第16話 防衛戦

 カァン、カァンと鐘が鳴る。

 連続で叩きつけられるその音は、緊急事態を告げる音。

 それを聞きながら、アウローラはベッドから飛び起き、ナイフを腰に差して走り出した。


 制服を着たままだったため、着替える必要はなくて。

 街に飛び出したアウローラは、遠くに見える火の手を見て強く唇をかみしめた。

 戦争最前線。皇国が奪取した帝国領の街の一つ。その維持・護衛部隊の一員として派遣されていたアウローラは、即座にそれが帝国兵の襲撃だと看破した。

 考えるまでも、なかった。


 けれどその攻撃は、かつてない荒々しいものだった。これまで帝国は、なるべくこの街を傷つけない方法で戦いを挑んできた。刺客を送り込んで基地の皇国軍重鎮の暗殺を試みたり、基地だけを爆破して住民の被害を最小限に皇国を撃破するなどの作戦に臨んだ。

 けれど、その全ては失敗に終わり。そして、これ以上領土を踏み荒らされてなるものかと激怒した帝国は、未だにこの街で暮らす平民ごと街を滅ぼすことに決めたのだと、そうアウローラは判断した。


 まるで意志を持ったように、街を燃やす炎は広がっていく。逃げ場を封じるように魔物防御用の外壁周りの家屋が燃えて、炎の壁が弧を描いて広がっていた。逃げ惑う市民たちの間を縫って、アウローラは走った。


 十二歳という、おそらくはここに拠点を構える皇国軍の中では最年少のアウローラは、その年齢に比例するように体も小さく、混乱の中にある人ごみの中をたやすくすり抜けて走った。


 その腰に下がるナイフの柄を軽く手で撫でる。捕虜を殺したあの日以来血を吸っていないナイフが、まるで血を求めるように熱を帯びている気がした。

 黒煙たなびく先へと、走る。

 回復兵として皇国軍に在籍するアウローラだが、その立場はあまりよくない。

 およそ二年前、帝国兵士に見せた躊躇いが、アウローラを未だに監視付きの状態にしていた。

 どこかから自分に突き刺さる視線を感じながら、アウローラは逃げる人波に逆走して進む。

 足を、止める。

 そこに、腕に火傷を負った小さな少女の姿があった。

 歩けているということは、おそらくは痛みを感じないほどの重度の火傷で。ただれた皮膚は、記憶の中にある女性兵の姿に重なった。その兵がどんな存在だったのか、アウローラは思い出せなくて。

 息も切れ切れに歩いていた少女に、逃げる男の足がぶつかる。

 地面に体を投げ出された少女は、後に続く避難民たちにおしつぶされそうになって。


「ッ!」


 反射的に走り寄ったアウローラは、少女の腕を引っ張って道の端へと飛び退いた。

 危ねぇとか邪魔だとか、そんな一言すらなく、必死の形相の市民たちが大通りを駆け抜けていく。


「大丈夫?」


 腕の中にいる少女へと、アウローラは努めて優しい声音で尋ねる。


「……う、おねーちゃん、おねーちゃんがぁぁぁぁ!」


 痛みと寂しさと混乱から泣き出した少女を癒しながら、アウローラは少女の傷の状態を判断。一瞬の躊躇いの後、その傷に火傷用の塗り薬を塗っていく。

 気休めでしかないそれは、けれど、指を噛み切って流れたアウローラの血が混じることで、本来ではありえない回復効果を発揮した。


 自分しか癒せない回復魔法。けれど、自分から切り離された体にもわずかに回復効果が宿ることを見出していたアウローラは、血を与えることによって自分の異常な自己回復魔法の効果を少女に与えることを可能としていた。

 この発見は、先輩兵士のリンチに遭って血まみれになったアウローラが、そばを通りがかった脚の傷ついた猫に血の付いた手で触れたことによって見出された。


 過去の傷の痛みを思い出しながら、アウローラは治療が誰にも見られないようにマントで隠しながら、片手で抱いた少女の傷口に薬を塗る。


「大丈夫だからね。ちゃんと、回復するから」


 ひっく、ひっくとしゃくりあげる少女は、火傷部分の痛みが引くとともに勢いよく周囲を見回す。そこには、逃げ惑う人、人、見知らぬ人。

 少女の探し人は、見つかるわけもなかった。


「……おねぇちゃんを一緒に探しに行こうか」


 こくり、とうなずいた少女は、袖で乱雑に涙を拭ってから、あっち、と道の先を指し示した。

 強い子だな、と思った。今も痛みが完全に引いているわけでもなく、転んだ際にできた手のひらの擦り傷だって幼い子どもにとっては泣き叫ぶほどに痛い者であるはずで。けれど少女は、目に涙を浮かべながらも、「おねーちゃん」がいるだろう場所を必死に示していた。


