三鱗の残り香
赤式部
プロローグ
一三二一年(元応三年) 春
元服をしたがまだ若さの残る足利高氏は、鎌倉幕府の将軍に奉公していた。今は、その帰り道である。
足利高氏
「あれっ。雨だ。」
従者
「近くにある、浄光明寺に雨宿りをさせてもらいましょうか。」
浄光妙寺。北条氏の中で、本家である得宗家に次ぐ家格を有する、赤橋家の菩提寺。そこの軒で、雨宿りをしていると、中から僧侶が出てきた。彼は顔見知りで、雨はしばらくやまないだろうからと、気前よく高氏達を寺の中に入れてくれた。寺の中に行くと、そこには、一人の先客らしき女性がいた。
足利高氏
「では、貴方は駆け落ちした姉君の無事を祈願するためにこの寺に?」
女性
「はい。でも生憎この雨で帰れなくなってしまって…。密かに一人で来たものですから。貴方は、どうしてここに?やはり雨宿り?」
足利高氏
「ええ。私は将軍に奉公する者として、諸用で常磐亭に行ったのですが、その帰りにこの雨に…。それにしてもお姉君が羨ましい。こんなに思ってくれる妹がいるのだから。」
女性
「い、いえ…。確かに姉のことは慕ってはおりますが、今回祈願したのは、自分自身のためでもあるのです。」
足利高氏
「自分自身のため、ですか…?」
女性
「私、好いた人と結ばれることに憧れているんです。無理な望みだとは、わかってはいます。でもせめて姉上には、その望みを叶えてほしいと思って…。」
足利高氏
「そうなのですね…。いや、あなたにも、将来を添い遂げたい、そんな殿方が現れて結ばれることができますよ。きっと。」
女性
「私も、ですか。」
足利高氏
「御仏はきっと信心深いあなたに、いつか姉君と同じように、素晴らしい御縁を結んでくださると、存じております。」
雨が止み、その帰り道。
従者
「美しい女性でしたね。ずいぶんと親しげに話されていましたが、もしあの女性を正室に迎えることができれば、 きっと若様のお立場も確実なものになるのでは?」
足利高氏
「冗談はよせ。彼女は高嶺の花だ。それに私には既に雛子(加古氏の姫)がいる。」
女性の名前は、赤橋登子。現赤橋家現当主、赤橋守時の末妹である。
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