第27話 街へ

 アウローラがイエルとともに過ごすようになってから、半年が経ったある日。


「街に行かないか?」


 突然のイエルの言葉を受けて、アウローラは不思議そうに首を傾げた。


「どうして?何か足りなかった?あ、塩?」


「まあ塩も必要だな」


 少し言いにくそうに苦笑を浮かべたイエルを、アウローラはじっと見つめた。その目にたじたじになったイエルは、ふぅと小さく息を吐いて「剣だよ」と告げた。


「……剣?」


「そうだ。そろそろアウローラも自分の武器を手にしてもいいころだと思ってな」


 そう?とアウローラは不思議そうに首を傾げた。その腰に提げた木剣を見下ろす。度重なる訓練ですり減り、もはや刀のような細い刃になったそれを見て、でも、とアウローラは口を開いた。


「剣を買う意味ってあるの?」


 魔力を載せれば十分な切れ味があるのに、とそう言いたげなアウローラの目を見て、もちろんある、とイエルは強くうなずいた。


「いくら木剣に魔力を流すことで切れ味を上げることができても、元が木剣だから。大した切れ味にはならないし、高位のドラゴンなんかはよほどの一握りの達人じゃないと切れない」


「……あの緑のドラゴンは高位のドラゴンじゃない?」


 そりゃそうだ、とイエルは肩をすくめる。そんなものか、とアウローラは小さく頷いた。


「それに、切れ味が増したところで耐久性は低いだろ?現にその剣はそろそろ折れそうなわけだ。これが、同じレベルの剣技を身に着けていて、魔力で強化した金属製の武器とぶつかれば、木剣なんて一瞬で木っ端みじんだぞ」


 ああ、とアウローラは宙を見てつぶやいた。訓練の際に使っていた、適当にこしらえた木剣。アウローラとイエルがぶつけ合ったそれらはたやすく折れてしまっていたことを思い出した。


「耐久性って話で言えば木剣は腐食なんかもひどいしな。さらに言えば、木剣なんて持ってたら舐められる。生き延びるためには、見た目で強さがわかることも重要なんだよ」


「……なるほど。だからイエルもその真っ黒な剣を使ってるんだ」


 家の壁に立てかけてある漆黒の長剣を見る。鞘に収まっていても肌に感じるほどの、張り詰めた空気をその剣は持っていた。無数の死と血を吸ってきた、妖剣のような気迫を持った剣。

 一目で業物だとおもうそれを片手で持ち上げながら、これはちょっと特別だ、とイエルは告げる。


「特別?」


「あー、まあ、家宝みたいなもんだな。これ、邪竜の牙を加工した剣なんだよ」


 そういいながらイエルはその剣の刃をわずかに鞘の先からのぞかせる。漆黒の艶めいた剣身が顔をのぞかせ、心臓をつかまれるような威圧感が周囲に満ちた。

 遠くで悲鳴を上げた魔物か動物かが慌てて逃げ去っていく音が聞こえた。


「……邪竜」


 アウローラの脳裏によぎったのは、帝国の建国神話。けれどまあどこかで似たようなドラゴンがいてそれを倒したのだろうと、アウローラはそう思った。これまでの訓練でイエルの強さを身に染みて感じていたアウローラは、高位のドラゴンだろうがイエルなら余裕で倒せるだろうと、納得していた。

 そんなアウローラに苦い笑みを向けるイエルが、ごほん、と咳ばらいをする。


「そんなわけで、剣を買いに今から街に向かうぞ」


「……今から?というか、私お金ないよ?」


 わずかに開いた扉の先、空を覆う曇り空を見て、それからアウローラは金銭の心配をした。


「大丈夫だ。これまで狩ってきた大量の魔物の素材があるだろうが」


 あ、そっか、とアウローラはポンと手を打った。視線の先には、ただでさえ狭い小屋の一角に積みあがった魔物素材の山。その量を見て、アウローラはわずかに顔を青ざめさせる。


「あれを、町までもっていく……?」


「ああ、重いし、ついでに言えば普通に売り払えばかなりの騒動間違いなしだな」


 だが大丈夫だ、と胸に手を当てて強く宣言するイエルを見ながら、アウローラは胸によぎる一抹の不安を捨てきれずにいた。






 世捨て人のように生きて半年。

 アウローラが久しぶりに訪れた街はひどく活気がなかった。


 道を行く者たちの顔には活力がなく、町全体の空気がどんよりとよどんでいた。

 威勢のいい声が聞こえてくるはずの市場も静まり帰り、商品の値段は軒並みつり上がり、売り切れの品も多い。店番の者もテーブルに肘をついてぼんやりと通り過ぎる者を眺めている状態だった。