 アウローラは、少女を抱いて走り出す。軽業師のように軽やかな動きで地面に倒れる看板や鉢植えなどを飛び越え、人の比較的少ない店の側を駆け抜ける。

 その後を、群衆に紛れた一人の男が追っていく。


「ここ!」


 そう告げた少女は、目の前に広がる光景を見て涙腺を決壊させた。

 そこには、炎に包まれた家屋があった。その先にいる人が無事だとは、とても思えなくて。

 けれど、腕の中で姉を求める少女の願いを叶えるべく、アウローラは覚悟を決めた。

 少女を地面に下ろす。パチリと爆ぜた火の粉が近くまで飛んできて、少女が体を縮こまらせる。


「いい?ここで待っててね。絶対に、ついて来ちゃだめだから」


 そう言って、アウローラは伸ばされた少女の手からすり抜けて、今なお焼けていく家屋の中へのその身を飛び込ませた。


 ヒュゥ――燃え盛る炎の音に混じって、気の抜ける口笛の音が響いた気がした。


 黒い煙が立ち込める家屋の一階部分は、幸いにもまだ火の手は上がっていなかった。けれど、すぐにでも酸欠状態に陥りそうな空気の悪さで、アウローラは体勢を低くしてマントの裾を口に当てて住居の中を走った。

 人影を探す。飲食店と思われる一階部分に人の気配はなし。階段先には、死の気配――それが、アウローラのものではなく探し人の死を感じ取ったものだと判断して、アウローラは焼ける居住場へと身を躍らせた。





 少女は、泣いていた。

 燃え盛る家へと消えていった人物が心配で、姉のことが心配で、泣き続けていた。

 その声は、燃え上がる炎の音にも負けないほど大きなもので。

 だから、それはよくない者を呼び寄せた。


 ジャリ、と砂を踏む足音が、少女のすぐ背後で止まる。少女が一瞬、息を止める。

 振り返った先には、山賊と見紛う怖い顔をした、頬に大きな傷のある大男が立っていて。その手に握られた大きな剣が、炎の光を反射して橙色に輝いていた。

 揺らいだ炎が、刃を照らさなくなって。少女はそこに、血のように赤い液体が付いているのを見た。


「――死ね」


 大きな剣を振りかぶった男が、その得物を少女へと叩きつける。

 逃げることもできない少女は、棒立ちのままなすすべなく頭部を叩き割られる――はずで。


「まったく、これだから帝国兵はクズなんだよね」


 そんなどこか緊張感のない声と共に、少女の視界は闇に閉ざされた。

 黒い、闇のような光を吸い込む黒が、帝国兵が振り下ろした男の剣の軌道から少女を抱きかかえて移動した。

 その腕の中で再び泣きだした少女にあたふたしながら、漆黒のマントを身に着けた男は、帝国兵に対峙する。

 片手で抜き放ったナイフをくるくると手の中で回す。動きを止めた漆黒のナイフの切っ先は、真っすぐに帝国兵へと向いていた。


「こんな小さな女の子に『死ね』とかさぁ、人間性ってものがないよね?頭大丈夫?兵士であればなんでも許されるとか、そんな都合のいいこと考えてない?」


 少しだけ怒気をにじませた声で、黒い男が告げる。そのフードの奥には、男の纏うマントと同じかそれ以上に暗い闇が広がっていて、帝国兵はごくりと喉を鳴らした。


「……皇国に与した市民は殺害対象だ」


「なぁるほど。つまりこの子も利敵行為を働いた国家の敵ってわけだ。いやぁ、反吐が出るね」


 ゆらりゆらりと体を左右に揺らす不気味な男を前に、帝国兵はその空気に飲まれまいと強く剣の柄を握りしめる。その動きが腕の中の少女をあやすための者だとは、帝国兵には理解できなかった。

 そのまま、亡霊のような黒い男は、ゆらゆらと揺れ動いて帝国兵を翻弄する。


「く、そが。我らが皇帝を愚弄するなぁぁぁぁッ」


「別にそんなことしてないんだけど、ねッ」


 愚直なまでに真っすぐ振り下ろされた剣の側面にナイフを叩きつけ、軌道を逸らす。切っ先のうちがわへと入り込んだ男は、くるりと手の中で逆手に持ち替えたナイフを横薙ぎに振り払い、帝国兵の首元を狙う。

