第二章

登場人物

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北条氏

「赤橋」

数多くある北条氏の分家の一つで、北条義時の三男、北条重時を祖とする極楽寺流北条氏の嫡流。北条重時の嫡男である北条長時を祖とし、本家である得宗家に次ぐ家格である。


赤橋登子 (1306生まれ)

主人公の一人。赤橋家の姫で、足利高氏の正妻。7人兄弟の末っ子。文学や和歌を好む。幼いときに父と母を亡くしたため、兄の守時を父のように思っている。


赤橋守時 (1295生まれ)

赤橋家現当主。7人兄弟の長男。父の死後、11才で若くして、当主の座を受け継いだ。真面目な性格であり、幕府の仕事を熱心に行う傍ら、幼い兄弟たちを育ててきた。16代執権。益時という嫡男がいる。


赤橋英時 (1302(仮)生まれ)

九州探題。7人兄弟の三男。1321年(元亨元年)に九州探題に任命され、善政を行う。教養人であり、特に和歌の才能に関しては、兄弟の中でも一番である。


規矩高政(1313(仮)生まれ)

赤橋英時の養子。


赤橋/金沢種時(1296(仮)生まれ)

7人兄弟の次男。異母弟である英時の九州行きに付き添い、支える。

金沢家の養子となっている。


赤橋種子 (1303(仮)生まれ)

7人兄弟の次女。母は種時と同じく側室である。お天破な性格であり、兄の反対を押し切って、貴族の正親町公蔭と駆け落ち結婚をする。


赤橋桜子(仮)/春渓尼(仮)(1298(仮)生まれ)

7人兄弟の長女。得宗一門である北条貞規に嫁ぐが、若くして夫と死別する。出家後、その悲しみを和げるために、国際色豊かな博多を一目見ようと、兄英時の九州行きに付きそう。兄である英時同様、和歌の才能がある。


赤橋宗時 (1304(仮)〜1321(仮))

7人兄弟の四男。若くして亡くなった。


赤橋重時(1320(仮)生まれ)

宗時の息子。鎮西探題の叔父である英時に、博多で育てられる。


「得宗」

北条家の本家。本来足利家などと比べてもそこまで家格は高くはなかったが、御家人達との烏帽子親関係や、婚姻関係、そして歴代当主の政治手腕により、鎌倉幕府で大きな力を持っている。


北条高時【太守/崇鑑】(1303生まれ)

北条家当主。14代執権。激務に次ぐ激務である執権と、政治力も根拠に力を持っていた北条氏の当主としては、相応しくない虚弱体質である。政治を省みようとするも、余りにも病弱であり、遂に1326年に大病を患い、執権を退き出家する。


北条邦時【太郎】(1324生まれ) 

高時の長男。高時の嫡男と見なされてはいるが、安達の姫である正室ではなく、五大院家の姫である側室の常葉前を母に持つ為、安達氏である祖母の覚海尼から嫌われている。


亀寿丸【次郎】(1329生まれ)

高時の次男坊。諏訪家の姫である、側室の二位殿を母に持つ。普恩寺竹寿丸とは母方の従兄弟にあたる。足利高氏と同じく、家督を継ぐ見込みはなかったが…


北条泰家【四郎】(1306(仮)生まれ)

高時の同母弟。虚弱で優しい兄とは違い、図太く野心家な性格である。


「金沢」

北条氏の数多くの分家の一つ。金沢文庫をつくるなど、学問を重んじる家系。


金沢貞顕(1278生まれ)

金沢家当主。足利貞氏の義弟。姉に、足利貞氏に嫁ぎ、足利高義を産んだ釈迦堂殿(1277(仮)〜1318(仮))がいる。真面目で穏和な性格だが、それ故に周りに振り回される苦労人。15代執権。


金沢貞将(1302生まれ)

貞将の嫡男。1330年まで六波羅探題南方として京にいた。二人息子がいる。


金沢貞冬(1306(仮)生まれ)

貞顕の側室腹の子。明るい性格。足利兄弟にとっては腹違いの兄(高義)の、母方の従兄弟というのもあり、幼馴染である。


「普恩寺」

極楽寺流北条氏の中で、赤橋家に次ぐ家格を有する、数多くある北条氏の分家の一つ。


普恩寺基時【信忍】

普恩寺家前当主。第十三代執権。出家し、隠居している。


普恩寺仲時(1306生まれ)

普恩寺家現当主。北面の六波羅探題として上京する。足利兄弟と幼馴染。

騎射の腕前が、他の武士達以上に優れている。


松寿丸(1322(仮)生まれ)

