第七話 足利の子と北条の子

一三三〇年(元徳二年) 夏

登子は、無事に男子を出産した。名を千寿王という。


足利高氏

「いやー。そなたにも子にも大事なく終えて良かった!登子、その後も身体に不調はないか?」

赤橋登子

「ええ。大丈夫です。お気遣いうれしゅうございます。無事に男子が産まれ、一先ずは安心ですね。」



何日かして、守時が祝いに来てくれた。


赤橋守時

「ご苦労であったな。登子」

赤橋登子

「ありがとうございます。兄上。これで一先ずの御役目ははたせました。そういえば、博多のほうからも、祝いの手紙を頂いたんです。宗四郎の元服といい、今年はめでたい年だ、と。」

宗四郎とは、登子の末兄である宗時の息子である。英時が代わりに博多で育てていたのであった。


赤橋守時

「そうか、宗四郎も元服したんだったな。しかし、こうも吉事が続くと、なにか次には悪いことが起こるような気もして、怖いな。禍福糾縄ともいうだろう?」

赤橋登子

「いやですわ、兄上。滅多なことを言わないでくださいませ。」


しかし足利家の執事であった高師重には、千寿王が生まれたことに対して思うところがあったようで―――


高師重

「しかし恐れながら不謹慎なことと理解したうえで申し上げますが、嫡流の方をどうするおつもりですか。安芸守様(足利高義の遺児)は元服なさったばかりですが、又太郎様(足利高氏)を次期当主とし、千寿王様を嫡孫とするのでしょうか。」

足利貞氏

「あぁ、それに関しては、私は千寿王を嫡孫にしようと思っておる。竹若の処遇も、それを見越しての話だったしな。義弟殿(金沢貞顕)も、三郎(足利高義の遺児)の母方の実家も、それで構わないと言うておる。」

赤橋家は、北条得宗家(本家)に次ぐ家格を有し、その当主であり千寿王の外叔父である赤橋守時は、実権はあまりないとはいえ、執権として幕政を担っている。金沢家も、15歳となって元服した、高義の遺児(三郎)の母方の実家も、いずれも北条氏の分家ではあるが、赤橋家には及ばない。それを見越して、上杉家は甥である高氏と赤橋登子の婚姻をすすめた。


足利貞氏

「まぁ、北条得宗家の意向しだいだな。太守殿が、上杉を母にもつ又太郎よりも、三郎(足利高義の遺児)を当主にしたいというのであれば、それに従うしか他ない。」

高師泰

「おかしな話でございますな。足利家の当主を決めるのに、いちいち得宗家の顔を伺わなくてはいけないとは。なぁ五郎(高師直)」

高師直

「よせ、兄上。」

足利高国

「全くもって師泰の言う通りではある。しかしここで意に背くことはしないほうが良い。父上、私が得宗の意向を探ってみます。」

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