第26話再びの祝宴
リンリンが仕事に復帰してからはや二週間、木枯らしが吹き荒ぶ冷たい季節になって来た。
劉翔とは、あの秘密の後宮散策以来一度も会えていない。
隠し通路を使って来ようにも、今は深夜でも見回りの宦官が廊下や御前房にも目を光らせている。
以前のように御前房で誰にも見つからずにこっそり会うことなど、ほぼ不可能なのだ。
少々寂しい思いもするが、致し方ないことだ。リンリンにとっては以前と変わりないショウであっても、実際は皇太子殿下、立場というものがあるのだ。
(あぁ、小怡に会いたいな。)
こんな時には、御前房で唯一気兼ねなく話せる友人だった小怡が恋しくなる。
副料理人となった胡春も気さくに話しかけてはくれるのだが、彼女は故郷に子供のいるお母さんでリンリンとは一回り以上年が離れている。友人というより、面倒見のいい話好きの近所のおばさんと話しているような気がしてしまうのだ。
その胡春から聞いたところによると、小怡はもうこの後宮、御前房には復帰しないらしい。
良い縁談の話があって、年明け早々に嫁入りするのだという。
「小怡もねー、もうそんな年になっていたのね。うちの娘もそのうち嫁に行くのかと思うと、ちょっと寂しい気分になるわ」
「胡春さんのお子さんってまだ八つでしょ。流石に気が早いですよ」
「うはは、それもそうね。でも盂蘭盆会(お盆)と暮れくらいにしか家に帰れないから、成長が随分と早く感じてしまうのよ」
(あぁ、こんなおめでたい話なら小怡に直接聞きたかったな。)
寂しい思いは募るが、故郷にいる小怡に文を届けたいと陳流々に相談した時に、毒見のことを思い出すと回復に差し支えるから遠慮するようにと言われていたのだ。
嫌な思いをぶり返させてしまっては心苦しい。せめてこの後宮から幸せになって欲しいと祈るだけだと、リンリンは切ない気持ちを押し殺す。
(さぁ、仕事仕事っ! 私には料理があるじゃないっ!)
水仕事で冷えた手を竈の火で温めながら昼餉の中華丼(八宝菜丼)について考えていると、扉の先から楊玲がひょっこり顔を出した。
「リンリン、一体何をしているのです!」
「す、すみません!」
約束をすっかり忘れていたリンリンは、青ざめて直ぐに扉へ駆け寄った。
リンリンが再開した仕事に体が慣れるまで休みになっていた勉強が、今日からまた始まることになっていたのだ。
(算盤……ちょっと忘れてしまったかも。)
ビクビクしながら膳部長室に入ると、楊玲はいつもの算盤ではなく何度か見かけた巻物を取り出しするりするりと開いた。
「えぇ、今日は勉強はお休みです。その代わり新たな仕事のことをお話します」
「やっ」
やったーと声を上げそうになり、リンリンは慌ててぐっと歓喜の叫びを飲み込んだ。
「やっ!?」
「やーっ、どんなお仕事かなぁっと」
上手く誤魔化せた気は全くしないが、訝し気な表情を浮かべた楊玲は特に追及することもなく巻物を読み上げた。
「我が嫡男、劉翔の祝宴を再び行うことにする。したがって料理長は前回と同じ料理を明後日に用意するように」
天子からの勅令だ。
劉翔の十四の誕生日の祝宴は、暗殺未遂騒ぎで中断してしまった。
あんなに考えて小怡や陳流々に手助けをしてもらって作り上げたケーキも、本人に口にしてもらうことは出来なかった。
これはリンリンにとっても願ったりかなったりの勅令だ。
「はいっ! 頑張りまっす!」
くるりと踵を返し御前房に戻るリンリンの足取りは羽のように軽く、胸の中は踊りだすようにワクワクとしていた。
誕生日からは一月以上遅れてしまったけれど、ショウに食べて欲しいと願っていた料理たちを今度はきちんと届けられるのだ。
その夜、そしてあくる晩も料理の復習をし、リンリンは万感の思いで再びの祝宴の朝を迎えた。
(小怡、皆でがんばって作ったケーキをやっと食べてもらえるんだよ。本当にありがとうね。)
もう会うことは出来ないであろう小怡に胸の内で感謝し、獅子奮迅の働きぶりで南瓜馬車、ふわふわ卵湯、餡かけ炒飯の天津丼、ピリ辛手羽先、海老の卵油和えを料理人達と作り上げてゆき、いよいよ本丸の点甜作りが始まった。
あの試作の日、あんなに苦労したメレンゲ作りは幾たびの復習でもうすっかりお手の物だ。
