第22話 覚悟

「んん、改めて、俺はイエルだ。元皇国の兵士だ」


「アウローラ、です。元帝国兵、皇国兵の捕虜になって二年少々です」


 捕虜、と男イエルがアウローラを見ながらつぶやく。アウローラもまた、皇国の、とイエルを見ながらつぶやいた。

 しばらく互いに口を閉ざす。こぽこぽと沸騰するお湯の音が狭い木造小屋に響き渡り、湧いた湯にイエルが薬草を放り込んだ。


「あ、ピョンピョン草にフランの花」


 半ば反射的に口から漏れたアウローラの言葉を聞いて、男は興味深げな視線を向けながら頷いた。


「お、知ってるか。この時期に滋養強壮と言えばこの二つだからな」


「……でも、ピョンピョン草って苦い、ですよね?」


「敬語はいらんぞ。堅苦しいのは苦手だからな。……っと、ピョンピョン草の苦みの話だったか。コイツは夜明け前に収穫してすぐに日の当たらない場所で干すことで苦みが出ないくなるんだよ。最も、その代わりに薬効も少々低くなるな。まあ、それにフランの花を足すことで薬草茶としては十分だよ」


「夜明け前にとって陰干し……知らなかった。どこの知識?」


「ああ、俺の故郷のものだな。もっと西の方にある山間の村だ」


「……私と似てる。私も、帝国の東の端っこの、山の麓にある小さな街……というか村」


 こくこくと頷くアウローラを見て、イエルは少しだけ目尻を下げた。


「それだけ離れていて同じ植物があるってのも感慨深いよな。いや、地域によって薬効が違うことは多いか」


「そうなの?」


「ああ。あくまで伝聞だが……例えば海の近くなんかは、潮風の影響を強く受けて、薬草の効能が変わるらしいな。場合によっては毒性が強まるから注意が必要って話だ」


「海!確か水が辛い場所、なんだよね?」


「そうだ。海の水ってのは大量の塩が溶け込んでる場所だな。この国……帝国に流通してる塩の半分くらいも海で採った塩のはずだぞ」


「あの塩が、海に……だから辛いんだ。行ったことあるの?」


「海にか?ああ、昔な。冒険者をやってた頃に足を運んだことがある」


 冒険者、と復唱したアウローラは、その頭にホウエンの顔を思い浮かべた。彼は一体何を思ってアウローラに街の破壊を教えて、アウローラを助けることなく消えたのだろう――そんなことを考えているうちに、アウローラの顔は曇った。

 冒険者から話を変えるべきか、と黙ったイエルだったが、「それで?」と少しだけ目を輝かせたアウローラを見て、昔話をすることにした。

 少しだけ痛む心に、そっと蓋をして。


 イエルはたくさんの冒険をアウローラに語った。それは、村と戦場が人生の大部分であるアウローラにとってとても新鮮で、驚きに満ちた話だった。街中で猫を探す一大事件、魔物との戦い、古代の遺跡に踏み入ってお宝さがし、高価な薬草を求めて人類の生存圏外へと踏み出す話――そのどれもが、アウローラには宝石のように輝いているように思えなかった。

 そうしていると冒険譚に目を輝かせる少年みたいだな、とイエルがアウローラをからかった。


「そう?男の子みたい?」


「あー、話すと急に女に戻るな。というか、もう子どもって年でもないだろ?」


「んー、たぶん、十二?十三だったかもしれない」


 故郷を出てからの年月を数えていくアウローラの顔はやっぱり段々と陰鬱なものになっていき、気分を変えようとイエルはことさらに明るい声を出した。

 その裏では、どうしてそんな幼い子どもが戦場にいるんだと、そう義憤に駆られていた。


 色々な話をして、けれど後に回し続けていた重大な話を、しないわけにはいかなかった。

 イエルは一度言葉を区切って、小さく息を吐きだした。

 それから、その表情を真剣なものに変えて、真っすぐアウローラを見つめた。

 アウローラもまた、話題が真剣なものに変わると理解して、背筋をまっすぐに伸ばした。


「……辛いかもしれないが、これからの話をしよう」


 これから、とアウローラは小さく口の中でつぶやいた。その目に闇が生まれるのが腹立たしくて、そんな状態にアウローラをしてしまっているのが自分だというのが許せなくて。けれどアウローラの今後のためだからと、イエルは重い石を飲んだような面持ちで覚悟と共に口を開いた。


「アウローラは、今後どうしたい?」


 アウローラが、動きを止める。戦場の記憶がアウローラを揺さぶっているのが、手に取るようにわかった。そして、イエルもまた、アウローラの空気に当てられて、自分の肩にのしかかる過去の記憶が心を揺さぶる。絶望の記憶が開いて、イエルの心を縛っていき――


「……強く、なりたい」


 アウローラは、そうつぶやいた。それは、ぽろっと口からこぼれたものではなく、最初からアウローラの魂の中にあったもので。その目は、先ほどまでの絶望に飲まれた闇のようなもので、けれどその奥に、どうしたって消えそうもない強い輝きを帯びた熱があった。

 イエルは視線を落とし、その片腕の手のひらを見つめる。いくつもの傷と、豆ができた無骨な腕。大切なものが滑り落ちて残ったその手には、けれど力が、強さがあった。


「……強く、か。具体的には?」


 アウローラは深く深呼吸をして、そして、かつての後悔を、絶望を思い出しながら口を開いた。


「戦争を止められるほどの力が欲しい」


 その言葉を聞いて、イエルは体を硬直させた。

 そして、ぶわりと、体の奥底から這い上がって来る激情を感じた。

 全身が震えていた。興奮か、歓喜か、驚愕か、とにかく、心が叫んでいた。魂が、告げていた。

 この少女こそ、アウローラこそ、自分が求めていた、未来へとつながる希望だと。自分という存在に意味をもたらしてくれる光だと。


 ひどくのどが渇いた。視線を動かすことも忘れて、イエルは側に置いていた湯呑を手に取って一息に薬草茶を飲みほした。

 一呼吸おいても、その身で暴れまわる激情は、アウローラに共感する魂の叫びは、収まることはなかった。


 戦争を、終わらせる。

 それは、イエルが望んだ復讐の、その先だった。


 苦しみの先の闇が一気に晴れ、視界が明瞭になった気分だった。

 まるで生まれ変わったような面持ちで、けれどその厳しさをアウローラに突き付けるべく努めて険しい表情をして、イエルはアウローラに問いかける。


 すなわち、本気か、と。


 アウローラは、一も二もなくうなずいた。


 ユリーカのような心の美しい者を死なせないために、あの姉妹のような幸せに生きるべきものを守るために。

 皇国の非情な攻撃を、市民の命を紙切れのように操る帝国の戦いから、人々を守るために。

 アウローラは、他の誰が立ち上がらなくても一人でだって戦うとそう覚悟を新たにした。


 その覚悟を見て、ドラゴンすら一太刀で切り捨てる英雄クラスの男は、アウローラに剣を教えることに決めた。


 こうして、イエルとアウローラの師弟生活が幕を上げた。

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