第23話 戦士の心

 剣士イエルの朝は早い。まだ日が昇らないうちから、彼は日課を開始する。

 走り込みをして、剣を振ること約二時間。それに必死で着いていったアウローラは、朝食の時間にはすでに疲労困憊の状況だった。

 だが、すでに肉体が成熟しきっているアウローラはある程度の無茶が可能だと判断したイエルは、アウローラに休ませなかった。もちろん、アウローラは休む気はなかった。

 何しろ、疲労で動くことすら厳しかった体も、朝食を挟めば完全に回復していたから。勝手に体を回復させる精霊に物申したいところはあったが、アウローラは何も言うことなく――精霊に通じるとは思っていない――イエルと剣の稽古に臨んだ。


「剣士としての一つの分水嶺が、魔力を扱えるかどうかだ」


 アウローラが魔力、と繰り返す。

 木剣を握るイエルが、その切っ先を真っすぐに伸ばす。そして、その木の剣は、イエルの目の前にあった大きな岩へと迫って――するり、と抵抗もなく木の剣が岩を切り裂いた。


「……え?」


 ぽかんと、目の前の光景を見てアウローラは動きを止めた。それから、目をこすって見間違いじゃないかと確認し、頬を抓って夢の可能性を否定し、綺麗に切り裂かれた岩の切断面を軽くなぜて、ようやく理解した。


「言葉で言っても分からないだろ?要は、剣を使った魔法だと思えばいい。剣に魔力を込めて、その状態で精霊に切れ味を願う。その願いに精霊が答えてくれれば、あらゆるものを切断する切れ味の完成ってわけだ」


 その言葉に驚愕すると共に、アウローラは自分がその剣士の頂にたどり着けるのか、不安に思った。なぜならアウローラは、自分しか癒せない回復魔法使いだから。精霊に呪われているように思うように他者を癒すことのできない自分が剣の切れ味を精霊に上手くお願いできるとは、アウローラには思えなかった。


 そんな心配そうな顔をするアウローラを見て、イエルは気にするなと笑った。


「何せ、この頂にたどり着けるのは大国でも片手に上るくらいだからな」


「イエルってすごい?」


「まぁな。それなりに強いとは自負してるよ。まあ慢心する気はないけどな」


 少しだけ悲しそうに遠くを見つめる目をしたイエルにそれ以上何も言うことはなく、アウローラはその手に握る木剣に早速魔力を流し込んで――

 パァン、と木剣が破裂した。

 吹き飛んだ木片が、アウローラの肌に突き刺さる。イエルを襲った破片は、その肌に当たった瞬間に砕け散り、イエルに傷一つつけることはなかった。


「大丈夫か⁉」


 慌ててアウローラに近づくイエルを前に、アウローラは問題ない、と頷きながら一息に木片を腕から抜き取った。

 血が飛び散る。大動脈が傷ついていそうな出血を見て、今すぐ止血を――と告げたイエルは、動きを止めてその傷の変化を見た。

 淡い緑の光に包まれた傷は、一瞬にしてそこに傷があったことも分からないほどに完璧に怪我を癒した。


「…………何だ?」


 呆然と、理解できないと言った顔で、イエルがアウローラへと視線を向ける。その様子は、先ほどアウローラがイエルの剣技を見た際のそれにそっくりだった。

 イエルはアウローラの腕を取ってその肌を撫でる。ん、とアウローラが小さく喘ぐ。肌に触れ、傷口を端正に確認し、鼻息が当たるほど近くに顔を近づけて傷を見て、そして、再び顔を上げて首を傾げた。


「……私は、自己回復魔法って呼んでる。私は、他の人をほとんど癒せない代わりに、精霊が勝手に魔力を使って体を癒してくれるの」


「精霊が勝手に、体を癒す……?」


 理解できない現象にぶち当たったイエルは頭を抱えてぶつぶつとつぶやきだした。


 ああいやあいつが確か精霊はもっと感情を持った自由な存在だと言っていて……だとすると自然か?だが勝手に人の体内の魔力を消費するなんてレベルは流石に……精霊に愛されている?アウローラの体を癒すことを求める精霊がアウローラの体に宿っている?宿主であれば精霊が勝手に怪我を癒すというのも考えられるか、でも前例がない、だが仮にそうだとすると他の魔法特に剣技は上手くいくのか――


