だってあなたの誕生日のときは苦しんでいたのよ あたしや小怡の力も借りてあっ…」

 劉翔が後宮から外に出したリンリンの親友小怡、うっかりその名を出してしまった陳流々は青ざめる。

「よいよい、過ぎたことだ」

 その言葉にほっとしたのか、陳流々の舌は軽やかに回り続ける。

「そう、あのおちびさんはね、ちんちくりんの白鳥なのよ。もがく姿をあなたには見せず、水の中で足をバタバタさせていた。まぁ見た目はアヒルにしか見えないけどね」

「ははは、白鳥にアヒルとこの場にいなくともリンリンは忙しいな、今頃くしゃみをしておろう」

「笑い事じゃないのよ。これはあなた様の恋路にかかっていることなのよ。鉄は熱いうちに打てと言うでしょう、多少なりともあの子があなたを意識している今グイグイ迫っていかないと、あのひよこ頭はすっかり忘れちゃうわよ」


 今度はひよこ、しかしもう劉翔の顔に笑みはなくすっかり真顔になっている。


「そうだ、何としても成功させねば、そら、また焼こう!あぁっまた焦げた!」

「太子様、今度は私が、今度は上手く…いや、生焼けだ…」

「あららーいつになったら味見できるのかしら」


 男三人、御膳房の夜はまだまだ終わりそうにない。


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