第7話さぁどうだ! これが私の料理ですっ!

 いよいよ試食試験の当日が来た。

 時間は昼餉の調理が終了し、夕餉の準備が始まるまでの三時間。

 麺、卵油、ワンタン、饅頭生地などはショウの手を借り前夜に準備済みだ。

 砂糖を使い過ぎたスモモジャム、スモモの砂糖蜜もまだたっぷり残っている。

 後はしっかり調理をし、結果を待つのみだ。

 今までの夜の試作と違い、今日は助手もおらず一人で全てやるしかない。

 リンリンはぐっと拳を握って気合を入れると、前菜の冷製湯(スープ)、オムレツ風卵焼き、ワンタンをささっと作り上げ、その間に饅頭もふかし始めた。

 そして、膳部長室に今回のために用意された試食用の桌子(テーブル)の前で待つ膳部長の楊玲、茶部長の陳流々、平暫定料理長、炊事場で働く下女中を代表したベテランの二名に前菜を運ぶ。


「お待たせいたしました。これは前菜の野原の蓮冷製湯(スープ)です」

「わぁ可愛いわね。玉子の黄色と赤い唐辛子、ワンタンから突き出した胡瓜の緑で色合いが良くて本当に野原の蓮のようだわ」


 先ず陳流々が目を丸くして歓声を上げ、先輩下女中の二人も少女のように目を煌かせて皿をしげしげと見つめている。

 一方の平は苦虫を噛み潰したような顔でチッと舌打ちし、楊玲は眉一つ動かさず冷静沈着な無表情だ。


「リンリン」

「はいっ!」

「試食についての意見はすべてが終わった後に発表いたします。あなたは御前房で後の準備をしてください」

「承知しました!」


 すぐに踵を返したリンリンだが、皆が匙を持ちスープを飲む音が聞こえてくると思わず振り返りその表情を見たい気持ちに駆られてしまう。


「リンリン、どうしたのです。次の準備はいいのですか」


 しかし、楊玲のピシャリとした声にぐいっと背中を押され渋々御前房へと戻り主菜と主食の仕上げに取り掛かった。

 三度目の卵油振りですっかり手慣れた様子だったいわばショウ特製と言ってもいい卵油を海老にたっぷりかけ、横にそば饅頭を添える。

 その間にも蒸籠はもうもうと湯気を上げ、中のプリン、こちら流に言うと卵と乳の蒸杏仁豆腐もそろそろ蒸しあがりそうだ。


「ちょっと急ごう」


 すぐ横の膳部長室に早足で戻ろうとして、足がもつれて盆の上のそば饅頭が揺れぽろんと一回転して卵油の上に着地した。


「あっ、ついちゃった。でももう時間ないし……」


 仕方なくそのまま運ぶと、卵油付きの饅頭が載った皿はリンリンが配膳する前ににゅっと手を伸ばした平の元へと引き寄せられた。

 そして、楊玲もリンリンも何も言わないうちにそば饅頭にかぶりつき、むしゃむしゃと顎を動かしながら饅頭をべたりと卵油につけてもう一口二口と食べ始めた。

 相変わらずむすっとはしているが、次から次へと饅頭、卵油、海老と手と口を動かし平らげていく様は少々壮観にさえ見えてくる。


「これリンリン、他の皆にも料理を出しなさい」


 楊玲に窘められるまで、しばし見入ってしまったほどだ。


「あっ、はいっ、ただいま。こちらは主菜の海老の卵油和えに主食のそば饅頭です」


 リンリンは他の三人の前に皿を置くと、さっきとは違いすぐに御前房へと戻った。

 杏仁蒸豆腐が蒸され過ぎてぽこぽこと穴が開きすが入ってしまっていないか気になったからだ。そんなことになったらすべてが台無し、一から作り直しで皆を待たせてしまうし試食会の採点も減点だろう。

 蒸籠に直行しすぐに竹の蓋を開けると、湯気がむわっと目に直撃して涙が出そうになるが、蒸時間はちょうど良かったようで蒸豆腐の肌は白くきめ細やかで見るからになめらかだ。


「あー、良かった。いい出来だ」


 蒸豆腐の上にたっぷりと鮮やかな紅色のスモモの砂糖蜜をかけ、桃の花の塩漬けを散らす。

 中年男性の平や甘いものの好きそうなイメージのない楊膳部長は分からないが、これなら甘味好きで有名な陳茶部長や先輩女中は気に入ってくれるだろう。


「よし! 笑っても泣いてもこれで最後。私、精いっぱい頑張ったよね、うん」


 小さくガッツポーズをして、締めの点甜を運ぶ。


「お待たせしました! 点甜の月花白美です」

「待ったわ! 待った! 一番の楽しみだものー。わぁ、この紅い蜜素敵ねぇ、聖様の首飾りの柘榴石のようだわ」

「美味しそうねぇ」「えぇ」


 案の定陳流々と先輩女中二人の顔はほころんでいる。つられてリンリンの頬も緩んだ。


(最後だし、ここで食べるの見ててもいいよね。反応が気になるし。)


