第十二話 元弘の乱


一三三一年(元応三/元弘元年)  

~赤坂城(河内国)にて~


足利高氏

「やっかいな相手だな。楠木殿というのは」

足利高国

「ええ。少人数ということを最大限に活かしている。」


倒幕の企てが失敗した後、笠置山に立て籠った後醍醐の帝。彼はその後捕縛されてしまった。楠木正成率いる楠木党は、赤坂城に護良親王と共に立て籠り、奮戦をした。


その後、十月に入り、無事、赤坂城を陥落をしたのだが…


佐々木道誉

「これはこれは、足利殿。いやー。大変でしたな。ひとまず無事に鎮圧できてよかった。」

どこか含みのある満面の笑みで、高氏に声を懸けたのは、佐々木道誉である。彼の本拠地は近江国であり、この戦にも幕府方として出陣していた。


足利高氏

「ええ。ひとまずは。」

佐々木道誉

「…足利殿は、この戦、これで全て終わったとお思いかな?」

足利高氏

「さぁ。どうでしょう。私にはわかりかねます。」

佐々木道誉

「もし、これにて戦が終わらぬとすれば…恐らく、帝は今後、承久の乱の時と同じく、流罪となられるだろうが、あのお方(御醍醐帝)が後鳥羽の帝とは違い、それで終わらぬような人であったならば、そなたはどうする。」

承久の乱にて、朝敵とされたにも関わらず、宮方(後鳥羽院)の軍を破るという前代未聞のことを成し遂げた北条義時は、その後、後鳥羽院を隠岐へと島流しとした。その後、後鳥羽院は隠岐島で、失意の内に亡くなった。


足利高氏

「何を言いたい。判官(道誉)殿。」

佐々木道誉

「承久の乱の時、当時執権として実権を握っており、朝敵にされた本人、義時公は、皆から認められるほどの政治力を持っていた。そもそも、北条氏は実力で成りあがった一族だ。彼らが圧倒的な力を持っているのは、その本家(得宗家)が将軍の代わりとして、実権を握ってきたからだ。」

足利高氏

「…。」

佐々木道誉

「まぁ、太守殿(北条高時)は、悪い人ではないがな。私もあの方は好きだ。でも、かつて頼朝公の御文葉とされた義兼公をご先祖にもちながら、どこか窮屈な思いをしながら北条氏と仲良しこよししなくてはいけぬそなたなら、なにか、この戦に思う所はあるのではないか。」

足利高氏

「…」

無いといえば、嘘になる。父との会話のことも含めて。


佐々木道誉

「なーんて、冗談だ、冗談。あっはは。」

思い悩む高氏を横目に、そう言って道誉は去っていった。


その後、高氏が、探題であり幼馴染でもある普恩寺仲時に呼ばれたのは、鎌倉に帰ろうとした矢先であった。

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