第11話カレー! カレー! カレー!
(うーん、この二つを使ってどうやってカレーを作ればいいんだろうか。)
寝台の上に陳流々から譲ってもらった香辛料入りのズタ袋を置き、リンリンはしばし考えこんだ。
祖父の料理ノートを参考ししようにも、香辛料からカレー粉を作る方法など記されてはいない。
クンクンと匂いを嗅ぎつつ、ズタ袋から茶色の細い種を取り出す。スパイシーで少し漢方薬のようなこの匂い、これがあの時感じたカレー粉の匂いだ。これがクミンであることはリンリンにも分かる。
祖父が日替わり定食用の青椒肉絲に使っていたからだ。定番の味とは違うマトンを使ったスパイシーな青椒肉絲はなかなかの人気で、商店街のインド料理屋の主人がわざわざこの日を狙って食べに来ていたくらいだ。
けれど、カレーではない、今のリンリンが求めているものとは違う。
もう一つの小袋、こちらはなかなか強烈な鼻の奥にツンとくる匂いだ。
なんというか便秘薬のような匂い、嗅いだだけですぐにわかる。指先で摘まんだこの乾いた木の根っこは鬱金、商店街の仲間と酒を飲んだ後祖父が胃のためにと煎じて飲んでいた。
「爺ちゃんそれ臭いよー」とりんが嫌がると、「何のこれは胃腸にいいんだぞー飲んだ後にこれを飲んどきゃ明日胸やけもしないしな。それにこれはターメリックという名でも呼ばれててな、りんの好きなカレーの粉にも入ってるんだぞ」と言っていた。
そうだ、これもカレーの一部だ。
しかし、その二つをどうすればおなじみのカレー粉になるのかが分からず、リンリンは腕を組んでうんうんうなった。
「あー、考えてても仕方ない! やっぱ試作しないとね。明日は沐浴の日だから匂いも流せるし」
五日に一度の沐浴の日、御妃達の使うような浴場には無論立ち入ることすらできないが、使用人たちもたらいに水を張って体を清めることが出来る。シャンプーなどあろうはずもなく灰汁で洗髪し米ぬかの入った小袋で体を洗うのだが、それでも濡らした手拭いで体を拭くだけよりは比べ物にならないほどさっぱりとする。
沐浴の後にカレーの匂いがついてしまっては、この一張羅の絹の寝巻にも匂いが映ってしまうかもしれない。清潔なときにこそ着たいものだというのに。
寝台に掛けた薄布の下に大事にしまった薄紅色の絹の寝巻。リンリンが着るにはかなり上等なそれは、ショウから貰ったものだ。
料理長に就任後は火打石を自由に使えるようになり竈用の松明は必要なくなったが、新しいメニューのために時折居残り特訓をするリンリンのところにショウはふらりと現れた。
「リンリン、遅うなったがこれはあの日に汚してしまった寝間の代わりじゃ」
差し出された寝巻は、ショウの着ている浅黄色のそれと色違いのどう見ても高級感あふるる一品だ。
「えぇ、そんな高級なものもらえないよー不釣り合いだもん。私のなんて穴開いてるし、洗ったからもういいよー」
「何を言う、そなたはもうこの御前房の料理長なのだぞ。この寝間にふさわしかろう」
どこで聞いたのかまだ告げていない料理長の就任のことまで知っていたショウは、後ずさりするリンリンの手にぎゅっとそれを握らせた。
なめらかでつるりと握った指先を滑るような感触は実に心地よく、思わず両手で抱きしめて頬ずりしたくなってしまうほどだった。
「う、うん。ありがとうね、じゃあ大切に着させてもらうよ」
言葉通りにリンリンはその寝巻を大切に、沐浴の後だけに着るようにしていた。
するすると肌を撫で包み込まれるといつもより安らかにぐっすり深い眠りに落ちるようで、今まで着たどの寝巻、パジャマよりもお気に入りとなったのだ。
「じゃー明日この寝巻を気分よく着れるように、カレー研究やっちゃいますか!」
炊事場に再度向かい、調理台の上にターメリックとクミンを広げてみる。
臼で引いて粉にして混ぜればカレー粉になるのだろうか。
試してみるには量が微妙な気もするが、このままでは仕様がない。
石臼でゴリゴリ挽いた粉末を、クミン7、ターメリック3でミックスしてみる。
ふんすふんすとその匂いを嗅いでみると、知っているカレー粉とはやはり違う物足りなさがあるが、かなりカレー粉に近づいている気はする。
そして、表面を乾燥させてある保存用玉ねぎを二個みじん切りにする。
「あー、めっちゃ染みるわ、そういえばこれやるのかーなりー久しぶりだった」
ぽろぽろと涙を流しながら細かく細かくみじん切りをしていると、背後でごとりと物音がした。
涙目で振り返ると、そこには一月ぶりに目にするショウの姿があった。
