第27話リンリンの生まれた日

 早春と声高に言うにはまだ朝の風はシーンと冷たく、ただ穏やかな春の足音がもうすぐにでも聞こえてきそうな冬麗のおだやかに太陽が微笑みかけるとある如月の末のこと。


 週に一度の休みを、リンリンは劉翔と共に後宮の中庭で過ごしていた。

 御膳房にやって来てからおよそ十月(とつき)、突発的な事件後の休養以外、リンリンは休みと呼べるような休みを取ったことが無かった。

 実家の町中華でも祖父は年中無休で店を営業していたため、「毎日の食に休みはないから」とリンリンも思っていたのだが、「それでは、共に過ごす余暇がないではないか!いや、それはそれとしても、毎日しゃかりきに働いていてはリンリンの身体が心配だ。」という劉翔の強い意向と、「わたくしはリンリンの想像力にあふれた料理がとても楽しみなの。御膳房に閉じこもっているだけより、自由な時間があった方が創造の翼が羽ばたくと思うわ」という彗瑠皇后の助言もあり、劉翔の公務が休みである日曜は副料理長に昇進した胡春に御膳房の監督を任せることになった。


「せめて御品目だけでも考えさせてよー!」

 リンリンはそう渋ったが、「いえ、あたしだってここに来て長いんですよ!御品目を考えるのだって難しいかもしれませんが、副料理長として挑戦してみたいんですよ」という胡春の強い願いにより、彼女に全てを委ねることを了承した。

 かといって、街に出かけて行ってあちこちの市場を見回ることも後宮に仕える身としては、そうそう出来はしない。そもそも日曜は市場も休業しているのだ。

 そうなると、結局リンリンが自由に過ごせるのは、自室か、この中庭ぐらいしかない。

 その二択であれば、当然自然豊かなのびのびできる中庭を選ぶ。

 結果、劉翔の目論見通りだ。


(我が男だと知ってから、そして祝宴の日からだいぶ時がたつが、リンリンは未だに我の真の気持ちに気づいておらぬ、本人と御膳房の部下以外の後宮の皆はほとんどが気づいておるというのに…気持ちに気づいておりながらはぐらかして我を掌で転がすような妓女のような技はこの素直すぎる娘には出来ようもない、全く、料理に関しては人並外れて目端が利くというのに、こと男女の仲についてのこの鈍感さは何なのだ。まぁ、そこが愛らしくもあるのだがな)


「ねぇ、どうしたのショウ?さっきから、ひとりで百面相しちゃってさ」

 あれやこれや考えて、ひとりでに顔が渋くなっていたり、にやけていた劉翔はリンリンにふいに顔を覗かれて、びくっと仰け反った。

「い、いや…何も、何もない…」

「ふーん、あっ、今翔がつんのめったあたりに姫女苑と苺のつる、茎みたいなのが伸びてるね。うわー、この中庭ってリンゴだけじゃなくって、苺も生えてるんだ!私ね、苺って果物の中で一番好きなんだー爺ちゃんにも誕生日のわんわんケーキには苺たっぷり挟んでもらってねってお願いしてたの。わー、あっ、もうちっちゃな実が生ってるね。先もちょっと赤い、ハウス、えっと、後宮の中の中庭で外よりずっとあったかいから早いんだねぇ…もっとぷっくり大きくなって赤くなったら食べごろだよー、うわーよだれが出そう…」


 リンリンは苺が好き…勝手に自生しているそのつるが苺というものだと初めて知った劉翔であったが、大好きなリンリンの大好きな食べ物、好物が知れて嬉しいのと同時に、とある疑問がもくもくと頭に浮かび、思考の全てを支配した。


(そういえば我はリンリンが我より一つ年かさなことはかねてから知ってはおるが、誕生日がいつなのか知らぬぞ…我の方は二度も誕生日の祝宴の料理を作ってもらっておるというのに…何ということだ!愛する娘の生まれた日も知らんでのうのうと共に過ごしておったというのか!我、一生の不覚なり!)


