第一章

登場人物

随時修正します。

北条氏

「赤橋家」

数多くある北条氏の分家の一つで、北条義時の三男、北条重時を祖とする極楽寺流北条氏の嫡流。北条重時の嫡男である北条長時を祖とし、本家である得宗家に次ぐ家格である。


赤橋登子 (1306生まれ)

主人公の一人。赤橋家の姫で、足利高氏の正妻。7人兄弟の末っ子。文学や和歌を好む。幼いときに父と母を亡くしたため、兄の守時を父のように思っている。


赤橋守時 (1295生まれ)

赤橋家現当主。7人兄弟の長男。父の死後、11才で若くして、当主の座を受け継いだ。真面目な性格であり、幕府の仕事を熱心に行う傍ら、幼い兄弟たちを育ててきた。16代執権。益時という嫡男がいる。


赤橋英時 (1302(仮)生まれ)

九州探題。7人兄弟の三男。1321年に九州探題に任命され、善政を行う。教養人であり、特に和歌の才能に関しては、兄弟の中でも一番である。


赤橋/金沢種時 

(1296(仮)生まれ)

7人兄弟の次男。異母弟である英時の九州行きに付き添い、支える。

金沢流の養子となっている。


赤橋宗時 (1304(仮)〜1321(仮))

7人兄弟の四男。若くして亡くなった。

宗四郎(重時)という男子がいる。


赤橋桜子(仮)/春渓尼(仮)

(1298(仮)生まれ)

7人兄弟の長女。得宗一門である北条貞規に嫁ぐが、若くして夫と死別する。出家後、その悲しみを和げるために、国際色豊かな博多を一目見ようと、兄英時の九州行きに付きそう。兄である英時同様、和歌の才能がある。


赤橋種子 (1303(仮)生まれ)

7人兄弟の次女。母は種時と同じく、側室である。お天破な性格であり、兄の反対を押し切って、貴族の正親町公蔭と駆け落ち結婚をする。


「得宗家」

北条家の本家。本来足利家などと比べてもそこまで家格は高くはなかったが、御家人達との烏帽子親関係や、婚姻関係、そして歴代当主の政治手腕により、鎌倉幕府で大きな力を持っている。


北条高時【太守、崇鑑】(1303生まれ)

北条家当主。14代執権。激務に次ぐ激務である執権と、政治力も根拠に力を持っていた北条氏の当主としては、相応しくない虚弱体質である。政治を省みようとするも、余りにも病弱であり、遂に1326年に大病を患い、執権を退き出家する。


万寿丸(1324生まれ)

高時の長男。高時の嫡男と見なされてはいるが、安達の姫である正室ではなく、五大院家の姫である側室の常葉前を母に持つ為、安達の姫である祖母の覚海尼から嫌われている。


亀寿丸(1329生まれ)

高時の次男坊。諏訪家の姫である、側室の二位殿を母に持つ。足利高氏と同じく、家督を継ぐ見込みはなかったが…


北条泰家【相模四郎】(1306(仮)生まれ)

高時の同母弟。虚弱で優しい兄とは違い、図太く野心家な性格である。


「金沢家」

北条氏の数多くの分家の一つ。金沢文庫をつくるなど、学問を重んじる家系。


金沢貞顕【越後六郎】(1278生まれ)

金沢家当主。足利貞氏の義弟。姉に、足利貞氏に嫁ぎ、足利高義を産んだ釈迦堂殿(1277(仮)〜1318(仮))がいる。真面目で穏和な性格だが、それ故に周りに振り回される苦労人。15代執権。



足利氏

「足利家」

鎌倉幕府の有力氏族で、将軍家の一門たる御門葉の地位をもつ足利氏の本家。北条家と婚姻関係で代々深く結ばれてきている。


足利高氏(1305生まれ)

赤橋登子の夫。足利貞氏の次男坊。本来ならば本家を継げる立場ではなかったが、兄の高義が早世したため、彼の幼い遺児が家督を継ぐまでの中継ぎとして期待されるようになった。細かいことは気にしないのんびりした性格。和歌に興味がある。