仲時と、正室の間に生まれた嫡男。父である仲時に付き従い、上洛する。


梅(仮)

松寿丸の同母妹。父である仲時と共に京に移り住む。


普恩寺高基(1314(仮)生まれ)

基時の次男。上京した兄に代わり、普恩寺家を仕切る。


竹寿丸(仮)(1329(仮)生まれ)

高基の嫡男。忙しい父に代わり、祖父の普恩寺基時に養育される。高時の次男である亀寿丸とは、母親が姉妹同士の従兄弟にあたる。


「名越」

北条家の数多くの分家の一つ


名越高家(1300(仮)生まれ)

名越家現当主。今川の姫(今川高子)を嫁にもらう。


名越高邦(1320(仮)生まれ)

高家の嫡男。母は今川高子(仮)


名越弥次郎(仮)(1330(仮)生まれ)

高家の次男。母は今川高子(仮)



足利氏

「足利」

鎌倉幕府の有力氏族で、将軍家の一門たる御門葉の地位をもつ足利氏の本家。北条家と婚姻関係で代々深く結ばれてきている。


足利高氏【又太郎】(1305生まれ)

赤橋登子の夫。足利貞氏の次男坊。本来ならば本家を継げる立場ではなかったが、兄の高義が早世したため、彼の幼い遺児が家督を継ぐまでの中継ぎとして期待されるようになった。細かいことは気にしないのんびりした性格。和歌に興味がある。


千寿王(1330生まれ)

足利高氏と赤橋登子の間に生まれた子。高氏の嫡男。表向きは次男とされている。しかし今熊野という次兄(落胤)がいるため、実は三男である。


足利貞氏(1273生まれ)

足利家当主。非常に真面目な性格。嫡男の高義に家督を譲っていたが、彼が早世したため、再び当主となった。表向きは、北条家に従順であるが、不満を抱いている。


足利高国(1307生まれ)

貞氏の三男坊で、高氏の同母弟。非常に真面目な性格であり、鎌倉幕府の現状が腐敗しているとして、不満を抱いている。学問を好み、漢学はもちろん、高氏の影響で、和歌にも興味をもつようになった。


足利高義【延福寺殿】(1297〜1317)

貞氏の長男。貞氏の正室である、金沢流北条氏の釈迦殿(1277(仮)〜1318(仮))を母にもつ。嫡男として期待されていたが、大仏流北条氏(仮)の妻との間に、三郎という男子を残し、父貞氏よりも早くに亡くなった。 


足利家時(1260~1284)

貞氏の父。高氏、高国、高義の祖父。上杉家の女性を母に持つ。

謎の自害を遂げる。


今熊野(1327生まれ)

高氏の落胤。高氏が赤橋登子と結婚する少し前に、一夜関係を結んでしまった女性との間にできた子。東勝寺に預けられている。


「加古」

足利氏の数多くある分家の一つ


加古雛子(仮)(1302(仮)〜1323(仮))

足利高氏の妻。長男の竹若丸を産むが、産後の肥立ちが悪く、程なくして亡くなってしまった。


竹若丸(1322(仮)生まれ)

足利高氏の長男。高氏が赤橋登子と再婚したのに伴い出家し、伯父である覚遍が別当を務める伊豆走湯山へ引き取られた。


覚遍

雛子の兄。伊豆走湯山別当を務める。甥の竹若丸を引き取る。


「渋川」

足利氏の数ある分家の一つ。かなり高い家格を有する。


渋川頼子(1307生まれ(仮))

現当主である渋川義季の姉。足利高国の妻。天真爛漫で明るい性格。


「吉良」

足利氏の数多くある分家の一つ。足利氏庶流の中でも、かなり高い家格を有する。


吉良貞義

三代目当主。北条家に対して強い怒りを抱いている。


吉良満義

四代目当主。足利直義からの信頼が厚い。


「今川」

吉良家から更に分かれた、今川国氏を初代とする足利家の分家の一つ


今川高子(仮)(1295(仮))

今川家当主の今川基氏の娘。名越高家に嫁ぐ。


「細川」

足利氏の数ある分家のひとつ


細川頼春

細川家の武将。幼い息子がいる。


足利氏に仕える人々

「上杉」

元々は京の中流貴族だったが、上杉重房の代に代6代将軍である宗尊親王に付き従い、鎌倉に下向し、足利家に仕えるようになる。


上杉清子(1270生まれ)

足利貞氏の側室で、高氏、高国の母親。足利貞氏とは幼なじみである。文学や和歌に詳しく、息子二人の文化的素養に大きく影響を与える。


上杉憲房

清子の弟。長兄の重顕が早世したあと、次兄の頼成を差し置いて、上杉家当主となる。甥である高氏に期待しており、彼の次期足利家当主としての立場を確かなものにする為に、赤橋登子を正室として迎えるよう勧める。


