第12話 皇国軍式ブートキャンプ

「さて、お前らにはこれから山へ行ってもらう」


 腕を縛られたまま牢獄に放り込まれて、一夜を明かした翌日。

 呼び出された先にいた金髪碧眼の男は、アウローラと軽薄な男へとナイフを放り投げてそんなことを告げた。


「……山?」


 首を傾げる捕虜二人を前に、男はにやりと白い歯を見せて笑った。


「そうだ。ここから西に半日ほど行った先に、自然豊かな山がある。あいにく、お前たち捕虜の分の十分な食料はこの拠点にはないからな。自給自足というやつだ。まあ、次の訓練の時には呼びに行ってやるよ」


 はぁ、と気のない返事をしたアウローラを見て何を思ったのか、男は一瞬にして全身の筋肉を隆起させる。バチン、バチンと制服のボタンがはじけ飛び、その一つがアウローラの横に立っていた男の額に直撃した。

 あいたぁ、と気の抜けた悲鳴が響いた。


「もし逃げ出すようなことがあったら、オレが地の果てまで追いかけてやるよ。追跡魔法っつう少々珍しい魔法が使えてだな。まあ、要はオレに勝つ度胸がねぇんなら逃げるのはやめとけ」


 嘘か本当か判断のつかない「追跡魔法」などという物を持ちだされても、アウローラの心は変わらなかった。もとより逃走する気がない上に、鳥肌が立つような戦士としての格の違いを見せつけられては、反抗する気も起きなかった。


 はぁ、ともう一度気のない返事をしてから、二人を呼びに来た移動中の見張りと称する男に連れられて、実にあっさりと皇国の砦から放り出された。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「だらしねぇなぁ。それでも兵士か?あんちゃんは結構やるんだがなぁ」


「わた、しは、回復、兵、ですよ……はぁ、こんな、走るの、久々、で……うっ」


 走って半日という距離にある森まで休むことなく疾走したアウローラは、見張りの兵だという男に残念なものを見る目で見られながら、回復兵という後方支援だからこんなものですよ、と己に言い聞かせるように告げた。

 最も、流石のアウローラも自分の体力のなさを痛感してから、これからは体力をしっかり鍛えていこうと、その目に決意の光を宿していた。

 ――半日ぶっ通しで走り続けられる辺りすでにアウローラには十分な体力と根性があるのだが、周りの異常性に認識がおかしくなっていた。


 んじゃ、また後で迎えに来るな――そう言って、男性兵は行きの倍速ほど、すなわち限りなく全力疾走に近い速度で来た道を引き返していった。

 すでに周囲がうす暗くなり始めた状況で、果たして彼はいつまでに拠点に戻るのだろうかと、アウローラは頭が上がらない思いだった。


「おーい、そろそろ行動しないと日が暮れるよぉ?」


 いつの間にかひょろりと高い木に登り、その枝に両足を引っかけてぶら下がっていた捕虜の相方がアウローラを急かした。

 少しだけ息を整えたアウローラは、膝から手を離して男の下へと歩き出す。


「それで、ええと……」


「ああ、自己紹介がまだだったね。ボクはホウエン。魔道具という夢を追うしがない男だよ。よろしくね、アウローラちゃん」


「……アウローラ。よろしく。」


 なんとも距離感の測りがたいホウエンが近づいてくるのに対して、アウローラは数歩後じさりしてバランスを保つ。互いの差が一メートルほどで固定されたのを感じて、アウローラはホッと息を吐いた。距離の近すぎるホウエンは、どうにもアウローラに苦手意識が生じていた。

