第13話 魔道具と神秘学
翌日。寝ぼけまなこをこすりながら、アウローラは焚火に新しい木の枝を放り込んで小さくあくびをした。
夜中にホウエンと火の番を交代してから早六時間ほど。じっと動かずにいることがこれほど苦痛だったのかと新しい発見を噛みしめながら、アウローラは起き上がって体を伸ばした。
パキパキと肩や首が小さく音を立てる。澄んだ森の朝の空気を肺一杯に吸い込んで、アウローラは意識を覚醒させた。
「……朝食の準備でもしようかな」
まだ起きる気配がない――気配そのものがほとんど感じられない――ホウエンを一瞥してから、アウローラは慣れないナイフを使って近くに生えていた野草を調理し始めた。
「……まさか朝からこんなに健康的な食事が食べられるとはねぇ。うん、泣きそうだよ。実に健康的だ」
「ホウエンさんが昨日肉を全部食べ尽くしたよね?」
「だって臭みのほとんどない新鮮なお肉で、香辛料で適度に下味までついてたんだよ。アレを残すなんて罰が当たるよ」
目の前に並べられた緑緑した野草の朝食に小さく嘆息して、けれどホウエンはもりっとアウローラの倍量ほどを平らげた。
「そういえば、ホウエンさんってどんな仕事をしてたの?」
「ん?兵士になる前?それなら冒険者だよ。こんな風に魔物が多くいる場所に踏み入って、未開の地を散策する人類の強者にして未知を求める命知らずたちの職業だよ」
「へぇ、冒険者……ホウエンさんは剣士?斥候?」
「ああ、魔道具技師だね」
魔道具。魔力を動力とする道具の総称であり、とりわけ皇国で発展が目覚ましい分野だった。帝国の冒険者で魔道具を専門とする者を有する冒険者というのはかなり珍しいのではないか――田舎者のアウローラでさえもそう思った。
「正確には、神秘学が専攻なんだよ。魔法とか、魔道具とか、そういった魔力を使って現象を生み出す神秘を探求する学術分野だね。魔道具ってさ、不思議に思わない?」
野営場所の痕跡を消しながらホウエンが問いかけた言葉に、アウローラは「何が?」と質問を返した。
「魔法と魔道具はさ、確かに魔力を使って現象を起こすという点では同じなわけだけれど、大きな差異があるんだよ。……つまり、祈りの問題だよ」
「祈り……魔道具には、人の思いがない?」
その通り、とホウエンはパチンと指を鳴らす。
当たり前だが、人が作り上げた道具に過ぎない魔道具には、人の思いなんて籠っていない。作った当初はともかく、燃料となる魔物の核――魔核や魔力結晶の類を交換していく中で製作当初の思いがこもった魔力など消費されつくしてしまい、精霊に人々の思いは届かない――はずなのに、魔道具は精霊にイメージを届けて魔法に似た現象を生み出す。
「この問題に対するアプローチの一つが、魔道具の回路――魔力の流れる道自体が、そこに流れる魔力に願う現象のイメージを込める役割をしているんじゃないかって考えなんだけれど……人の思いなんてものを、たかが魔力が流れるだけで込めることができるなんて、そんなはずがないじゃないかと、ボクのような人間は思うわけだ」
「じゃあ、魔道具はおかしいって結論?」
「いいや、視点を変えるんだよ。ボクたちの見落としは、魔道具じゃなくて、イメージを受け取る精霊の方にあるんじゃないかってね。例えば、精霊は実はすごく強い自我を持った存在で、その魔道具が好みであればイメージが載っていなくても型通りの現象を生み出してくれるんじゃないかって話」
「……祈りが無くても、魔法が発動する?」
「そう。精霊はランプならランプ、魔剣なら魔剣の形を覚えていて、その魔道具に対して常に同じ効果を与えてくれるんじゃないか……なんて話だよ。これを考えれば魔法のゆらぎも説明できるんだよね。水場であれば水魔法が上手く発動できるのは、そこに水を好む精霊が多くいるからじゃないかって話。あるいは、アウローラちゃんのパターンだと、近くに回復魔法を好む精霊がいないか、アウローラちゃんから離れて行ってしまうために、回復魔法が使えない。あるいは……特殊な回復魔法を好む精霊がアウローラちゃんにべったりと引っ付いているせいで、普通の回復魔法が正常に発動できない」
