第10話 覚醒と捕縛
熱くて痛くて苦しくて。
吸った煙の苦しさに、アウローラは目を開けた。
そして、目を瞠った。
目の前に、まるで自分に覆いかぶさるようにユリーカがいた。その美しい顔は血に染まり、燃え移った長い髪が燃え始めて臭気を放っていた。
「ユリーカさん!」
声を張り上げる。その声は、けれど煙にやられたせいかひどくかすれていた。咳き込む。腕を動かそうとして、気づく。
アウローラの片腕はがれきの間に埋まり、そして反対の手は、肩の付け根で消失していることに。
そう理解した途端、恐るべき痛みがアウローラを襲った。視界がチカチカと明滅し、ブラックアウトと覚醒を繰り返す。喉を破るような叫びがもれる。
けれど、それでも、なすべきことがあった。
自分をこれまで支えてくれて、守ってくれて、そして自分と一緒に助かるために退避が遅れて傷ついているユリーカを、救いたいと思った。救わなければならないと、思った。
感情は要らない――
叫ぶ声に、黙れと一言叩きつけて。
アウローラは、願った。ユリーカを助けてくれと、彼女を癒してくれと、願った。
「私はどうなってもいい!だから彼女を!ユリーカを癒して!私のたった一人の大切な人を、癒してよッ」
がれきに覆われた空へと、視界に映るユリーカへと、そしてあらゆる場所に存在しているという精霊へと、願った。
魔力に、ありったけの思いを載せて、回復魔法という奇跡の発現を、願う。ユリーカの傷が癒えることを、願う。
祈りが、精霊へと届き。
そしてアウローラの視界の前に、いつものように淡い緑の小さな光が現れた。
小さすぎた。それは、頭から血を流し、呼吸をしている様子もなく、アウローラをがれきから支えるつっかえ棒のような役割を果たしているユリーカを癒すには全く足りない奇跡の光だった。
「どうして、どうして!」
声を張り上げて、アウローラは叫ぶ。どうして、自分は回復魔法を十分に使えないのか。どうして、今、ユリーカを回復させたいという願いに答えてくれないのか。どうして、
精霊は差別するのか――
何度叫ぼうと、何度祈ろうと、精霊は答えてはくれなかった。
ただ、迫る炎の色だけが、絶望にゆがんだ世界の中で、アウローラの目を照らし続けた。炎を背にいただいたユリーカは、まるで後光差す神か天使のようだった。
その髪から燃え移った炎が、ユリーカの服を、体を、燃やしていく。
視界が、涙でにじんだ。
絶望が、心を染める。
それでも、アウローラは祈り続けた。願い続けた。
今更心からの願いを精霊に送るなんて、むしがいいと思った。
心なんて不要だと思いながら回復魔法を使う努力をしてこなかった自分を呪った。
もし、この約二年、心を開いて回復魔法を精霊に願い続けていたら何か違っただろうかと、そう考えて。
そしたら自分はもっと早く発狂死でもしていただろうなと、アウローラはそう結論を出した。
結局何も変わりはしなかっただろうな――炎の先に消えゆくユリーカを最後に見て。
アウローラの意識は、暗闇へと落ちていった。
――ぶ?
――――だ!
――――かな?
――――う!
声が、聞こえた気がした。
梢が鳴ったような声。川のせせらぎのような声。吹き抜ける風のように、涼やかな声。
柔らかな、陽だまりのような気配があった。
森の草木のようなにおいがした。
草原の中で風に吹かれて仰向けに寝そべった、あの日のことを思い出した。
――――?