以前よりも背が伸び、ますますすらりとして真っすぐな立ち姿が若竹のようにしなやかで美しい。
(あー、まだまだ成長期なんだ。いいなー、私なんて中二で身長止まっちゃったのに)
玉ねぎの汁で濡れた手で目をこするわけにも行かず、リンリンはぼろぼろの目のままスッと手を上げショウを出迎えた。
「久しぶりだねー最近試作してなかったし、そっちも忙しかったんでしょー」
「リンリン、どうしたのだ。 何故そのように目を腫らして……」
ショウはリンリンの陽気な挨拶より赤い目の方に目を奪われてしまい、心配そうにかけよって来て背中をさすってくれた。
「何か辛いことがあるなら遠慮なく我に申せ、力になれることがあるやもしれん」
(ありゃー、普通に泣いてると思われちゃった! そっか、ショウはお嬢様だから、玉ねぎ切ったことなんか一度もなくて目に染みることも知らないんだ。)
「いやいやいや、悲しくて泣いてるんじゃないんだよ。玉ねぎのせいなんだ」
「この、丸葱がか……」
「そうそう、これを切ると目にツーンって染みちゃって涙が出ちゃうんだ」
「ほう面妖な、どれ我も試して」
「ダメダメダメ、目がぐしょぐしょで寝巻も汚れちゃうから!」
乗り気になったショウを肘で押し返し、リンリンは中華鍋に脂身を入れてざっざっと玉ねぎを炒め始めた。香ばしく飴色になったところにクミンとターメリックのカレー粉風を投入し、よく混ぜてから最後に湯で戻しておいた干し豆腐の千切りを加え塩と黒胡椒で味付けする。炒めていくうちに周囲はカレーの匂いが充満してきた。
(うん、カレーっぽい。ぽいぞ、さてさて味はどうだろうな。)
一口味見をしてみると、確かにカレーのような味はする。
けれど、素朴、あまりに素朴な味だ。給食で出て来たカレー風味の野菜炒めを思い起こさせる味だ。あれは児童にあまり人気がなかった。普通のカレーは大人気だったというのに。
決して不味くはない、むしろなかなか美味しいとも思うのだが、カレーに飢えていたせいで必要以上にそう感じるのかもしれない。
(これじゃ、ショウにどうぞーって勧めずらいわー。)
中華鍋の前で無言のままのリンリンにしびれを切らし、ショウは自ら近づいて来て豆を一粒摘まんで口にぽいっと放り込んだ。
「ふむ、これはなかなか素朴で南方の田舎の田園風景を連想させるな。出向いたことは一度もないが」
やはり、ショウにとっても素朴な味わいらしい。
これでは後宮の食事としては不適当だろう。カレーよさらば。
俯くリンリンの肩を、ショウはポンと軽くたたいた。
「そう落ち込むな、素朴というのは決して悪口ではないのだぞ。これは餅(ビン)と共に食べればより良いのではないか)
餅というのは小麦で作るクレープのようなもので、リンリンが東北の村にいたときも葱入りの餅を零食(リンシー、おやつ)によく食べていた。
「なるほど、それはいいね! ちょっと待ってて」
椀に小麦粉と水を入れ卵油を入れた中華鍋でじゅーっと焼き、それにさっきのカレーもどきを投入してくるくると巻く。
「できたー! ショウ考案の香味餅―。食べて食べて」
カレーパンならぬカレークレープが何とか形になり、リンリンは得意げにそれをショウに差し出した。
「ふむ、二つあるな。共に食そう」
二人はまるで原宿に集う中高生のように、並んでカレークレープを食べた。
体裁は整ったとはいえ餅との融合で素朴さは増していたが、それが学校の友人と放課後に気ままに買い食いをしているような気分にさせてくれてリンリンはとても楽しかった。
「ところでリンリン、これは朝餉などに出すための試作なのか?」
ショウの問いにリンリンは軽く首を振った。
「ううん、宦官で茶部長の陳氏からこの香辛料を譲り受けたから試しに作ってみただけなんだ。今日だけの一回こっきりになりそうだけど」
「ほう、ならばこれは我らだけの知る秘密の零食だな」
いたずらっぽく笑うショウに、リンリンは笑顔で応える。
「うん、二人だけの夜の秘密だねー」
そして、余ってしまったターメリック(鬱金)について思いを馳せた。
(あー、御前房にも自分の部屋にも置きたくないな。便秘薬の匂いだし……そうだ、そもそも生薬なんだし、楊膳部長にいつも勉強見てくれるお礼ですっていってあげちゃお)
南方から長い旅をし陳流々の帽子の中を経てリンリンの元へ来た流浪の鬱金は、こうして終の棲家を見つけることになったのだった。
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