どう?とそう聞かれて。
アウローラが思い出したのは、失ったはずの自分の腕が再生していたことだった。
あれが特殊な魔法だとすれば、自分は欠損を回復させる力があるのか――そう考えれば、虚無感によって足から力が抜け落ちてしまいそうだった。もしそんな力があればレインと仲違いすることもなかっただろうと思って。けれど、かつて戦場で手あたり次第試した際に失われた脚が生えることがなかったことを思い出せば、自分の力は欠損回復ではないとアウローラは自然と受け入れられた。
であれば、自己の肉体に限って恐るべき力量で癒すことができる――自己回復魔法とでも呼ぶべき魔法なのではないかと、そう考えた。
その言葉は、アウローラの中でこれ以外に考えられないというほどにしっくりくるものだった。
納得げに小さく頷くアウローラを見て、ホウエンは楽しそうに笑っていた。
「……まあそんなわけで、精霊はボクたちが思っているよりずっと感情的な存在なんじゃないかって思うんだよ。これは、ひょっとしたら精霊との意思疎通だって可能じゃないかと思うんだ。ワクワクしない?魔力に乗せたイメージを介してしかやり取りできない精霊と、完璧に意思の疎通ができたら、きっと今よりもずっと精度の高い魔法を、あるいはずっと魔力効率のいい高威力の魔法を放てるようになるかもしれないんだよ」
夢が広がるよねぇ、と空を見上げながら楽しそうにつぶやいたホウエンは、さて、と強く手を打った。
「いつまでもこんな話をしていたって仕方がないし、ちょっくら今日の食料採取に向かおうか」
「……魔物は、問題ない?」
「魔物の多くは、どういうわけか夜行性がほとんどだからねぇ。よっぽどのことが無ければ大丈夫だと思うよ?」
――それから、約一時間後。
「……ホウエンの嘘つき」
無数の黒い巨大な蟻に追われながら、アウローラはホウエンの背中に愚痴を飛ばす。
「いや、よっぽどのことが無ければって言っただけだし、例外なんていくらでもあるよ!というか、ついに呼び捨て!悪くないんだけど、このタイミングで変化すると、仲良くなったというよりも敬われなくなったから呼び捨てになったっていう気がしなくもないんだけどさぁ⁉」
「……知りたい?」
「いいや知りたくないでーす!」
耳を塞いで嫌だと頭を振るホウエンにもアウローラにも、かなりの余裕があって。そうして二人は、全力疾走を続けて蟻の津波から何とか逃れることができた。
「ずいぶんくたびれてるね?」
実に半月に渡る野生生活の末、迎えに来た男性兵士はアウローラとホウエンの姿を見てそんな第一声を発した。
衣服は擦り切れ、もはや着ていない方がましなのではと疑うほど。日に焼けた肌を晒す野性味あふれる二人は、この森にしっかり順応している様子だった。
当初から野営地にしていた場所には今では大量の骨が並び、野草が干され、掘られた洞窟の先には毛皮や羽毛を使ったベッドまで用意されていた。
その死骸の山を恐れてか、周囲に動物や魔物の気配はなく、そこだけ空白地帯のように生命の極度に少ない静まり返った空間ができていた。それもあって、男は迷うことなく一直線にこの場に来ることができていた。
もはや二人は、完全にこの森に棲んでいた。
「……ホウエンが、阿呆だった」
「ひど⁉アウローラちゃんだって蜂蜜採取だなんて言ってマッドベアー怒らせたじゃん!」
「蟻の巣穴に石を蹴り込んだり、大蛇の尻尾を踏んだり、猿の木の実を横取りしたりしたホウエンよりはよっぽどまし」
男性兵士をそっちのけで言い合いを始めた二人を見て、仲良きことはいいことかな、と思いつつ、彼は二人の言葉を簡潔にまとめて見せた。
「…………あー、つまりは二人そろって考えなしだった、と」
違うこいつが――声をそろえてそんなことを言うアウローラとホウエンを見て、男は腹を抱えて笑った。
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