 桌子の前で盆を持ち立っているリンリンに楊玲はちらりと視線を向け、ひゅっと冷たい冬の風のような一言を言い放つ。


「そんなところでじっと見られていては皆が食べ難いでしょう。あちらで待っていなさい、後で呼びに行きますから」

「はい……」


 すごすごと引き下がったが、評価が気になって気になって仕方ない。

 ショウはすべてを気に入って太鼓判を押してくれたが、味の好みは人それぞれだ。

 見た目の評価が良いからと言って、味も気にいる保証はない。

 さっきまでは自信満々だったはずだったリンリンの胸を急に不安が遅い、御前房の中を行ったり来たりぐるぐると周回まで始めてしまった。あまりにぐるぐると下を向いて歩いていたので、目が回ってくらっと眩暈を起こしそうになってしまったほどだ。

 点甜を皆が食べ終え、楊玲が迎えに来るまではほんの四半刻(三十分)にも満たない短い時間であったのだが、それが永遠のように長く感じられた。


「リンリン、みな食べ終えて食後の茶も飲み終わりました。では皆の意見を聞き終えてから評価しますのでこちらに戻りなさい」

「あっ、お茶、私……用意し忘れて……すみません」

「客人用の茶は私の膳部長室にも常備してありますから、そんな気遣いは無用です。今日は公式の食事会ではないのですから」

 楊玲はそう言ってくれたが、ただでさえ不安にさいなまれていたリンリンは自分の気の利かなさに打ちのめされるような心持ちになり、がっくりと肩を落としながらとぼとぼとその後ろをついて行った。


「あらー子羊ちゃん、やっと戻ったわねーちょっと気になることがあってねー。それについて、聞きたいことがあるのよ」


 戻ったとたん、陳流々の黄色い声で出迎えられリンリンは目を白黒させた。

 しかし、気になることとは穏やかではない。何か料理に不備があったのだろうか。

 背筋を正し、その疑問を待ち受ける。


「は、はい……何でしょう」

「あのねぇ、前菜と点甜は詩的で素敵だけど今一つ意味の分からない料理名がついているけれど、主菜と主食は見たまんまそのままの素っ気ないけど中身が分かりやすい名前でしょ。何でなの?」


 意外にも料理そのもののことではなく、その名前についての質問だった。


(ショウのことを言うわけにはいかない。おそらく彼女はどこぞの高官のお嬢さん……そんな子が寝所をこっそり抜け出して夜ごとふらふら御前房に来てたなんて知れたら、大問題になって迷惑が掛かってしまう。それだけは避けなくては……あーそれにしても意味が分からないとかショウが聞いたら怒りそ……今度会っても内緒にしとこっと。で、早く誤魔化さなきゃ!)


「あ、あの……前菜は陳茶部長のおっしゃる通り野原のように見えたので……点甜もスモモの木が月の木と……」


(あー、ショウ何て言ってたっけ、あっそうだ)


「月の木と呼ばれていることからその花の美しさと似ていることから名付けましたであります! それと海老の卵油和えとそば饅頭はそれ以外に例えるものが無かったものですからそのままなのであります!」

「あははははー何よその物言い。まるで衛兵みたいじゃないの! うん、納得したわーそうねぇ海老は海老、饅頭は饅頭にしか見えないわよね」


 どうにか誤魔化せたようで胸をなでおろしたしたリンリンは、その後に続いた言葉でまた目を白黒させた。


「私としては大満足よ! 満点、いえそれ以上ね。子羊ちゃんの料理を早く聖様にも食べていただきたいわー」


 少々期待していたとはいえ、期待以上の誉め言葉に胸が震える。


「えぇ、私どもも大変満足いたしました」

「はい、こんな料理名人に下働きをさせていたなんてお恥ずかしいです。ごめんなさいね、リンリン何も知らなくて」

「いえいえーとんでもないです」


 先輩女中たちも、いい反応を示してくれた。

 残すは……


「ワシは気に入らんな!」


 平はギラリとリンリンを睨みつけ、面白くなさそうにフンっと鼻息を吹き出した。

 海老の卵油和えを気に入っていそうに見えたのは気のせいでただ単に空腹だっただけなのかもしれない。リンリンはまた肩を落とし、最後に残った楊玲の言葉を待った。


「私は気に入りましたよ。天子様や皇太后様、そして妃殿下方や御子様方に食して頂くのにふさわしいと思います」


 ずっと表情を変えぬままだった楊玲の高評価にリンリンは呆気にとられてしまい、喜びを感じる隙もないうちにガウがバンっと席を立ち大声を上げた。


「冗談じゃねぇ、いくら膳部長のお言葉でもワシは納得できねぇよ」

「そうですかガウさん、けれどリンリンをここに呼ぶように私に命じられたのは皇太后様なのですよ。東北の役人が土産で振舞った桃印の餡饅頭のことをお耳に挟まれて私が食して気に入ったら連れてくるようにと」

「え、え、そんな」

「平さんは皇太后さまに任せていただいたこの私の舌を、一切信用できぬということですね」


 氷のように冷たくつららのように尖った声で畳みかける楊玲に、平はぐうの音も出ず黙りこくってしまった。


「ではリンリン、明日からあなたは料理人です。東北の茶屋での総菜も結構なものでしたが、随分洗練されましたね」


 その時リンリンは、彼が微笑む姿を初めて目にした。

 雪の結晶のように透明で、実に美しい笑顔だった。

 それと同時に、彼が噂だけでなく実際に自分の料理を食べて、その上でここに呼んでもらえたことに胸が打ち震えるほどの喜びを感じていたのだった。




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