「イエル?」


 イエルの顔を覗き込んだアウローラとすぐ近くで目が合い、イエルはとっさに顔をのけぞらせた。そして、気づく。アウローラではなく、イエルがどんどんアウローラの顔に自分の顔を近づけていたということに。

 訳の分からない存在から逃げるような動きをしたイエルを、アウローラが少し悲しそうな眼で見ていた。それに気づいたイエルは、木刀を手放しておろおろと手を動かし、やがてアウローラの頭に大きな手を載せた。

 わしわしとその頭を撫でれば、アウローラは嬉しそうに笑み崩れた。


 その笑顔を見ながら、アウローラはただの人だと、イエルは再確認した。色々と調べる必要はありそうだが、アウローラは普通の人だ――そうイエルが認識したことを見抜いたアウローラは、肩の荷が下りたと言った様子で小さく安堵の吐息を漏らした。






「いいか、戦いに身を置く剣士にとって何より重要なのは、その心構えだ」


 疲れ果てて地面に座り込んだアウローラを見下ろしながら、イエルは真剣な表情で語る。荒い呼吸を繰り返すアウローラも、真剣な面持ちでイエルの話を聞いていた。


「剣とは、他者を傷つけるための武器だ。その武器を握る以上、戦いに身を置く覚悟が必要だ。どうしたって、戦士は人を傷つける宿命から逃れられえない。たとえ魔物との戦いに主眼を置いていても、緊急時には剣を取って戦うことになる。そんなときに必要な覚悟は、つまり己の芯だ。たとえ誰かを傷つけることがあっても、これだけは絶対に失ってはならない、破ってはならない、そんな心の芯が必要だ。それがないと、俺たちはただの兵器になるか、あるいは戦士にもなれずに朽ちていくことになる」


 強く拳を握りながら、アウローラは小さくうなずく。その返事を確認してから、イエルは木刀を地面に突き刺し、それを支えにして言葉を続ける。


「何かを守るため、助けるため。そのためなら悪魔に魂を売ってもいいと思える芯がないと、人はたやすく瓦解する。人を斬るとは、殺すとは、そういうことだ。心を無にするな、その一振りが何を意味するか噛みしめろ。それができなければただの畜生だ」


 畜生、とアウローラは繰り返す。かつて無心でナイフを振り下ろしたアウローラは、畜生だった。そんな畜生が改めて剣を握る覚悟をした。ならば、無意味に死んで行くことになった彼のために、アウローラは先輩剣士の教えにならい、正しい道を歩まなければならない。たとえそれが、血に濡れた修羅の道だとしても。


 一振りの意味を理解しろ――そう言いながら、イエルは持ち上げた剣を強く振り下ろす。

 その剣には、確かに魂が乗っていた。覚悟が、あるいは諦めが、乗っていた。


 目を閉じ、考える。

 強大な力に、戦争という狂気に翻弄される弱者を救う――違う、とアウローラは考えた。


 アウローラが抱いた思いは、怒りは、もっと悍ましいものだった。

 後付けの美しい、守りたいという思いは正しくはなかった。


 アウローラは、戦争が憎かった。戦争という存在を、許せなかった。その戦争を終わらせるためであれば、誰であろうと――強者に都合よく動かされる一般兵士であろうと斬ると、そう魂で叫んで。


 鋭い一撃を、振り下ろした。


 軽く風を切ったその剣は、まだまだ技量も何もあったものではない剣で。けれどそこに、イエルは狂おしいほどの憤怒を垣間見た。


 復讐の剣だと思った。

 巨悪を恨み、悪になってでも巨悪を斬るという覚悟の乗った剣。


そんな剣をアウローラにふるわせるのが申し訳なくて、けれどアウローラの望みをかなえるならばこれしかないと思いながら、イエルはアウローラに剣を振らせた。

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