「みなさーん、水分は決して入らぬようにねー。黄身も絶対にダメですよー砂糖はちょっとずつ空気と一緒に混ぜてくださいねー」
こんな風に、偉そうに指図までもできるくらいに。
「はぁ、終わった」
パウンドケーキ(青蜜柑のふわふわ花畑餅)、お化け南瓜入りの南瓜とイチジクの蒸豆腐祝宴風を宮女に引き渡したリンリンはほっと安堵の吐息を漏らし、ショウのあの椅子に腰を下ろした。
(直ぐには聞けないかもしれない。でもあのショウのことだから、きっと文だったり伝言とかでも感想は教えてくれるよね)
今日の仕事はこれで終わり、つつがなく終わった充足感でぐっすり眠れそうな気がしつつ椅子から腰を上げようとすると、バタバタと忙しない足音と共に陳流々が現れた。
珍しくつまみ食いに来ないと思ったら、すっかり料理がなくなってから来るなんて……首を傾げるリンリンに、陳流々はひそひそと耳打ちをする。
「翔太子が裏道に来いと」
さっきの陳流々以上に慌てて椅子から飛び上がり貯蔵庫裏の隠し通路に向かうと、戸口のすぐ裏で劉翔はリンリンを出迎えてくれた。
「久しいな、祝宴料理はどれも美味で満足であったぞ。点甜は二つとも我の部屋に運ばせた。リンリン、そなたと共に食したかったのだ」
「うん、うん……」
嬉しさでリンリンの目じりに雫が浮かぶ。ショウの姿を目にしたときは思わず飛びつきそうにもなってしまったが(これは男の子、男の子)と胸の中で唱え何とかそれは堪えたが、こうして自分と一緒にケーキを食べたいという言葉を貰えたことが、何よりも嬉しかったのだ。
二人きりの部屋の中、リンリンは隠し通路で劉翔が持っていた小ぶりな蝋燭を借りて、ケーキの上にぐさりと刺した。
小ぶりとはいえケーキに指すには太く大きいが、どうしてもやってみたいことがあったのだ。
「リンリン、何故このようなことをするのだ」
「あのね、この蝋燭を誕生日の人がお願い事をしながら吹き消す習わしが、遠い異国ではあるんだよ」
本来は年の数だけ刺すものだが、このケーキの大きさと蝋燭の太さでは無理なので搔い摘んだ説明だけをする。
「なるほど……」
ゆらめく炎に照らされ赤くなったように見える頬をぷーっと膨らませ、口の中で何やらごにょごにょ唱えながらショウはふーっと蝋燭を消した。
「ねぇ、何をお願いしたの」
「秘密だ。それより餅を食そう。ほれ、そなたが先に」
「えっ、いいよーショウが先に食べて」
「それならば、同時に食べさせ合おうではないか」
(うーん、気心の知れたショウが相手とはいえ流石にちょっと恥ずかしいな。でもお誕生日のお願いだもんね……まぁ、これくらいはやってあげましょうかね!)
「分かった。じゃあ、あーん、口開けて」
「そなたもあーん」
「うわーこれは、ちょっと恥ずかしいね」
「ははは、そうだな」
恥ずかしいと言いながら、ケラケラ笑い合いながらケーキ(餅)を食べさせ合っていると、ショウは不意に真顔になってリンリンをまじまじと見つめると、頬に唇を寄せていつの間にかついていたケーキの破片をちゅるっと吸った。
「破片がついておったのだ」
「そ、そ……うなんだ」
それっきり真っ赤になって押し黙り俯くリンリンの耳元に唇を寄せた劉翔は「そなたがそこまで動ずるのを初めて見たな。うむ、なかなか良い」と囁き、抱き寄せてもう一度頬にちゅっと吸いついた。「も、欠けらはついてないよ」「あぁ知っている、なぁリンリンこれからもずっと我とともにいろ」「うん……」その真意に気付いているのかいないのか、ショウの腕に包まれながらリンリンはこくりと頷いた。
「あーん、ほれ口を開けよ。そのようにぴっちりと閉じるでない」
「えーもういいよ。充分食べたよ」
「何だ、柄にもない。何時ものようにもっとパクパクと食せるであろう」
「何よぉ、その言い草はぁ」
「ははは、食うてもおらんのに、頬袋がぷっくりとふくらんでおるな」
「ちょっとー!」
「ははははは」
愛憎陰謀渦巻く後宮にぽつり、幼く愛らしい恋の蕾ふくらむ。
やがて花開く日は来るか。
料理長と皇太子、甘い夕日が暮れかぬる。
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