 本性を隠すための仮面のような飄々とした態度に消えない微笑、何より相手のことを見透かすような深い色をした瞳が苦手だった。


「んー。それで、アウローラちゃん。この後何か計画とかってあったりするのかな?」


「何もない、ですよ?」


「あー、うん。オッケー。敬語でいいし、もう少し肩の力を抜こうよ。ボクたち、生き残った数少ない……ていうか唯一の帝国兵仲間でしょ?ね、ほら肩の力抜いてさぁ」


「……ホウエンさんも、ずいぶんなれなれしいというか、私との間に溝がないよね」


「うんうん、その調子。それで、溝って?」


「いえ、てっきり私のうわさは、あの砦にいた帝国兵全員に知れ渡っていると思っていたんだけど」


「んー?ああ、回復魔法がほとんど使えない回復兵ってやつだね!」


 ポンと手を打ったホウエンは、そんなことか、とばかりにつぶやく。ずい、と顔を近づけられ、アウローラは反射的に一歩下がった。


「知ってはいたんだけどねー、なんていうか、どうでもよかったってのが正解かな」


 どうでもよかった――そうおうむ返しのように繰り返すアウローラに、そうそう、とホウエンは頷いてみせる。


「だってさぁ。戦争で一番大事なのって、怪我をしないことでしょ。ボクは自分の戦士としての技量に自身があるし、怪我をする気もなかったんだよね。ほら、野生の危機判断で敵のすごい攻撃だって回避して今ここにいるくらいだからね」


 くるくると器用にナイフを片手で回しながら、ホウエンは楽しそうに笑み崩れる。けれど、夜へと移り変わっていく最後の日の光を吸い込むその目は、全く笑っていないように見えた。そして何より、その言葉は、ひどく空虚にアウローラの心に響いた。

 すごくうれしいことを言われているはずなのに、その言葉を素直に受け取れない自分が、アウローラは気持ち悪くさえあった。


「それにね、そもそもボクは、回復兵を精神的な頼りにする方がどうかと思うんだよ。回復兵は……そうだね、転ばぬ先の杖、じゃなくて、本当に起こった万が一の時のためにいる存在、程度に思っておくべきなじゃないかな、なんて思うんだよね。ほら、回復兵が要るっていう安心感だけで、いとも簡単に気が抜けちゃうものでしょ?だから、真の兵士たるボクは、回復兵に頼ることなく生きていく一匹オオカミでいるんだよ」


「……はぁ」


「いや、はぁ、ってどういうこと?今ボク、すごいいいこと言わなかった?」


「さぁ?」


「さぁって……まあいいや。こんなこといつまでも話しているといつになってもごはんにありつけないし寝床も手に入らないよねぇ。あ、アウローラちゃん、山歩きはどれくらい?」


「実家が辺境だから多少、くらいかな。夜目は利くほうだと思う」


「オッケー。それじゃ、いっちょ夜の登山と行こうか!」


 どこまでも楽しそうなホウエンに引っ張られるようにして、アウローラは夜の森に足を踏み入れた。


 踏み入れて、そして。自分の知っている森とは違うことに、アウローラは瞬時に意識を切り替えた。ピクニック気分で足を踏み入れるような場所では、なかった。皮膚が張り詰めて、汗がにじんだ。戦地に比べれば弱い、けれど明らかにそうとわかる死の気配が漂ってきていた。


「ふぅん、アウローラちゃんってさぁ、なんか訓練受けたことある?」


 張り詰めた空気を纏うアウローラを興味深げに観察しながら、ホウエンは相変わらず飄々とした態度を貫きながら岩を軽々と飛び越える。


「訓練……どんな?」


「そうだねぇ、気配を探る、とか、獣の動きを呼む、とかそんな感じ?なんか心当たりない?」


「……訓練はない、けど、戦場に来てから、こう……死の気配?みたいなのを感じるようになった気がする、と思う」


 ヒュゥ、と口笛一つ。その音が、どうしてかひどく懐かしく聞こえて、アウローラは気を引き締めないと、と首を振っておかしな郷愁を振り払った。


「それでまあ、アウローラちゃんの死の予感ってやつと、ボクの経験を合わせて言わせてもらうとね……ここ多分、人類圏外地ってやつだよ。ほら、人跡未踏の~とか、人類が未だかつて支配したことがない~とかいう形容が付くような、危険な土地」


