第17話 疑心
「襲撃への対応中、どこで何をしていた?」
必死に殺意を抑えながら、けれど留めきれなかった怒気を声音ににじませた質問に、アウローラは冷静な視線を返した。
皇国軍の拠点、その拠点長室にて、アウローラはこの街の実質的な指揮を執る男に詰問を受けていた。
すでに報告書で上げた内容をもう一度復唱するのかと、心の中で嫌な顔をしたものの、アウローラはそれをおくびにも出さずに話し始めた。
「鐘の音を聞いて飛び起きた後、全員即座に街へ迎えとの号令を聞いて街へと飛び出しました。それから、火災発生地区にて少女ら二人を救出、帝国兵一人を撃退の後、縛ってその場に放置し、自力で移動できなかった少女を背負って避難場所へ移動。そこで負傷者の治療を行っていました」
「少女ら二人の命を救ったことは百歩譲って良しとしよう。問題は緊急時にも関わらず軽傷の避難民の治療に当たり続け、戦場に戻らなかったことだ」
「……それのどこが問題でしょうか?軽度の傷であっても、そこから雑菌が入れば容易く人の命を奪います。まして、若い子どもやお年寄りの場合、それは顕著です。今後皇国がこの街を支配していくうえでも、民に尽くしたという印象があるのとないのでは大違いだと思いますが」
「そう考えて、戦いから逃げたのだろう?」
「私は回復兵です。一般兵とは立場も、求められる役割も違います。私に課せられた使命は、一人でも多くの命を救うことだったと記憶しておりますが」
「皇国民の命を、だろう?」
「支配地となったこの街は、実質皇国の領土です。ゆえに、この街の民は皇国の民です。彼らは私が治療した時点ですでに皇国民でした」
ギリ、と強く奥歯を噛みしめる音が響く。のらりくらりと敵前逃亡の罪から逃れようとしている――男の意識の中では、一連のアウローラの供述は言い逃れでしかなかった。
「……もういい。百歩譲って治療の件は目をつぶろう。だが、偽りの報告をするとは何事だ⁉」
「偽りの、報告?」
今の話の一体どこにおかしなところがあっただろうかと、アウローラは自分の言葉を頭の中で再生する。そんな飄々とした態度を貫くアウローラを見て、男は今度こそ怒気を爆発させ、執務机の板を殴りつけた。
ピシ、と板に亀裂が走る音が聞こえた。大きな音に、アウローラは思考を止めて姿勢を正した。
「お前が斃したという帝国兵などどこにもおらん!」
「……では、仲間に連れられて逃走したか、あるいは口封じで殺されたうえで証拠隠滅を図って火災の中へと遺体を放り込まれたかのどちらかでは?」
「流石は帝国出身。発想が畜生のものだな」
これは駄目だと、アウローラはそう思った。今の指揮官はアウローラが何を言っても聞く耳を持つとは思えなかった。
おそらくは、先の襲撃による被害の責任を負わされて苛立っている目の前の男は、その苛立ちのはけ口が欲しいのだと、そう理解した。
そう、理解して。
アウローラの目から、一瞬にして光が落ちた。この男もまた、戦争という狂気に心囚われた男だと判断したアウローラは、もはや男と言葉を交わす気が起きなかった。
その変化を目の前で突きつけられて、男はごくりと喉を鳴らした。
虚無のような光を失った金色の瞳が、男を見つめていた。あるいはその目は、目の前にいるはずの男を映していなくて。
そう認識した途端、男の中であらぶっていた怒気は、とうとうこらえきれないものとなった。
「いいか、このカラス野郎が!貴様のような帝国の血を引く塵の存在がこのような大きな犠牲を引き起こしたのだ!その自覚をするまで謹慎処分とする!こいつを地下牢に連れて行け!」
男の側付きをしている中年の兵士が、アウローラの腕を捕えて指令室を出る。
「……うちのボスがすまないね」
「いいえ。これで組織がよく回って、犠牲者が減るのならましでしょう?」
だからせめて犠牲者を減らせと、ヘドロのようによどんだ瞳を受けて、男は覚悟を決めた顔でうなずいた。
この拠点の中で数少ない友好的な男に連れられて、アウローラは地下牢へと足を踏み入れた。
リンチされないだけまだましだと、軽い足取りでアウローラはその暗闇の中に入っていって。
すまない、と心の中で詫びた男は、さび付いた鍵を閉めた。
ガシャン、とひと際大きな音が響き、地下の石畳の奥へと消えていく。
アウローラは膝を抱えて冷たい床に座った。
これ以上ここにいて何の意味がある――すり減った心の中で、声が響く。
ありがとう――温かな言葉が、アウローラの心を震わせる。
こんなところで膝を抱えているだけで、何が変わる?戦争を止めたいという誓いはどうした?こうしている今も、多くの命が消えて行っているのに、私は何をしている――
暗い闇の中。ギラギラと狂気を帯びた金の眼を輝かせて。
アウローラは身動き一つせずに考え続ける。
ぴちゃん。天井の石の隙間から漏れた水滴が、床で跳ねた。
ぴちゃん、ぴちゃん――ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん。
気が狂いそうなほどの無の中で、水音と己の呼吸の音を聞きながら、アウローラはただじっと考え続けた。
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