第32話 救えぬ命

 夜半に響いた悲鳴。

 それを聞いて、浅い眠りについていたアウローラは藁を敷いた簡易ベッドで飛び起きた。抱くように持っていた剣をつかみ、立ち上がる。寝巻なんて文化は忘れて久しいアウローラは、即座に武装を完了させて小屋の外へと飛び出した。


「……ッ⁉」


 そして、気づく。

 村の外が燃えていることに。

 まるで夕日のように赤い光を立ち上らせる森。逆光で影となった家屋の先を見て、アウローラの頬が引きつる。


 何かがおかしいと、そう思わざるを得なかった。何か、想定外の事態が起こっている気がした。肌に刺さる死の気配が、ゾンビ程度でない存在の接近を伝えていて。


 ゴウ、と空に火柱が立ち上る。天を焦がすほどの灼熱の炎は、遠くにいるアウローラが熱さを感じるほどだった。その火柱から飛んだ炎が、周囲へと広がって、森に火をつけた。


「ッ⁉」


 その炎の先に、ゆらりと体を起こした存在の影を見た。蛇のような、トカゲのような顔。見覚えのあるそれを、アウローラは必死に否定する。

 走り出す。混乱に戸惑う村の住民たちの前を走り抜け、その先へ、少しずつ近づいてくる巨体のもとへと、走る。


「…………ドラゴン?」


 赤い、炎のように赤い鱗に包まれた皮。その鱗にはところどころ岩のようなものがこびりついていた。背中には、六つの小さな山。中央にあるひときわ大きな山から火の粉が散っていた。

 ファイアドラゴン。イエルから話に聞いていた世界の最強格の一体が、そこにいた。

 その接近に感づいた魔物や動物たちが早々と森から姿を消すことで、食われることなく残った死体がゾンビになっていた――それが、最近の村周辺の異常の答えだった。


 思考を停止させている余裕はなかった。煮えたぎる熱が、周囲の気温を少しずつ高くしていっていた。ファイアドラゴンが放つ熱で、その巨体が通った後の地面はドロドロに溶けてしまっていて、白い煙が地面から噴き出していた。

 周囲の草木が、熱せられ、自然発火する。

 燃える森の中央にそびえるドラゴンが、ぐあ、とその大きな口を開いた。


 溶岩のようなどろりとした灼熱の塊が、ドラゴンの口内から飛び出した。

 全力で走り出したアウローラのすぐそばに着弾した溶岩が、飛び散る。小さくも膨大な熱量をはらんだ岩が村を多く壁を一気に燃え上がらせる。


「逃げてくださいッ」


 門の前、恐怖に腰を抜かす男の姿を見て、アウローラは叫ぶ。だが、男は動かない。

 舌打ちしたい気持ちで、アウローラは剣を振りながらファイアドラゴンの背後へと回る。まだまだ上手く制御できていない剣閃は、ドラゴンの鱗で簡単にはじかれてしまった。


 けれど、自分に歯向かってくる塵芥の存在を不快に思ったのか、ファイアドラゴンは瞳をぐりぐりと動かしてアウローラの姿を目で追った。ぐりん、と曲がった首。開かれた口の中に灼熱の光がほとばしり、また一つ溶岩の球が放たれた。

 着弾。

 森が燃える。

 黒煙が立ち上り、視界を悪くする。


 喉や肺に痛みを覚えながら、アウローラは焼けていく森を走る。

 ファイアドラゴンの注意を自分へとひきつけて、せめて村人だけは逃がそうと、そう決意して。


「おい!こっちだ!」


 けれど、そんなアウローラの覚悟を否定するように、まだ声変わりのしていない甲高い声が、ドラゴンの意識に届いた。


「何をやってるの⁉」


 視線を向ける。黒煙が立ち込める視界の先。ファイアドラゴンの真正面に、小さな人影があった。村を背に、どこからか持ちだしてきたらしい古びた片手剣を両手で握りしめた少年が、がくがくと体を揺らしながらもファイアドラゴンに剣を付きつけ、叫ぶ。恐怖を、振り払うように。