 それは、完璧な刃筋を描いて帝国兵を殺す、はずで。


「おおっとぉ⁉」


 が、片手に少女を抱いていたことを忘れていた男はバランスを崩し、その切っ先はギリギリのところで回避される。


「舐めるな!」


「うーん、別になめてはいないんだけどねぇ……」


 キン、と金属同士がぶつかり合う音が響く。それも、燃え盛る周囲の炎の音に飲まれて遠くへは響かない。

 ちらり、とフードの下から男が周囲を観察する。燃える家屋、広がる火災、そしてあちこちで見られる戦い。

 さっさと片を付けるか、とそう男が意気込んで腰をかがめた、その時。


 ぁぁぁぁぁぁ――


 どこかから、小さな叫び声が聞こえた。

 動きを止めた男に、今がチャンスとばかりに振り下ろされた剣。それを、真っ黒なナイフが受け止め、そして。


「馬鹿な⁉」


 ナイフは、いともあっさりと男の長剣の剣身を断ち切った。


「あはははは!最高だよ君は!」


 フードの男が、喜悦に満ちた笑い声をあげて。


「あああああああッ」


 ガッシャーン――家屋の二階の窓をぶち破って、自分と同じくらいの背丈の少女を抱えたアウローラが宙へと飛び出した。マントやフードの端から覗く髪の先に火が付いたアウローラは、弧を描いて空を舞う。


