第33話 呪術
こっちー、と指し示す声に従うように、アウローラが森の一角へと走り出す。そして、何を思ったかドラゴンもまた、これまでの羽虫を見るような対応とは百八十度変わって、わき目もふらずにアウローラの後を追い始める。
ファイアドラゴンの移動によって、森の火の手が増していく。坂道を上るアウローラを下から灼熱の煙と旋風が襲う。
体が煽られそうになって。けれどアウローラは、捉えた嫌な気配の下へと疾走する。
ありふれた森の、その中に。
後ろめたい所がありますと言わんばかりの真っ黒なローブを来た人影を見つけて、アウローラはその人物へと駆け寄った。
「ま、待て!来るな!」
高い、女性らしい声がフードの下から響いて。
それを気にすることなく、アウローラは血管が浮くほどに握りしめた拳を、その人物の腹部に叩き込んだ。
ごは、と体をくの字に曲げた女が、地面に崩れ落ちる。フードがめくれて、長い紫の髪が森林火災の光に照らし出される。
その片腕へとアウローラが踵を叩き込み、腕を折る。
痛みに悲鳴を上げる女の髪をひっつかみ、アウローラはその不審人物を地面へと叩きつける。
「……どこの者だ?」
兵士時代に培った、声に敵意を乗せる技。現在アウローラの体の中で暴れまわる激情の乗ったその声に、女が声を上ずらせる。股から臭気が漂って来た。
「……あ、あたし、あたしを誰だと思ってるのよ⁉帝国呪術師団所属、ルベリカ・フォーチュン様よ⁉傅きなさいよ、下民!」
「……帝国の、呪術師?……がこんなところで何をやっている?あのドラゴンに引っ付いているお前の魔力は何だ?」
女に触れて、アウローラはその不審人物とファイアドラゴンをつなぐ魔力の糸を感知することに成功した。そうしてよく魔力を感知してみれば、なぜが動きを止めてじっとその場にたたずんでいるファイアドラゴンの頭部に、押さえつけている女の魔力が感じられた。
脳に響く声の話を思い出す。悪くないドラゴンを助ける、悪いのは人間、魔力をぱーんとやる――導き出される答えは、この女がドラゴンを魔力で操っているという物で。
呪術という耳なじみのない技であればそんな恐ろしいことが可能なのかと、アウローラは戦慄を覚えた。
「……呪術とは何だ?」
「ふ、ふん!愚民ごときに話すことなんて――ヒィ⁉」
首に当てられた鋭い刃と、体に突き刺さる殺意を感じて、女が小さく悲鳴を上げる。その体がガクガクと震える。
まるで自分が自分ではないみたいだと、激情に心囚われる思考の端で、アウローラは他人事のようにそんなことを考えていた。
「死にたくなかったら質問に答えろ。……呪術とは何だ。どうやって、あのドラゴンを操っている?」
今度は、女が躊躇いを見せることはなかった。
そして、女はアウローラの質問に全て正直に答え始めた。その全てが正しいとは確信できずとも、それが驚愕に値する技であることは否定できなかった。
曰く、呪術とは負の感情を使って発動する魔法である。だが、精霊は一般的に正の感情を好む傾向にあり、どれだけ強い負の感情で祈っても、中々答えてはくれない。その問題に対する答えが、精霊を無理やり従わせて魔法を放たせることだった。
術者が抱いていた負の感情は、精霊支配の技術の確率と進歩と共に変化していった。
支配によって精霊自身に痛みを与え、その痛みによって術者のイメージ通りの魔法を生み出させることを。
そうして確立された呪術の一つが、支配した精霊を魔物や人間に埋め込み、精霊自身に絶えず苦痛を与えて得た負の感情で、精霊の憑依対象を思うがままに動かす使役魔法だった。
「……そんな帝国秘蔵の集団が、魔物を操って何をしている?」