「……悪魔に呪われた土地、みたいなやつ?」


「そうそれ!帝国では悪魔が棲む土地なんて言うけどね、その実態は魔物がうようよしてる場所なんだよねぇ。あ、魔物は知ってるよね?体内に大量の魔力を溜めておくためのコアを生成した元動物やら、元々魔物として魔力が集まって生まれたおかしな生物のことだね」


「それくらいは知ってるけど、ここが、その魔物がたくさん住む森?」


 母を食い殺したという魔物のことを思い出しアウローラはわずかに震える腕を反対の手で握りしめた。

 大丈夫、落ち着け、心を殺せ――もはやルーティーンになりかけていたその自己への命令を、ふと止める。

 これのせいでユリーカを助けられなかったと、そんな後悔が鎌首をもたげて、アウローラの息が少しだけ荒くなる。


「大丈夫?まさか怖くなった?多分そこまで気にすることはないよ?何せ魔物といってもその多くがちょっと力の強くなったただの動物だからねぇ」


「……ただの動物と言って熊でも出てきたら私は負けるよ」


「うん、その時はボクが助けてあげよう。割引しとくよ?」


「……お金なんて持ってない」


「だよねぇ。まあ出世払いでもいいよ……っと、来たみたいだねぇ」


 先ほどとは違った、明らかな死の気配が、そこにあった。体が震えたのも、一瞬のこと。それが皇国の攻撃の時に比べればよっぽど弱い空気だったことで、アウローラの心はすぐに平穏へと戻った。

 足を止めたホウエンが、鞘からナイフを抜き放つ。抜身の銀の刃が、木々の隙間から差し込む月の明かりを受けてわずかに煌めいた。


「さぁて、アウローラちゃん。ちょっと数が多いから、自衛くらいは頑張ってね?」


 それじゃ、と威勢のいい掛け声を上げて、ホウエンは颯爽と木々の先へと姿を消して。

 一人取り残されたアウローラの耳に、獣の遠吠えが聞こえて来た。


「ッ、狼⁉」


 故郷では森の狩人と呼び恐れて来た狼。その最大の特徴は数を活かした集団行動で。たった一人で森にいるアウローラには、本来逆立ちしたって勝てる相手ではなかった。

 けれど、勝たないと死ぬから。

 弱肉強食の自然界に自分がいることを痛感したアウローラは、ぎゅっと強くナイフの柄を握り、その刃を鞘から取り出す。

 祖母の言葉を思い出す。

 狼は臆病だから、いざという時は素早く一体目を撃退するんだよ――そんなことを言っていた祖母の華麗な枝裁きを思い出す。確かあの時、先頭を走っていた狼の鼻先を打ち抜いたのだと、アウローラは記憶を呼び起こす。


 その場でゆっくりと回りながら、片手で握ったナイフを茂みの先へと突き付ける。へっぴり腰なのはご愛敬。戦闘訓練などろくに受けていないアウローラは、柄を握る手がじっとりと汗で湿るのを感じながら、狼の襲撃に警戒し続けた。