その声が、何かをたずねた。
何を言っているかは、わからなくて。
けれど不思議と、心はその質問に、手を伸ばした。
お願い、私は――――
「わた、し、は―――」
燃える手が、視界に映った。痛みが、体を襲った。
全身が、焼ける。潰れた四肢が痛んだ。肺が痛い、目が痛い、喉が痛い、頭が痛い、苦しい、つらい、痛い、苦しい、苦しい、苦しいッ
痛くて、苦しくて、そんな、永遠にも等しい責め苦が過ぎて。
弱まっていく炎の中に、木漏れ日のような淡い金色がかった緑の光を、見た気がした。それは、回復の光。回復魔法を使う時に生じる、精霊たちの光。
そのまばゆい光は、アウローラの全身から立ち上っていた。まるで、自分が回復魔法そのものになったように、アウローラの体が光り輝いていた。
「な、に、これ……?」
炎が、消えていく。
熱が、消失していく。
黒色に染まった世界の先へと、手を伸ばす。
手が、そこにあった。失ったはずの手が、自分の意思によって動く手が、そこにはあった。
「私……生きてる?」
伸ばした手が、焼けたがれきの壁を破って空へと伸びた。
炭化した破片が入らないように目を閉じる。頬が焼けるように熱かったけれど、それだけ。
手を伸ばした先へと、視線が吸い寄せられた。
白煙が立ち上るその先に、すがすがしい空の青が垣間見えた。
ゆっくりと、体を起こす。
立ち上がった世界は、見渡す限り焼け焦げた黒色の大地になっていた。
肺を襲う煙に咳き込む。
――だいじょうぶ?
――まかせて!
声が、聞こえた。今度は、はっきりとした声。
「……精霊、様?」
体の奥底が、ぽかぽかと温かくなった。
体表からわずかに生まれた緑の光と共に、息苦しさが消えていった。
顔を、上げる。
再び見回した世界には、何もなかった。
無数のがれきの山。焼け焦げ、黒ずんだ死の世界が、そこにあって。
頬を、つねる。ちいさな、痛み。
「……生きてる?」
呆然とつぶやくアウローラの視界の先に、揺れ動く人影が見えた。
その姿が近づいて来るのを、彼女は呆然と見つめ続けた。
「うっそだろ⁉どうして生きてんだよ?俺は幻覚でも見てんのか……痛い痛い痛い!」
相方に頬を引っ張られた男が涙目で抗議する。その顔を押しやったもう一人の男が、真っすぐにアウローラを見る。
鷹のような、鋭い銀の眼光が、アウローラを射抜く。
いつだったか、こんな目でにらまれたことがあったような――そんなことを、アウローラはぼんやりと思っていた。
「……お前、所属はどこだ?」
ちらりと、アウローラの視線が下を向く。男たちの胸元には、ドラゴンと剣――ではなく、皇国の所属を表す獅子と槍が描かれていた。
逡巡は、一瞬のことだった。
「……帝国兵、アウローラ」
ふぅん、と二人の男はアウローラの体を上から下まで見つめる。炭と灰に塗れた、汚い体。まるで乞食を思わせるぼろ布を纏った少女は、けれど戦争にあってなお異様に見える、不思議な光を帯びた金色の目をしていた。
少女の髪が、風で流れる。
炭のように黒い髪と一緒に、小さな焼け残りが空に舞っていった。
「ここにいる理由は何だ?」
「……戦友の、形見を探して」
下を向いたアウローラにつられて、二人の男も足元を見つめる。そこにあるのは無数のがれきの山ばかり。掘り返されたような一か所は、アウローラが掘り進めた穴であるように思われた。
「そうか。俺たちは皇国の兵士だ。同行してもらおうか。抵抗はするなよ?」
反論も抵抗もなく、アウローラは静かに頷いて二人の後を追って歩き始めた。
もう一度、背後を振り向く。
アウローラが埋まっていたそこにはもう、誰の存在も見いだせなかった。
灰と消えたユリーカに黙礼し、アウローラは背を伸ばして男の後を追って歩き出した。
その日、帝国は皇国の魔法という脅威を知った。
そして、誰も知らないところで、一人の少女が決意をした。
空しい戦争を、終わらせる決意を。
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