「高階」

足利家に、代々執事として仕える家系。略称は「高」


高師重

高家の当主。兄の師行の死後、家督を受け継いだ。


高師泰【四郎】(1298(仮)生まれ)

師重の長男。少々粗暴だが、自分を差し置いて高家の家督を継ぐことになった、弟の師直にも優しく接する、根は温かい性格。


高師直【五郎】(1300(仮)生まれ)

師重の次男。実力と母の身分から、兄の師泰を差し置いて、師重の嫡男と見なされている。何でもこなす完璧執事で、高氏、高国からの信頼は厚い。



新田氏

「新田本家」

上野国に拠点を持っている名門の一族。元は足利と同じく河内源氏の名門だったが、扱いはあまり良くなかった。


新田義貞(1301生まれ)

新田氏の当主。


脇屋義助(1305)

新田義貞の異母弟。



幕政に関わる有力一族

「安達」

鎌倉幕府の有力氏族。足利氏以上に、北条氏特に得宗家(本家)との関係が深い。


安達時顕(1285生まれ)

北条高時の舅。長崎円喜共に、第9代執権の北条貞時に死の間際、当時まだ幼かった彼の息子、北条高時の後見を託された。


覚海尼

北条高時、泰時の母。北条貞時の妻。女傑。身体の弱い長男である高時を心配する。


「長崎家」

元々北条家の得宗被官の氏族であった、家格はそこまで高くなかったが、鎌倉末期には幕府の政治の中枢に関わるようになる。


長崎円喜

安達時顕と共に、北条貞時に死の間際、当時まだ幼かった北条高時の後見を託される。幕府の政治に大きな影響を持っている。


長崎高資

円喜の嫡男。父の威光を盾に横暴な行動が少し目立つ。


長崎為基

円喜と高資親子の親戚。北条氏への忠誠心が強い。


「京極」

宇多源氏を祖とし近江に拠点を置く幕府の重臣の一族である佐々木氏の、一分家。


京極(佐々木)道誉(1295生まれ)

北条高時の側近であり、検非違司。高時が大病を患い出家した時にはともに出家した。高氏のことが気に入っており、よくからかう。


「諏訪」

北条氏に仕えている一族。由緒正しく、代々諏訪大社の大祝も務める・

諏訪頼重

諏訪大社の元大祝。


諏訪直性(諏訪木工左衛門)

頼重の兄。



反幕府を掲げる人達

「楠木」

北条氏の被官一族ともされているが、詳細は不明であり謎が多い。


楠木正成

北条氏の被官(身内人)であったとされているが、河内を拠点とし、幕府に対し反乱を主導する。軍略に優れている。



九州で活躍する人々

「少弐」

島津、大友と並ぶ、九州の名族。


少弐貞経(1272生まれ)

五代目当主。九州探題の赤橋英時と並ぶ武家歌人である。


少弐頼尚(1294生まれ)

六代目当主。一男一女がいる。



「大友」

島津、少弐に並ぶ、九州の名族。


大友貞宗

六代目当主。


朝延

「大覚寺統」

後醍醐天皇【尊治】 (1288生まれ)

第96代天皇。第94代天皇であった、後二条天皇の弟。本来は、大覚寺統の中継ぎの天皇であったが、野心が強く、また理想が高い。何度失敗してもあきらめない、強靭な心の持ち主で、日本屈指の存在感を放つ天皇の一人。一方、皇后の西園寺禧子を一途に愛する一面もある。


西園寺禧子

後醍醐天皇の皇后。関東申次(幕府と朝廷をつなぐ)を担う、西園寺家の女性。屈指の教養を持つ女性であり、後醍醐天皇の寵愛を受ける。しかし彼らの間には、なかなか皇子ができない。


世良親王 (1307~1330)

後醍醐天皇の第二皇子。母は、皇后(西園寺禧子)と同じ、西園寺家の女性。母親の身分としても、実力としても、父親から最も信任を期待を受けていたが、若くして病でなくなってしまう。


「持統院統」

量仁親王

持統院統の嫡流。叔父の花園天皇の高度な教育を受ける。第93代天皇であった、後伏見天皇の皇子。


「貴族達」

正親町公蔭

京極派(和歌)第一人者。養父である京極為継の失脚により、官職を失う。そんな折に、赤橋種子と駆け落ちをして、結ばれる。夫婦中は良好で、子が何人かいる。


吉田定房

御醍醐天皇の側近の一人であり、信任厚い。

























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