第36話 再戦の狼煙

 呪術。

 精霊の支配と、負の感情による魔法の行使。それは高位のドラゴンを使役するほどの力になるが、アウローラが女から聞き出した情報には、足りない点も多かった。


 第一に、ファイアドラゴンを女が使役できたのは、偶然遭遇できたファイアドラゴンが長い冬眠中にあり、支配された複数の精霊を憑依させられて使役されるまで起きなかったこと。一般の使役魔法では、アウローラでも斃せるような弱い魔物を複数体使役できる程度だった。


 第二に、皇国に侵入した呪術師の数。

 帝国の虎の子部隊である呪術師の内に、皇国に送り込まれたのは実に八人。

 たったそれだけが集めた魔物だけでは、いくら首都を襲っても大した被害になるはずがなかった。


 呪術というものに、何よりも帝国の秘匿部隊という地位に目をくらませた貴族の集まりである呪術師たちは、まともに自らの力を把握できていなかった。


 そして第三に、皇国が侵入した呪術師の存在を、首都襲撃前に察知していたこと。

 各地の魔物の異常と、嫌な気配。魔法や魔道具の文化で帝国に数十年勝る皇国は、独自の調査手段によってそれらの異変の原因を突き止め、呪術師たちの排除に成功していた。


 そうして、アウローラが一人、皇国が六人の呪術師を無事に斃すことができて。


 けれど最後の一人。己の力と戦況を正しく把握できてしまっていた男は、皇国の力を甘く見ることはなかった。群れのボスを使役することで群れ全体を動かすことに成功した男は、使役できた飛行可能な魔物によって、首都からやや離れた皇国の都市を――アウローラがいるこの街を、襲撃することにした。






 店を飛び出した元冒険者パーティー「イリェンス」所属の店主とアウローラは、店主の顔パスで街の外にそびえる高い外壁に上り、はるか先から近づいてくる魔物の姿を目にとめた。


「……飛行系の、虫?」


「それも複数種の混成ですね。こういう場合は、指揮個体となる強力な魔物がいるはずなのですが……」


 目を皿のようにして強い個体を探す店主だが、焦りが増すのと引き換えに目につく異常な個体は見当たらない。けれどその事実が、アウローラの心に一つの核心を突き付ける。


「……呪術」


「魔法の一種ですかな?」


「帝国の奥の手だと聞いています。精霊を無理やり支配して魔物を操るそうです。……皇国に潜伏していたところを捕らえた呪術師は、ファイアドラゴンを使役していました」


 ファイアドラゴン――驚きと困惑をないまぜにしたような声で、店主は呟いた。彼には、たかが一人の人間に高位のドラゴンが使役されるなど想像もつかなかった。けれどアウローラが嘘を言うはずがないと、短い時間で培った信頼感をもとに考えれば、じわじわと嫌な汗が彼の額ににじんだ。


 もう一度、近づいてくる魔物たちをにらむ。そこには、ファイアドラゴンに匹敵する魔物がいるようには見えず、けれどその数だけが多かった。


「……仮にあれが呪術師によるものだとして、その位置はわかりますか?」


「いえ、そういえばどこまで離れて操れるのか聞きだしていませんでした。確か前は……百メートルくらい?は離れていたと思いますが、どこまで距離をとれるのかわかりません。場合によっては、すでにこの街の中に潜んでいて自分の場所に向かわせている、なんて方法をとっているかもしれません」


「……あの集団の真下を進んでいては一目でわかりますものね」


 確かにと頷く店主の言葉をよそに、アウローラは目を閉じて耳を澄ます。あの時のように魔物たちを殺すなという声は、呪術師の存在を告げる――おそらくは精霊の――声は聞こえなかった。


「……呪術師とやらの場所を探し出すのは無理でしょうね」


 情報が少なすぎるとため息をこぼした店主に頷いて同意を示したアウローラは、空を黒く染める虫の魔物たちをにらみながら戦いを予感して腰に提げた剣の柄へと手を伸ばした。


「……そういえば、剣士、ですよね?」


 鞘を握るその手を、あるいは剣を見ながら告げられた店主の言葉に、アウローラは小さくうなずいた。その横を、焦りをにじませる兵士が、矢筒を抱えて走っていった。


「あなたは……ええと?」


「ああ、私は魔法使いですよ。光魔法使い。問題は、燃費が悪いことと、多数への攻撃には向いていないことですかね」


 顔を見合わせる二人の耳に、羽音が飛び込んでくる。ブブブブブブ、と生理的嫌悪を感じる重低音を聞きながら、二人は覚悟を決めた。

 苦戦になる覚悟を、そして、できるだけ被害を少なく戦いを乗り越えようという覚悟を。


「撃てーッ」


 号令とともに、衛兵たちが放った矢が弧を描いて飛び、黒い雲のように近づいてくる虫たちを撃墜した。アウローラが剣閃を飛ばし、喫茶店の店主が光魔法を放って群れに穴をあける。