「は――」


 剣を切り落とされ、そしてあまつさえ真上にいきなり現れた少女を見て、帝国兵は完全に動きを止めて。


「――うご⁉」


 立ち尽くしていた帝国兵は、アウローラの着地点と重なり、そのまま勢いよく地面に押し付けられた。

 偶然帝国兵をクッションにしたアウローラは、マントについた火を手で払い、それから腕の中の少女の状態を確認し始めた。


「……問題なし。不幸中の幸いかな。軽度の火傷だけだし……誰⁉」


 そこまで確認してようやく、アウローラは目の間に存在する黒ずくめの男を見て体を硬直させる。

 地面に横たわらせていた少女を腕に抱き込み、膝を伸ばして背後へと跳ぶ。


 燃える炎に照らされるその先に、影のように存在感の無い人物が立っていて――そのマントが、大きくはためく。胸元で、炎の光を反射した何かが輝いた。

 剣を抜き放つのか、とそう身構えたアウローラだったが。


「おねーちゃん!」


 マントを蹴るようにして上半身部分から飛び出した少女が、危うい足取りで地面に着地し、アウローラが抱える少女目がけて一目散に走り寄る。


「……ッ⁉」


 その一瞬、幼い少女に視線を吸い寄せられたアウローラの視界から、まるで霞のように黒い男の姿は消えていた。

 周囲を見回す。遠くに戦闘中の集団の姿があるだけで、先ほど目の前にいたはずの男は、どこにも見当たらなかった。


 おねーちゃん、おねーちゃん、とアウローラが抱く少女の顔を見ようと飛び跳ねる少女へと、意識を戻す。


「大丈夫だよ。多分命に問題はないよ。ちょっと煙は吸っちゃってるけどね」


 そんなアウローラの言葉など一切無視して、彼女は自分の姉にひし、と抱き着いた。町中に響くかという泣き声のせいか、幼女の腕の中にいる姉はゆっくりとその目を開いた。


「……生きてる?」


「おねーちゃん!」


 ガバリ、と胸に顔をこすりつける妹の頭をなでながら、少女はぼんやりとした目で周囲を見回す。アウローラと、その目が合って。


「……あなたが、助けてくれたんですよね。ありがとうございました」


 ふわりと、水仙のように涼やかで気品のある微笑を浮かべた少女が、小さく頭を下げる。


 ありがとうございました――その言葉が、いつまでもアウローラの体の中で反響していた。


 立ち尽くすアウローラは、そうして無意識のうちにその目から涙を流した。

 どうしたんですか、と慌てる少女の言葉を聞いて、アウローラはようやく自分が泣いていることに気づいた。


「いえ、なんでも……ありません」


 袖で涙をぬぐいながら、アウローラは胸に満ちる温かな思いの理由を探し続ける。

 そうして、気づいた。

 戦争に参加してから、ありがとうなどという言葉を、言われた覚えがないことに。

 当たり前の、ありふれた感謝の言葉。そんな言葉さえ、戦争は自分たちの生活から奪い取っているのだと、そうアウローラは痛感した。


 姉妹の視線から逃れるように、アウローラは街へと視線を向ける。

 そこには、焼けていく日常の姿があった。

 燃える街は、もうかつての日常の姿を取り戻すことはできない。


 けれど、その先に新たな日常が待っているのなら――


「あの、お名前を聞いてもいいですか」


「……アウローラ」


 恩人の名前を口の中で繰り返す少女は、くいくいと袖を引っ張る腕の中の妹を見て顔をほころばせる。

 互いの無事を喜び抱き合う姉妹の姿を見つめながら、アウローラは血がにじむほどに拳を強く握りしめた。






「……そういえば、さっきの真っ黒な人は誰だったの?」


 ようやく落ち着いた姉妹。足を痛めた姉を背負ったアウローラは、手をつないで横を歩く幼女を見てそう尋ねた。ちなみに、帝国兵はアウローラが持っていた縄で縛って転がしてある。肋骨が数本折れ、片脚もあらぬ方向に曲がっている彼をわざわざ連行する必要はないだろうというアウローラの判断だった。


 んー?と不思議そうに首を傾げる彼女に、アウローラは言葉を重ねる。真っ黒な人で、あなたを抱いていた――

 そうするうちに、彼女は「あ!」と声を上げた。


「んーとね、お花の人!」


「お花の……人?」


 完全に想定外の言葉を利かされ、アウローラは虚を突かれたような顔で幼女に聞き返した。まるで自分の言葉を信じてくれていないように見えるアウローラに、幼女は頬を膨らませて返す。


「ええと、何の話でしょうか?」


「ああ、私があなたを助けて二階から跳び下りるときに、この子を抱いて帝国兵から守ってくれていた人がいたの。その人は目を離したすきに消えてしまって……誰だったんだろうと思ってね」


 そんな人が、と驚きに目を瞠った少女は、横を歩く妹に聞き取り調査を始めた。


 どんなお花だったの?――んーとね、ぴかぴかでつめたいお花!

 どこにあったの?――ここ!

 胸についてたんだ。どんな形のお花だったかわかる?――んー?わかんない!でもね、なんかひらひらしてて、ふわふわってかんじだったの!


 ぴかぴかで冷たくてひらひらでふわふわな胸元についているお花だそうです――申し訳なさそうに妹の話をまとめる背負われた姉に、アウローラは少しおかしそうに笑いながらありがとうと告げた。


 胸元にある花ということは、おそらくは徽章で。冷たいということは金属製の類――つまり特別な地位に関わる者である可能性が高かった。あるいは勲章の類かもしれなかった。

 そして、ひらひらでふわふわ。アウローラがイメージしたのは、花弁の多いハクモクレンや牡丹、薔薇の類の花だった。


「花の、徽章……?」


「どうかしましたか?」


「ううん、なんでもない」


 心配そうにアウローラの横顔を覗き込む少女に頭を振って答える。

 そして、思い出す。男の立ち姿に、不思議な既視感を覚えたことを。マントの下、意外とほっそりとした、けれど帝国剣士相手に一人を抱きかかえながら立ち向かえる人物――そう考えても、残念ながらアウローラの意識にはこれという人物は思い浮かばなかった。


 そうして煙燻る皇国の占領地を、アウローラは二人を連れて歩いた。


 願わくば二人がこれ以上戦火に巻き込まれませんようにと、そう願いながら。






 避難場所で二人のことを待っていた両親と姉妹の感動の再会。その後何度も両親にお礼を言われて足止めを食らったアウローラは、せっかくだからと避難場所に集まっていた避難民たちの怪我を見ることにした。


 手持ちの薬はさほど多くなかったが、幸いと言うべきか逃げ延びた者たちの傷は軽度の者が多く、それほど薬は必要なかった。


 最もひどかったのは、胴体に広く火傷を負っていた、アウローラが燃える家の中から助けた少女だった。

 これ以上の迷惑をかけまいと傷と痛みを必死で隠していた少女の頭を優しくなでてから、アウローラは手早く治療を行った。


 薬屋としての腕を感心され、何度もお礼を言われて。

 ふわふわとした足取りでアウローラは避難場所を後にした。


 あるいはそれが、決定的な状況の崩壊の始まりだった。

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