第34話 報われぬ結末

 パァン、と空高く乾いた音が響いた。頬にひりつくような痛みを覚えつつ、アウローラは甘んじてその行為を受け入れた。

 平手を振りぬいた村長は、肩で息をしながら、涙でにじんだ怒りのまなざしをアウローラへと向ける。


「どうして息子を守ってくれなかった⁉」


 悲痛な悲鳴に、心臓が締め付けられるように痛んだ。

 村長の息子――自分が軽く剣を教えていた少年を、アウローラは守るつもりだった。少年が少しでも生き残れるように、逃げる大切さだって教えた。けれど村を守りたいという少年の思いが、アウローラの予想以上に強くて、そして何よりファイアドラゴンという存在が強大で。


 目の前で炭と消えた少年のことを思い出し、アウローラは泣きたい面持ちで少しだけ顔をゆがめた。


 目の前でボロボロと泣く村長の涙が移ってしまいそうで。けれど自分にはその資格はないのだと、アウローラは固く拳を握りながら己に言い聞かせた。


「そう彼女を責めなさんな」


「……おふくろは黙ってろッ」


 村長へと声をかけてきた老婆――村長の母親は一喝され、困ったような顔をアウローラに向ける。そんなすがられる顔をされても、とアウローラは内心で困り果てていた。


 息子はもういないのだと、かみしめるように村長は歯を食いしばった。彼もまた、自分の行為が八つ当たりでしかないことには気づいていた。

 息子が村から勝手に出て行っていたことも知っていたし、アウローラが助けなければゾンビに食われて死んでいたかもしれないという話も本人から聞いていた――それもあってアウローラを追い出しにくかった。


 そして何より、ファイアドラゴンの襲撃の中、アウローラが村からドラゴンを引き離すべく行動していたその献身も知っていて、それに息子が水を差したことも、村長は知っていた。

 八つ当たりだと、わかっていて。

 それでも、責める対象が目の前にいて、責めを甘んじて受け入れる存在が目の前にいるために、村長は流されてしまう。


 そんな自分が、嫌だった。

 彼は、周囲から嫌悪を宿した視線が自分に突き刺さっているのを感じていた。


 村の者たちもアウローラの献身を知っていて、アウローラに感謝こそすれど罵倒するなどもってのほかだった。

 あるいは、身内を亡くした者は、どうして村長だけがアウローラを罵倒しているのかと、そんなおかしな怒りさえ覚えていた。


 雰囲気の悪化を感じて、少しずつ村長の精神は落ち着いていく。

 あるいは、彼の心は深い闇の中へと落ちていった。

 自身の体が外界から闇によって隔てられているような感覚がした。手足は鉛のように重く、視界は暗く、音は低くよどんで聞こえ、もがけばもがくほどに思考は息子の姿を思い出し、精神がすり減っていく。