 けれど、多勢に無勢。攻撃によって数が減った様子はなく、魔物たちは街を取り囲んで外敵から市民を守る壁をたやすく飛び越えて、街へと一斉に降りて行った。


 もはや外壁にいる意味はないと、アウローラと店主は急いで市街地へと向かい、視界に広がる光景を前に息をのんだ。

 地面に横たわる市民が、魔物に群がられていた。よく見ると、もはや通りに立つ人影は存在しなくて。


「布で口を覆いなさいッ」


 空から降る鱗粉を見つけて、店主がアウローラへと叫ぶ。とっさにマントの裾を片手で口に当てたアウローラは、ひらひらと宙で舞い続ける全長一メートルほどの巨大な蛾をにらんで剣をふるった。


 緑の血を飛び散らせながら、一体、また一体と蛾の魔物が墜落していく。同一軌道上にいたほかの雑多な虫の魔物も、羽や胴体を両断されて地面に落ちる。


 顔を引きつらせる店主が、懐剣を抜き放って地面の一角に群がる五十センチほどの黒い甲虫たちへと襲い掛かった。

 連続で突き出される細い銀色の懐剣が瞬く間に甲虫たちを串刺しにして撃退していく。そうして、群がる魔物の奥から姿をのぞかせた人物は、もう息をしていなかった。


 体のあちこちを食われて悲惨な状況になった人物の姿を見て、口の中に広がる苦いものを飲み込む。悲惨な戦争の匂いがした。


 遺体を放置するのを申し訳なく思いながら、せめてきちんと埋葬できるようにと光魔法で遺体ごと焼いてしまうまいと決意して、店主は次の虫の塊へと走り出した。


 ボオオ、と響く低い音は、魔道具の火炎放射器によるもの。吐きそうな土気色の顔をした兵士たちが、地面に集まる虫たちを焼く。槍を握った衛兵が、虫の集団に矛を突き立て、その先が赤くにじんだのを見て顔をしかめた。






 遠く、戦線から離れた街を襲った戦争の飛び火。逃げ隠れる市民たちは、恐怖と絶望に震えながら、羽音がなくなるのを必死で待ち続けた。


 そんな、街の中で。


 絶望が足りないと、死者が少なすぎると、そう考える男が一人、存在した。アウローラの予想通り街に姿を隠して魔物たちの誘導を終えた呪術師が、街にさらなる悪意をまき散らそうとしていた。


 その手に握る松明を、貧民街の一角の陋屋に押し付ける。連日の天候によって乾燥していた風化した木の壁に火が燃え移り、瞬く間に家は炎に包まれた。


「さぁ、もっと、もっとだ!この程度では足りない!私の苦しみを思えば、この程度で終わっていいわけがない!」


 松明を投げ捨てた男は、その場から走り去りながら、とある虫系魔物の群れのボス格に指示を飛ばして、配下の魔物たちを火の中へと飛び込ませる。


 どぉん、どぉんと腹に響く爆発音が、走る男の背後に響いた。ボム・ビートル。体内に揮発性の油をためている魔物が広げた火の粉が、一斉に貧民街全域へ、そして一般市街へと火災を広げた。


 無数の虫系魔物の処理をしていたアウローラは、連続した爆発音と燃え上がる街を見て、怒りに歯を食いしばった。無数の命が、失われようとしていた。虫から逃れるために家に閉じこもっていた市民たちは焼け死ぬか、飛び出して魔物に食われるかの二択。

