第13話明煌皇貴妃の茶会
昼下がり、首元や裾に銀糸の縫い込まれた艶やかな薄紅色の宮中服を身にまとい明煌皇貴妃はしゃなりしゃなりと小股で品よく後宮の廊下を歩く。
三歩下がって付き従う女官は、半月盆に載せた点甜を大事そうに運んでいる。
「聖華皇太后さま、明煌が参りました」
後宮内でもっとも豪奢な居室、ここは天子の御母上聖華皇太后の部屋だ。
皇貴妃の部屋の倍以上の広さの部屋の真ん中には漢白玉で彩られた玉座と見まがうばかりの大きな椅子、その背後の棚には色硝子の置物が所狭しと並び、ゆったりと椅子に腰掛けた聖華皇太后の紺青の硝子の首飾りと共に陽光が反射し目が眩むような光を放っている。
思わず目を細めた明煌皇貴妃を、皇太后は目元に微笑をたたえながら招き入れた。
「よく来たわね、可愛い私の従妹甥の子、いつものように姨姨(イーイ、叔母さん)と呼んでくれていいのよ」
実際は義理の母ということになるのだが、聖華皇太后は息子の妃達に母と呼ばれるのを嫌う。いかにお気に入りであるとはいえ明煌だけにそう呼ばせるわけにもいかず、元々の縁戚であることを示す姨姨と呼ばせることで彼女に特別な意識を持たせていた。
勿論、明煌皇貴妃本人もそのことは重々承知している。
「ふふふ、姨姨、本日は私の開く茶会用の点甜をお持ちしました。もちろん小帝(シャオディー)の分も用意してありましてよ」
シャオディーとは、聖華皇太后の膝の上でふくよかな指で撫でられながらも今まさに退屈そうに大きな欠伸をしている獅子猫のことだ。
食糧庫の鼠捕り用に下級宦官が世話をしている野性味あふれる砂色の猫と違い、新雪のような純白の長い毛におおわれ青と黄色の輝く宝珠のような眼を持つその姿は実に優雅で堂々たるもので、小さな帝という名にピッタリだ。
猫にこのような名前を付けるなどあるいは不敬罪ものではあるが、その名付け主が天子の御母君であれば何人たりとも文句のつけようがない。
「おほほ、やはり明煌は気が回るわね。可愛い私の娘、こんなことを言ったらいけないのかもしれないけれど、妃の中でやはりお前が一番よ」
「まぁそんな、もったいないお言葉ですわ。それでは今からこの宋淡(そうたん)に毒見をさせます故、しばしお待ちを」
後宮には下級宦官、宮女など複数の毒見役がおり、朝餉、昼餉、夕餉、そして零食などの際に毒見を行っている。
しかし、明煌皇貴妃はこの者達ではなく自分の一番の側近である宗淡に毒見をさせた。
これは、聖華皇太后に対する忠誠の証なのだ。
自分の身近な者、その者の命に代えても皇太后を危険には晒さない、そして絶対にそのようなことがないからこそ側近に食べさせることが出来るという二重の意味がある。
一口、もう一口、飲み下ししばし時を置いてからゆっくりと頷く宗淡「問題ございません」
その言葉を合図に、聖華皇太后は先ずは自分の口にくりぬいた桃の器に入れられた生姜甘酒寒天を運び、同じ匙で小帝に甘酒、生姜抜きの梔子の実で色付けされた寒天を運んだ。
味なしの寒天のつるりとした口当たりが良かったのか、小帝はごろごろと喉を鳴らし聖華皇太后はその様子を目を細めて眺めた。
「あぁ、小帝もとても気に入っているようだわ。後の饅頭は後程いただきますから、明煌はもう茶会の準備をなさい。妃や嬪を可愛がってやるのよ、あなたは妃達の長なんですからね」
「はい、姨姨」
自室へと戻りながら、明煌皇貴妃はつらつらと義理の母のことを考える。
聖華皇太后の夫であった先帝、劉孟は元々正室を持たなかった。
多数の妃や嬪はいたが、一番のお気に入りである件の煌貴妃しか自分の寝所に呼ばず、その煌貴妃が五人もの皇子、二人の皇女を次々に産んだため子作りのために他の妃達を呼ぶ必要もなく、彼女たちは後宮で暇を持て余していた。
その中の最下層、嬪の一人だったのが聖華、今の皇太后だ。
血塗られたあの事件により劉孟帝はすっかり気落ちしていた。
そこに容色は十人並みであるが博識で話し上手であった聖華が、心が晴れるような話を選び読み聞かせの夜伽をする役目を言いつかり、どういういきさつかその後皇后へと昇りつめたのだ。
事件の後、煌貴妃の幼い御子たちも原因不明の病で次々に身罷られたのだが、聖華皇后の懐妊した御子のこともあり、劉孟帝の悲嘆は幾分和らいだのだった。
将軍でもない一介の武官の娘から皇后へと華麗なる転身を果たし、先帝のときよりも国を豊かに平和にして賢帝と呼ばれる現在の天子、劉景皇帝を育てたこの姨姨のことを、明煌皇貴妃は心から尊敬し自らの指針としている。
見目麗しい容色だけで天子を虜にした煌貴妃、彼女が生前どんなにねだっても劉孟帝は決して彼女が犬を飼うことを許さなかった。
しかしその晩年、皇后であり心の友であると称した聖華皇后が頼んだところ、すぐに獅子猫を取り寄せ共に愛でていたのだ。
猫があまり好きではなく、食糧庫の門番猫が走り回っているところを目にしたときは、眉を顰めてすぐに追い払うよう宦官に命じていたというのに。
(やはり心を掴まないとだめだわ。ただ美しいだけではだめなのよ!)