 これが帝国の街――そう思いかけて、アウローラははたと気づく。皇国に占領され、魔法によって滅んだあの街も、少し前には帝国領だったのだと。占領下にありながら活気のあったあの街に比べても、この街はまるで廃墟のように重く垂れこめた空気が広がっているように思えた。


 田舎育ちであるアウローラはもちろん、皇国とはいえ各地を旅してまわった経験のあるイエルも眉間に深いしわを刻んで道行く者を眺めていた。

 幸いなのは、毛皮のフード姿の二人組という少々おかしな姿をしているアウローラとイエルに視線が集中しなかったこと。


「……なに、これ?」


 胸に広がる言いようのない違和感と嫌な予感は、そんなアウローラの言葉に集約されていた。


 そのまま、二人はおかしな街を見ながら、暗い裏通りへと歩を進める。入り組んだ道を慣れた足取りで先導するイエルと、それについていくアウローラ。大通りとはまた違った暗い雰囲気が広がる湿っぽい通りには、陋屋と見紛うぼろい家屋が立ち並んでいた。


 濁った視線が、あるいは歪んだ喜悦を宿した視線が、悪意の視線が、アウローラとイエルに突き刺さる。

 貧民街へと、イエルはためらうことなく足を運び、近くにいた浮浪児になけなしの金を弾いて渡した。


「……金庫屋はどこだ?」


「三つ先の小道を右。後は真っすぐ突き当りまで。……でも、あんまりいい感じじゃない」


 そうか、と追加情報に対する謝礼としてもう一枚硬貨を投げ、イエルはアウローラを視線で促して先へと歩き始めた。


「金庫屋って何?」


 イエルのすぐ側まで近づいたアウローラが小声で尋ねる。少しだけ腰を落としたイエルは、ああ、とつぶやき、やっぱり声を潜めて答えた。


「裏に通じる買い取り屋だ。多少買いたたかれるが、表社会に出るのを好まない者たちが商品を売る店だな。盗品が持ち込まれたり、俺たちみたいなお尋ね者が利用したりする店だ」


「なんで金庫?」


「貧民街で基本的に唯一まともな警備とまとまった金がある場所だからだな。その安全性を示すのと、一般人に聞かれてもごまかせるように、金庫に金をとりに行く、なんて嘘をついたのが始まり……なんていう眉唾な話がある」


 正解はわからないが、まあ金庫とか金庫屋と覚えておけばいいさ、と今後アウローラが利用する可能性を考えながらイエルは告げた。


 そうこうするうちにギリギリ体を滑り込ませることができる程度の小路に差し掛かり、アウローラとイエルはその埃っぽい路地へと体を滑り込ませた。


 ぶつかれば穴が開きそうなぼろぼろの木板の壁に挟まれた道を何とか潜り抜けて。

 その先にぽっかりと広がる開け放たれた扉に、イエルとアウローラはその身を躍らせた。

 地下へと続く階段を、慎重に下りていく。そして、その先にそびえる真っ黒な扉を開ける。


 店の中は、思ったより暗くはなく、ただし狭かった。人が五人もいればぎゅうぎゅうになるような狭いカウンターと、その奥にひとが一人歩けるほどの道と、細い扉。

 その奥から、アウローラはただならぬ気配を感じてゴクリと喉を鳴らした。


 入店者の存在に気付いていた店主の老婆が、その扉の奥から姿を現す。

 アウローラには、ぱっと見は老婆なその女性が、けれど男にも、そしてそれなりに若い女性にも見えた。


 瞬きするごとに雰囲気が変わる異様な存在を前に、イエルは淡々と、一切感情を見せることなく荷物をカウンターテーブルの上に積んでいく。


「買い取りを頼む」


 無言でうなずいた老婆が、毛皮の風呂敷の中から雑多な素材を取り出して、節くれだった指で数え始める。細くて、けれど不思議な力強さを感じる手が、怜悧な光を宿す青い眼光が、素早く品を識別する。


 無言で素材を奥に持って行った老婆は、それからぼろい皮の袋を持って帰って来て、それをテーブルの上に置いた。

 中身を見ることなく受け取ったイエルは、その金を鞄に放り込んで老婆に背を向ける。

 アウローラに無言で顎をしゃくり、退出を促す。


 イエルに背中を押されるように背後を向く、その瞬間。

 冷たい老婆の眼光に射抜かれて、アウローラの背筋に寒気が走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る