 狂気の選択によって増える犠牲者を少しでも抑えるべく、アウローラは戦い続けた。


 戦うしか、なかった。


 ちっぽけな一人の人間でしかないアウローラの手で守れる命など、たかが知れていた。ただ目の前の敵を殺して、敵に狙われていた市民を救うだけ。アウローラは、無力だった。

 足元がぐらぐらと揺れている気がした。


 精神を反映するように暗くなった視界に映った影を頼りに、アウローラは魔物を切り裂き続けた。


 腕が、重かった。体は、まるでヘドロの中を進むようにうまく動かず、アウローラの動きは次第に精彩を欠いていった。


 もう、何体魔物を倒したかもわからない、その時。

 狂気に染まった笑い声を、アウローラの耳が聞き取った。


 暗く染まった視界の先に、一人の男を見つけた。常人のそれではない多い魔力を持った、黒いローブ姿の男。呪術師だと、直感が告げていた。


 小高い丘のようになっていた街の中央の領主邸近く。街を見渡せる櫓のような建築物の上に乗った男が、両手を広げて笑っていた。


 その体から、暗い感情を宿した魔力が周囲に線のように広がっていた。


 その男をとらえ、殺すべく、アウローラが走り出す。

 周囲には、アウローラとその男以外、誰の姿も見当たらなかった。ただ、獲物を求めてふらふらと飛ぶ魔物の姿が数体見えるだけ。


 遠くから響く戦いの音が、ここが廃墟などではないことを伝えていた。

 櫓の壁を蹴って、棒をつかんで懸垂の要領で体を持ち上げて、アウローラは壁を上る。


 まばゆい金の長髪を振り回し、髪と同化する色の瞳を血走らせて、男は叫ぶ。


「ああ、ああ!これだ、この声だ!わが娘を殺した憎き皇国の外道が消えていく!世界が浄化されたのだ!届いているか、聞こえているか、私の思いが!このレクイエムが!ユリーカよ、お前に確かに届いているだろうか!」


 たどり着いた展望台の、その上で。

 男の首に振るわれた漆黒の剣が、皮を切る直前で止まった。


 ゆっくりと、男が背後へと振り返る。何かね――冷徹な、それでいて煮えたぎる憎悪をはらんだ瞳が、まっすぐにアウローラを捉えた。


「……フレベル、男爵?」


 狂気に染まっていた暗い目が、わずかに見開かれる。知っているのかねと、その目がアウローラに問う。彼の振る舞いが、アウローラの予想を肯定していた。


 アウローラの戦友にして、もうこの世界にいない回復兵ユリーカ・フレベル。その父親がこの街で大量虐殺を引き起こし、なおかつそれをユリーカのためだと高らかに叫んでいる――認めがたい現実が、そこにあった。


 腹の奥底から、猛烈な怒りが沸き起こった。カタカタと震える剣の刃が、男の首にあたり小さく血を流させた。


「……ざ、けるな」


 じっと見つめるその視線が、不快だった。娘のユリーカのために皇国民を殺しているのだと叫ぶその口を、今すぐ切り落としてしまいたかった。

 けれど、それでも、伝えたい思いが、胸の内にあったから。


「ふざけるなッ」


 アウローラは、呪術師フレベルに向かって、魂からの叫びを突き付けた。


「彼女は、ユリーカさんは、こんなことで喜んだりしない!暗い戦いの中にあっても気遣いを忘れなかった優しいあの人が、こんなことを望んだりしない!ユリーカさんを侮辱するな!彼女の存在を、死を、父親であるあなたが汚すなッ」


「…………お前が、ユリーカの何を知っているというのだ」


 アウローラが店主に向けられやしないかと恐怖していた敵意が、一直線にアウローラへと向かっていた。皇国の戦士が、ユリーカを殺した国のものが何を言っているのだと、娘の名をその汚い口が呼ぶのを聞くだけで吐きそうだと、彼は言い捨てる。


 そうして、アウローラは理解した。


 自分はもう、帝国の民でも皇国の民でもない、国という枠組みから足を踏み外した存在なのだと。


 逃亡兵として追われている以上、自分を追うホウエンと彼が属するアウトレイジという組織がある限り、アウローラは皇国の民には決してなれない。


 そして同時に今、帝国の民から見れば自分は皇国の人間で、帝国の民ではないのだと、アウローラは理解した。


 アウローラには、所属すべき国は、組織は、立場は、なかった。


 それを、ようやく理解して。


 静かに涙を流しながら、アウローラはその剣を振りぬいた。


 真っ赤な血が、飛び散って。男の魔力が大気へと消えていくとともに、虫たちが一斉に空へと飛び立ち、散り散りになって各地へと飛び去って行った。


「……この男が呪術師、ですかな?」


 あたりが薄暗くなり始めたころ、ただじっと立ち尽くしていたアウローラのもとにたどり着いた店主に、彼女は小さくうなずいた。

 剣を一振りして、その刃についた血を払い落とす。マントの裾で血を完全に拭って、鞘へと納める。

 そうして、無言のまま店主の横を通り抜ける。


「……街を、多くの命を救ってくださり、ありがとうございます」


 戦いが終わって、けれど勝利どころか敗北したような顔をしていたアウローラ。彼女に喫茶店店主が投げかけた言葉に対する返答は、なかった。


 わずかに肩を落としたアウローラが、ゆっくりと夜に沈んでいく街へと歩いていく。おぼつかないその足は、けれどまっすぐに帝国へと向かっていた。


 戦線から離れた街への強襲と、無数の命が散ったことを皇国が把握し。そして、それが帝国の攻撃だと理解して。

 皇国は、ついに帝国との戦争の再開を決めた。


 狂気と殺意が渦巻く戦争が、再び始まろうとしていた。

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