冷え冷えとしたアウローラの問いに、女はもう疲労困憊と言った様子で、機械のように淡々と告げた。そのおぞましい、ともすれば魔法によって一都市を滅ぼした皇国より悍ましい計画を。
――皇国各地に潜伏した呪術師たち全員で使役した魔物を集めて首都を強襲して滅ぼし、一気に戦争を終わらせる。
それはもはや、戦争などと呼ぶべきではない、ただの虐殺だった。ファイアドラゴンなどという高位のドラゴンすら使役可能な呪術師たちが集めた魔物が、首都という人口が集中した都市を消滅させる。
そこにはもう、ただの殺戮が待っているだけだった。暴れ狂う魔物たちが街を砕き、家屋を破壊し、人々を踏みつぶし、燃やし、食い殺す。
そんな地獄絵図を想像して、アウローラは顔を真っ青にする。
思考を停止させていた時間は、一瞬だった。アウローラは可能な限りの情報を女から引き出し続けた。
そして、これ以上少しでも呪術師という存在を生かしておくべきではないと判断して。
アウローラは覚悟を決めて、女の首にその刃を通した。
二度目の殺しは、ひどくあっさりと終わった。それは、アウローラの心が死に対して鈍感になりつつあるからか、一度目から慣れを覚えたからか、はたまた目の前の存在が殺すべき悪と確信していたからか。
心の痛みを覚えることのない自分に、アウローラは嫌悪した。そして、その嫌悪を忘れないようにしようと、そう心に誓った。
女は痛みを感じることなく、ただ一瞬でその命を奪われた。
『礼を言うぞ、小さき戦士よ』
転がっていった女の頭部を鼻息荒く踏みつぶしたファイアドラゴンが、口を開いて告げた。
「構いません……というか、話せるのですか?」
『む?高位ドラゴンともなれば、例え死体になろうとも思念ぐらい持っているとも。まさか、聞こえておらんのか?』
何を言っているんだと、そう首を傾げたのは一瞬のこと。
勢いよく視線をドラゴンから手に持つ剣へと移したアウローラは、眉間に深いしわを刻みながらその剣を、邪竜というドラゴンの爪から作られたという剣を睨んだ。
「……聞こえませんよ?」
『うむ、黒竜にも武器としての誇りが生まれたのかもしれぬな……』
そう告げて、ファイアドラゴンはゆっくりと体を覆う灼熱を消していく。燃え盛っていた火が、ドラゴンの体表の熱の鎮静化と共に消えていく。
そうして、周囲の森林火災が静まり、ただ黒煙がくすぶる状態になって。
すまなかったと、ドラゴンは静かに頭を下げた。アウローラが、首を傾げる。
『先ほど殺してしまった人間のことだ。大切な者だったのだろう?』
「……大切というか、まあ、一時的な弟子のような存在でしたよ」
ずきんと、胸が痛んだ。そんな言葉で済まされるようなものなのか――そう思えども、呪術師に操られていたというドラゴンを責めるのはお門違いだという思いがあって。アウローラはただ強く拳を握りしめるにとどめた。
女の死体に一瞥をくれて、アウローラは深呼吸を一つする。ファイアドラゴンに対する怒りの全てを吐き出すように努めた。
『うむ、見事な心の制御よな。精霊の愛し子よ、また相まみえん日が来るのを楽しみにしているぞ』
ガラガラと喉を震わせたドラゴンの言葉を咀嚼したアウローラが質問を投げかけようとした、その時。
ファイアドラゴンは持ち上げた上半身を地面に叩きつけて大地を陥没させ、その先の地面を勢いよく掘り進め始めた。
大地が激しく揺れ、轟音が響き、ファイアドラゴンはいともあっさりとその場から姿を消した。
「…………はぁ」
いくつもの情報を告げるだけ告げて逃げるように消えていったドラゴンによる森の被害を見て、アウローラは大きなため息をついた。
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