第十七話 登子の選ぶ道
〜鎌倉にて〜
実家である北条家と、夫の軍の戦が始まってしまうのだろうか――
高氏を京へと見送った登子の心は、そんな不安を抱え落ち着かずにいた。だが、登子は守時に、足利家の不穏な動きを密告はしないと固く心に決めてはいた。
しかし、落ち着かぬ心は顔にでていたのだろうか。足利一門の渋川家の姫で、義弟である高国の嫁、頼子に心配されてしまった。
渋川頼子
「夫君の身が不安ですか?
赤橋登子
「えぇ。そんなところかしら。」
渋川頼子
「私も同じです。武士の妻として逃れられない運命だとわかっていても…」
でも一方で…
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
高国は頼子に、この崇徳院が詠んだ和歌を残して戦に向かった。だから頼子は、信じたいとも思っていた。きっと、生きてまた会えることを。
戦況が分からず、不安な状況。しかし五月二日、遂に高氏からの使いだという男が屋敷を訪れた。
赤橋登子
「どうしたというのです。もしや、殿の身になにか?」
高氏の使者
「いいえ。そうではありません。ですがお方様、並びに千寿王様には、この鎌倉をでて、北条の追手のかからぬところまで落ち延びよ、と殿のご命でございます。」
赤橋登子
「殿が、そのようなご指示を?それは、つまり、殿がこの鎌倉に…北条に弓引くおつもりであるということか?」
嫁いできたときに北条から連れてきていた侍女たちは、悲鳴をあげた。登子に動揺はなかった。なんとなくそのようなことが起こることを感じ取っていたから。
高氏の使者
「お静かに。動揺なさるのは当然かと存じますが、余り時間はございません。できるだけ早く、そして内密に身支度を整えて頂きたい。」
赤橋登子
(恐れていたことが起こってしまった…なぜ、足利は北条家に反旗を?いや、今考えても仕方のないこと。)
さて、どうするか。千寿王を逃がすのは確定として、気がかりなのは守時の立場である。確実に関与を疑われて、責任を取らされるだろう。登子自身が、守時の関与を否定する文を残しておいても、疑惑が確実に晴れるとは限らない。登子が自害をすれば、話は変わってくるが。
赤橋登子
(私は、父親代わりの兄上に何の孝行もできていない。それどころか、北条と足利をつなぐこともできず、尊氏様の北条への離反を事前に察知しながら、それを伝えることもせず、その子である千寿王を脱出させるという裏切りさえ行おうとしている。なればこそ、自害してせめてもの孝行としたいけど…。でも…。)
その一方で、登子の頭の中にあるのは、万一にも北条が敗れた場合だ。
もし登子が生きていたら、北条の生き残りや遺族達の保護に少しは役にたてるかもしれない。それに高氏は、登子の疑念を否定しようとはしなかった。登子が北条に密告するかもしれないのに。なればこそ登子も、高氏が言ってくれた、何があっても見捨てはしない、という言葉を信じ、千寿王と共に待っているべきだと思った。
赤橋登子
「わかりました。渋川殿。手伝ってくれる?」
渋川頼子
「はい、もちろん。」
登子が選んだのは、千寿王の母として、足利本家の当主の妻として、千寿王と一緒に鎌倉を脱出し、高氏を信じて待ち続けることだった。
登子は、千寿王や頼子を含めた足利屋敷の者の何人かを連れて鎌倉を抜け出し、追っ手にかからぬところまで逃げ、身を隠した。
その夜、登子は人知れず涙を流した。
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