「そ、そうか、ところでリンリン、そなたのた、誕生日はいつであったかのう…」

 知らなかった、そんな言葉を己の口から発したくはなかった。

 けれど、このまま誕生日を知らないままでいるわけにはいかない。

 咄嗟に編み出した劉翔の苦肉の策、何気なく、それとなく、いや、別に知らなかったわけでもないんだけど、確認のためね、作戦は、声が無残にひっくり返り、自然どころかかなりわざとらしくなってしまい、脂汗がこめかみから一筋たらりと流れ落ちた。


「あーさんが、うーん、弥生の八日だよー」

「そ、それは!たった七日後ではないか!なぜもっと…」


 早く言ってくれなかったという言葉を劉翔は呑みこむ、それを言ってしまってはお仕舞だ。これまでリンリンの誕生日を知らなかったことがバレてしまうではないか。


「そ、そうか、この後宮に来て初めての誕生日だな…ふむ、我とはまた二つ年が離れてしまうのか…」

 それも、もう一つの懸念だった。

 せっかく一つ近づいたというのに、また離れてしまう。

 早く大人になってリンリンの全てを受け入れたいのに、成人するまで後三年と数か月、その間にリンリンは先に大人になってしまう、永遠に追いつけない追いかけっこだ。


「でもさー、私、初めて会ったときから綺麗な子だなー大人っぽいなーって思ってたし、今なんかぐぐーって背が伸びてもっとずっと大人びちゃってさ、私なんてもうすっかり成長が止まっちゃったのに。もう全然追いつけないなーって年下だなんて全然思えないや、まぁ一歳、二歳なんて長い人生の中で誤差みたいなもんだし、でもこれはなぁ…」


(そうだ、我は何を思い悩んでいたのだ。リンリンの申す通り、数十年の人生の中の一つや二つなど大した問題ではないではないか、しかし、リンリンは未だに身の丈のことを気にしておったのか、そのこまこまとちょこまかと動く姿がかわいらしいというのに、しかしこれを告げたらぷーっと頬を膨らませて、腹を立てるのであろうな)


「ちょっと、何よーくすくす笑っちゃってさ、そんなに私がチビなのが面白いの!もー、自分はにょきにょき伸びたからってさ、誕生日祝いにその大きさ少しわけてよ!」


 自分のようににょきにょきと背が伸びたリンリン、でも動きはやはりちょこまか、こまこましている。その様子を思い浮かべると、劉翔は余計に笑いが止まらなくなる。

「ぶぶっ、それは無理な相談だな、身の丈を分けてやることはできぬ、いや、しかし苺なるもの、リンリンの誕生日までに実が大きく赤くなるといいがな」

「うん、ちょうどその日も日曜日だしさ、またここに来て一緒に食べられるといいねーそうしたら、最高に楽しい誕生日になるだろうなーあはは」


 リンリンは、小さな望みを口にする。

 贈り物をしてくれ、あれが欲しい、これが欲しい、祝宴を開いてほしい、そう口にすれば劉翔は全てを簡単に叶えてくれるだろう、けれどそんなことはちらりとも頭をよぎらない。

 自生する苺が熟して、それを劉翔と一緒に食べられたら、最高だ。そう心から思えてしまうのだ。

 以前劉翔が贈った紫首位証の腕輪、今でも手首に大事に付けられているそれも、劉翔が厄除けであると強く言わなければ、決して受け取らなかっただろう。


(贈り物は何がいいかと聞いても、リンリンは先ほどのように共に苺を食べられればそれでよいと欲するものを言わぬであろうな。祝宴を開くと申しても、そんな大仰なことはしなくて良いと、自分は使用人なのだからと首を縦に振らぬであろう…ならば、我が…我がリンリンのために、大事な人の生まれた日にできることは何があるのだ)


 リンリンを隠し通路の先まで送り届けてから、一人中庭に戻った劉翔は玻璃の天井を見上げながらうんうん考え込む。

 すると、空に見えるもくもくとした雲が、あの日の二人きりで食べた花畑餅に見えてきた。


「そうだ、我とリンリンの出会いは料理だ。我々を繋げてくれたのはいつも料理だったではないか!そうだ、我はいつもリンリンに作ってもろうてばかりではないか!ならば、今度は我がリンリンに誕生祝の馳走を作ってやるのだ!」


 劉翔十四歳、包丁を握ったことなど無論一度もない皇太子、愛する人のため、ここに初めての料理への挑戦を高らかに宣言する。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る