足利高国(1307生まれ)

足利貞氏の三男坊で、足利高氏の同母弟。非常に真面目な性格であり、鎌倉幕府の現状が腐敗しているとして、不満を抱いている。学問を好み、漢学はもちろん、兄の影響で、和歌にも興味をもつようになった。


足利貞氏【讃岐守殿】(1273生まれ)

足利家当主。非常に真面目な性格。嫡男の高義に家督を譲っていたが、彼が早世したため、再び当主となった。表向きは、北条家に従順であるが、不満を抱いている。


足利高義【延福寺殿】(1297〜1317)

足利貞氏の長男。貞氏の正室である、金沢家の釈迦殿(1278(仮)〜1318(仮))を母にもつ。嫡男として期待されていたが、大仏流北条氏の女性(仮)との間に三郎という男子を残し、父貞氏よりも早くに亡くなった。 


足利千寿王(1330生まれ)

足利高氏と赤橋登子の間に生まれた子。高氏の嫡男。表向きは次男とされているが…。


「加古家」

足利氏の数多くある分家の一つ


加古雛子(1302(仮)〜1323(仮))

足利高氏の妻。長男の竹若丸を産むが、産後の肥立ちが悪く、程なくして亡くなってしまった。


竹若丸(1322(仮)生まれ)

足利高氏の長男。高氏が赤橋登子と再婚したのに伴い出家し、伯父である覚遍が別当を務める伊豆走湯山へ引き取られた。


覚遍

雛子の兄。伊豆走湯山別当を務める。甥の竹若丸を引き取る。



足利氏に仕える人々

「上杉家」

元々は京の中流貴族だったが、上杉重房の代に代6代将軍である宗尊親王に付き従い、鎌倉に下向し、足利家に仕えるようになる。


上杉清子(1270生まれ)

足利貞氏の側室で、高氏、高国の母親。足利貞氏とは幼なじみである。文学や和歌に詳しく、息子二人の文化的素養に大きく影響を与える。


上杉憲房

清子の弟。長兄の重顕が早世したあと、次兄の頼成を差し置いて、上杉家当主となる。甥である高氏に期待しており、彼の次期足利家当主としての立場を確かなものにする為に、赤橋登子を正室として迎えるよう勧める。


「高階家」

足利家に、代々執事として仕える家系。略称は「高」


高師重

高家の当主。兄の師行の死後、家督を受け継いだ。


高師泰【四郎】(1298(仮)生まれ)

師重の長男。少々粗暴だが、自分を差し置いて高家の家督を継ぐことになった、弟の師直にも優しく接する、根は温かい性格。


高師直【五郎】(1300(仮)生まれ)

師重の次男。実力と母の身分から、兄の師泰を差し置いて、師重の嫡男と見なされている。何でもこなす完璧執事で、高氏、高国からの信頼は厚い。



幕政に関わる有力一族

「安達家」

鎌倉幕府の有力氏族。足利氏以上に、北条氏特に得宗家(本家)との関係が深い。


安達時顕(1285生まれ)

北条高時の舅。長崎円喜共に、第9代執権の北条貞時に死の間際、当時まだ幼かった彼の息子、北条高時の後見を託された。


覚海尼

北条高時、泰時の母。第九代執権であった北条貞時の妻。女傑。身体の弱い長男である高時を心配する。


「長崎家」

元々北条家の得宗被官の氏族であったため、家格はそこまで高くなかったが、鎌倉末期には幕府の政治の中枢に関わるようになる。


長崎円喜

安達時顕と共に、北条貞時に死の間際、当時まだ幼かった北条高時の後見を託される。幕府の政治に大きな影響を持っている。


長崎高資

円喜の嫡男。父の威光を盾に横暴な行動が少し目立つ。


「少弐家」

島津、大友と並ぶ、九州の名族。


少弐貞経(1272生まれ)

五代目当主。九州探題の赤橋英時と並ぶ武家歌人である。


少弐頼尚(1294生まれ)

六代目当主。一男一女がいる。










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