明煌皇貴妃の脳裏には、もう一人の皇后、現皇后である彗瑠(スイル)の姿が浮かんでくる。
西方一の美人と誉れ高かった彗瑠皇后はつややかな絹糸のような豊かな黒髪に、黒子やしみ一つないなめらかで透き通るような肌、薔薇のつぼみのようなふっくらと赤い唇を持ち、その思慮深そうな濡れる瞳は一目見ただけで吸い込まれるような魅力を持っていた。
政略結婚とはいえその美しさには天子も一目で魅了され、すぐに長子である皇子を授かった。同時期に父の趙将軍と聖華皇太后の計らいで後宮入りした明煌は皇子を産むまで十年以上かかり、やっと三年前に授かったというのに。
しかし、天子はたまに寝所に呼んでくれる度に「お前はいつも明るくて、幼き日の母上と過ごしているようでゆかいだよ」と言ってくれる。
言葉にはしないが、読書好きで自室に籠ってばかりの皇后に退屈しているのだろう。
私は姨姨のようになってみせる。皇子も立派に育てるわ。
胸元に隠していた赤い菊の花を高く結い上げた髪にスッと指し込むと、自らを奮い立たせるようにさっきまでの上品な歩き方はどこへやらのっしのっしと大股で闊歩し自室へと戻った明煌貴妃を出迎えてくれたのは、二人の貴妃と三人の妃、そして五人の嬪たちだった。
「明煌皇貴妃、本日はお茶会にお招きいただき誠にありがとうございます」
代表として一番古い貴妃、蘭貴妃が深々とお辞儀し九人がそれに続く。
その背後に控える女官たちは、跪いて頭を下げている。
「いえいえ、今日は皆で気楽に愉快に過ごしましょうね。後ろのあなたたちも跪くなんてやめていいのよー楽になさい」
にっこりと微笑みながら、明煌皇貴妃は心の中で彼女らを格付けしてゆく。
(蘭ったらまたそばかすが広がっている。髪も何だかパサついているしきちんとお手入れしてないのかしら? あの媚びたような笑い方も気に入らないわね……嬪たちもその他大勢で全部芋団子に見えて見分けがつかないわ。若いというだけで他に何のとりえもないわね。ふんっ!)
毒づく心を微塵も見せずに一人一人に微笑みかける明煌皇貴妃、若いだけの花のない娘たちだけなのは当たり前なのだ。決して自分以上の美人を入れないように、後宮入りする女性の管理をする敬事房の部長に自らきつく言いつけているのだから。
しかし、一人の女官の前で目が留まる。
(あれは蘭の御付きの女官ね、ちょっと可愛い顔しているじゃないの……天子様の、あの人の目に留まったら危険だわ。その前に何か理由をつけて里に帰らせなきゃ)
「さぁさぁ、本日の茶会用に新しい点甜を料理長に支度させたのよ。生姜甘酒寒天に氷菓桃入りの揚げ饅頭。
「まぁ、この寒天の濃厚なこと、生姜のぴりりとした風味もいいわ。桃の器も愛らしいわ」
「揚げ饅頭も美味よ。瑞々しい氷菓と饅頭のカリカリとした感触、冷と温の配合もちょうどいいわ」
「えぇ、それに明煌皇貴妃の秘蔵のお茶とよく合ってすばらしいわ」
妃や女官たちが楽し気に点甜を食すのを眺めながら、明煌皇貴妃は自らの点甜をゆっくりと吟味する。
(あら揚げ饅頭の中に氷菓のほかにスモモの蜜漬けが入っているわね、このことは誰も口にしていない。するとこれは私だけに入っているのね。桃の器の底には、あら桃の花の塩漬けを使って花の模様が描かれているわ。ふふふ、これも私のだけね。)
皆とそっくり同じようでいて自分だけに趣向を凝らされた点甜、私はあなた方と違う特別な存在、選ばれ者なのよ。
ぐるりと部屋の女全てを見回して、明煌皇貴妃は見える表の顔で優しく微笑み、心の顔で得意げにほくそ笑んだ。
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