「俺、俺だって、強いんだよ!俺は村を守る、未来の村長なんだよ!お前も、村も、俺が守るんだッ」


 理解できなかった。自分は逃げることの大切さをちゃんと伝えたはずだと、アウローラはそう思った。自分は死なずにファイアドラゴンを引き付けることができるのだから、ただ逃げてくれればいいのに――そう、思って。そこでようやく、アウローラは自分の回復魔法のことを、村長の息子である少年が知らないことに思い至った。

 そして、気づく。異常な自己回復魔法なしでアウローラを見れば、それは己の身を犠牲にして村を守る行動でしかないと。


「馬鹿!早く逃げて!」


 逃げるもんか――恐怖に染まった少年の声が、ひどく遠くから響く。

 走馬灯のように、アウローラの脳裏に少年との時間が流れる。村から脱走した先でゾンビに追われていた少年を救った時の事。剣を教えろと叫んで、棒を片手に躍りかかって来たこと。軽くのされて、ふてくされて地面を転がっていたこと。何日も懲りずにやって来ては、対戦をしたこと。


 視界が急速に色あせていく。楽しかった――戦争から逃避している自分の現実を忘れていられる時間が、過去のものになっていく。


 走り出す、その足は。

 けれどどう頑張っても、間に合うはずがなくて。


「駄目ぇぇぇぇぇッ」


 伸ばした、その手は届くことはなく。

 ファイアドラゴンが吐き出した溶岩の球に飲まれて、少年の姿は消えた。


 一歩、二歩と。慣性に従って惰性で進めた足が、止まる。

 力なく地面へと落ちていく片手を、強く握りしめた。


 許さない――金色の瞳を殺意に染めて、アウローラはドラゴンを睨む。

 ファイアドラゴンが何だ、高位のドラゴンだからどうした、どれだけこの身が焼けようと、回復しながら突っ込んでこの剣の切っ先を届かせれば首を斬り落とせる――


 強く漆黒の剣を握って、アウローラが走り出す。

 少年の消失を確認したドラゴンが、ゆっくりと真後ろから近づくアウローラへと首をひねり、視線を向ける。


 燃える大地に足を焦がされながら、アウローラが前へと走る。焼けた肺が、酸素を体に取り込めなくなる。脳が沸騰しそうなほど熱く、意識が白濁していって――


 願いに答えた精霊が、アウローラの体を癒す。

 癒して、焼かれて、癒して、燃えて。

 火に飲まれながら、アウローラが跳び上がる。燃えることなくその手の中に存在する漆黒の剣を強く握り、ファイアドラゴンの首目がけて振りぬいて――


 ――だめ!


 声が聞こえた。脳に直接響くような、あの声。けれど、そこには温かな温もりはなく、焦燥と、怒りと、悲しみが混じっていた。


 ――その子をきずつけないで!

 ――その子はわるくないの。

 ――悪いのは人間!

 ――人間はいつもそう。

 ――ぱんちしてやるの!

 ――違うの、解放してあげるの!

 ――魔力を、パーン、ってするの!

 ――ドラゴンさんを助けてあげて?

 ――大丈夫、君ならできるさ!

 ――ふぁいとー!おー!


 爆発したように、無数の声が響く。

痛みに顔をしかめたアウローラの剣が、ブレる。白くかすむ視界の中、ファイアドラゴンが首をひねり、アウローラの剣の軌道から、遠ざかる。


 鱗一枚を切っ先がさらい、パキンとはじけて飛び散った。


 そのまま、長い首を元に戻す動作と共にくり出されたファイアドラゴンの頭突きを受けて、アウローラは十メートル以上吹き飛ばされた。

 ゴロゴロと地面を転がる。衣服を覆っていた炎が消え、白煙が立ち上る。体と一緒に衣服も回復する異常な回復魔法の光に包まれながら、アウローラは心の中の声に苛立ちをぶつける。お前たちは何がしたいんだ――そう、問いただす。


 ――ドラゴンさんに悪いことをする人間にメッてしたいの。

 ――人間!人間を斃すの!僕たちから無理やり力を奪う悪い人間!

 ――わたし、あいつらきらーい。

 ――てーこくのじゅじゅつしをたおすのだー!

 ――ふぁいとー!やったれー!


「……呪術師?」


 単語の一つを拾い上げたアウローラが、情報の濁流に顔をしかめながらそうつぶやいた。

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