 一秒、二秒、三秒――

 ふと、強い風が木の枝を揺らし、ガサガサと枝葉を鳴らした。

 アウローラがその音に気を取られてナイフを向けた、その一瞬。

 背後の茂みから襲い掛かった狼が、アウローラ目がけて勢いよくとびかかった。


「ッ⁉」


 反射的に、転ぶように横に飛べば、狼の鋭い爪と牙はアウローラに当たることなく空を切った。

 地面に手をついて起き上がろうとした、その時。

 背後と側面の三方向から、死の気配と枝葉が揺れる音を察知した。


 前に転がる。

 空を向いた視界に、背後からとびかかって来た狼の牙が映る。

 月の光を反射した牙が白く光り、アウローラの柔らかい肉を切り裂こうと迫って。


「やぁッ」


 振りぬいたナイフが、半ば偶然狼の牙に当たって、その体勢が傾いた。


 滑る狼の体へと、アウローラは反射的に拳を突き出した。

 腰の入っていない、力のない一撃。

 けれどそれは、記憶の中にある祖母の一撃のように、狼の鼻先を強打した。


 キャン、と悲鳴を上げた狼がアウローラから飛び退く。

 肩で息をするアウローラが、周囲を取り囲む四頭の狼を見ながら、手に握るナイフをあっちへこっちへと突き付ける。

 じりじりと互いの距離が迫って、そして。


「おっまたせー!」


 勢いよく木の枝から飛び下りて来たホウエンが、狼の一体へと頭上から飛び掛かった。

 想定外の奇襲を受けて、狼はほんの少し挙動が遅れて。


 それを逃すことのなかったホウエンが、その手に握る果実を、狼の横っ面へと叩き込んだ。

 割れた果実から強烈な臭気が広がり、その臭いを嗅いだアウローラが、警戒も忘れて反射的に声を上げる。


「グドシャの実!」


「良く知ってるね!」


 続けざまに放たれた二個の弾丸――悪臭の元凶が、狼の足と胴体に当たって弾ける。

 その臭いに鼻を歪めたようなおかしな顔をした狼たちは、一目散に森の奥へと逃げ出した。


 はぁぁ、と大きなため息をついてアウローラは地面に膝を付いた。


「おつかれー。でも大丈夫?そんな状態じゃあこの森でしばらく生き延びるなんてかなり無茶だと思うけど」


「…………頑張る」


 わずかに目のハイライトを消したアウローラは、それから「ん」とホウエンに手を突き出す。


「何、起こしてほしいの?まさか腰が抜けて立てないとか?仕方ないなぁ」


「違う。コレ」


 ほら、と握っていたアウローラの手がほどけ、とっさに受け止めたホウエンの手へと、その黒い粒がパラパラと落ちる。


「……何これ」


「肉の臭み消しに仕えるトガリの実。後は虫よけに仕えるムシバライ草。これはいぶせば使える。後、ボムの実。強い衝撃を与えると火花を散らす多くの森林火災の元凶で嫌われ者だけど、火をおこすのに使える」


 腰にぶらさげていた草や、あるいはそこらの葉っぱや蔓で作った即席のポーチから次々と植物が出てくるのを見て、ホウエンはぽかんと口を開けて固まった。

 それから、いぶかしそうな視線を向けるアウローラの顔をまじまじと見て、ホウエンはおかしそうに笑った。


「……何?」


「いやぁ、なんでもないよ。それで、最近の回復兵は薬草学なんて修めてるものなの?」


「ううん、これは私が薬屋をやってたから」


「へぇ、薬屋ねぇ。まあうん、少しは森での生活に希望が見えて来たんじゃない?」


「……毒虫への対応を考えれば、もう数種類薬草が欲しい」


 少しだけ目を輝かせて薬草を探すアウローラを見て、やっぱりホウエンは楽しそうに笑った。






 ぱちぱちと火の粉が爆ぜる音が響く。それに合わせて、くぅくぅと静かな寝息が夜の森に響く。焚火に新しく枝を放り込んだホウエンは、葉っぱを布団にして小動物のように体を丸めて眠るアウローラに無機質な視線を向けた。


「…………外れかな。イエルのことを何か知っているかもしれないと思ったけど、ただの度胸のある回復魔法使いみたいだね。あ、薬屋かな。まあなんにせよ、完全に無駄足に終わったのは痛いよねぇ。全く、どやされるのはボクだっていうのにさぁ。こんなのんきに寝てくれちゃって、ほんと、襲ってくれって言ってるようなものだよね」


 まあ年齢もタイプも駄目だし襲わないけどねぇ、と薄く笑って、ホウエンはアウローラから視線を戻して焚火を見つめる。


 はぜる火の粉をぼんやりと眺めながら、その思考では高速で今後の計画が練られていた。

 探し人に関する情報はなかったが、とはいえ面白い収穫もあった。


 横で眠る、使回復魔法使いのことを思って。

 はてさてどんな実験をしたら彼女は魔法を使えるようになるんだろうかと、そんな知的好奇心に身を任せながら、ホウエンの長い夜は過ぎていった。

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