 強く、強く歯を食いしばって。


「……この村から、出て行ってくれ」


 歯の隙間から絞り出すように、村長はアウローラに告げた。

 アウローラは、ただの一言も言葉を発することはなく、ただうなずいて彼に背を向けて歩き出した。


 責めてくれたら――そんな場違いな思いを、彼は抱いた。もしアウローラが責めてくれれば、無責任に当たり散らしたという事実も、少しは軽くなる気がしたのに。


 黒焦げた木の壁を越えて、村を出る。かつて門だったその場所に転がる小さな木片を見て、アウローラは涙で視界がにじんだ。

 上を向いて、涙をこらえる。

 やらなければならないことが、あった。

 狂った呪術師たちから皇国を守り、多くの民を守り、戦争を防ぐ――


 そのためには、たかが一人の少年の死に打ちひしがれている場合ではないと、わかっていて。


 それでも、涙は止められず、透き通ったしずくが頬を伝って流れ落ちた。


「……さようなら」


 村を振り返ることなく、アウローラは歩いていく。

 目指すは皇国の首都。そこに向かっているだろう魔物と呪術師たちの集結は、それほど遠くないことと思われた。






 皇国の村の一つ。

 歩き続けたアウローラは、体の、何よりも心の疲れを感じて、どれだけ時間が残っているかわからない中で街に滞在することを決めた。


 活気のある街を見るだけで、アウローラの目にうっすらと涙がにじんだ。

 感傷的になりすぎていると、そうわかっていて。

 けれど視界に映る街に、アウローラはもうこの世界に存在しない街の風景を、行き交う人々の姿を、重ねていた。


 気づけば視線が、かつて救った姉妹を探していた。あの姉妹もまた、もうとっくに死んでしまっていて、こんな場所にいるはずがないのに。

 血眼になって顔見知りの姿を探している自分に、気づいて。

 アウローラは近くにあった喫茶店に入って、テーブルに勢いよく突っ伏した。

 ゴン、と大きな音がした。

 不審げな、あるいは不愉快げな視線がアウローラへと突き刺さる。そんな視線に注意を払う気力さえなくて、アウローラは机の冷たさを額に感じながら目を閉じた。


「……あの、ご注文は?」


 少々怯えの混ざった少女の声がして、アウローラは思考を現実に引き戻された。


「薬草茶を……ああ、素材買取はやっていますか?」


 注文をしようとして、アウローラは自分が無一文だったことを思い出した。今のアウローラの手持ちは、剣と服、そして道中に倒した魔物や動物の素材、あとはいざという時のために採取しておいた薬草だけ。


 素材――と呆然とつぶやいた少女が、確認してきます、と言ってパタパタと走り去っていく。


 それからすぐに店主らしき男が現れて、どのような品でしょうか、とアウローラに尋ねた。


 緩慢な動きで取り出されたそれを見て、ふむ、と店主はうなり、それから素早く計算する。


 冒険者か、騎士か、あるいは魔物素材を取り扱う商店で働いていた経験があるのだろうかと、アウローラは店主の過去をぼんやりと考察した。

 そうしてほかのことに頭を使って、焦る思いや、心沈ませる記憶が浮上してくるのを必死になって防いでいた。


「……きちんとした店よりは買い取り額は落ちますが、かまいませんか?」


「問題ない、です」


 相変わらず机から顔を上げる気力が起きないアウローラは、ひらひらとその手を振りながら了承の意を示す。アウローラが机に積み上げていた品を持ち上げて店の奥に引っ込んだ店主は、しばらくして独特の香りを漂わせるお茶と、それから買い取り額の入ったお金を入れた袋を持ってきた。


「……これはサービスですよ」


 ことりと置かれたポットから香る薬草茶の匂いをかいで、アウローラが勢いよく顔を上げる。その匂いに、覚えがあった。

 なつかしさで、視界がにじむ。


「ピョンピョン草……に、フランの花?」


 ガラス製のポットの中、熱によってくるくると回転する薬草たちに、見覚えがあった。夏に最も滋養強壮の効果が高まるピョンピョン草に、白いフランの花。その組み合わせが、懐かしい、真綿でくるんで心の奥底にしまっていた記憶を揺さぶった。

 あたたかな思い出が、あふれ出す。

 涙が、頬を伝った。

 そしてズキンと、心臓が痛んだ。


「よくご存じで。私のとっておきですよ」


「……少し時期が早い、ですよね?」


 目じりをぬぐいながら尋ねるアウローラに不審げな視線を向けることなく、店主の壮年の男は微笑を浮かべながら頷いた。


「ええ。多少時期が早くはありますが、山の方に行けばすでに収穫時期が来ているのですよ。珍しい組み合わせでしょう?まだ日の上らないうちに採取したフランの花を暗闇で乾燥させると、苦みがほとんど出ずに、薬効のあるかぐわしいお茶になるのですよ。……最も、古い友人の受け売りですけれどね」


 知っていた。その話を聞いたことがあった。故郷の方のレシピだというそのお茶を、二人で一緒になって何度も楽しんだから。アウローラ自身も、作ったことがあったから。

 視線を、机の上へと戻す。震える手をポットに伸ばし、カップにそそぐ。そして、口をつけて。

 万感の思いでその名を呼んだ。


「……イエル」


 あふれ出した涙が、一つまた一つと零れ落ちてテーブルを濡らした。ガラスポットの中の茶葉がゆっくりと沈んでいく。


「彼をご存じで?」


 驚きに目を見開いた壮年の男へと、視線を向ける。改めて目を合わせた男は、銀髪に淡い紫の瞳をした、少しだけ目じりにしわを寄せた優しそうな男で。けれど、戦士としての時代を思わせる、日常から半歩足をずらしたような、不思議な空気をまとっていた。


「……イリェンス、の?」


 懐かしい名前を聞きましたな――店主が遠くを見る目をしながら呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る