第9話 瓦解
「放てーッ」
「押し込め!この戦いも終わりが近いぞ!」
射られる無数の矢が雨となって皇国軍を襲う。同時に、放たれた魔道砲の弾が帝国の砦の一部を穿ち、攻撃が止んだその場所へと皇国兵が殺到する。
損害を度外視したようなぶつかり合いが、砦にて発生していた。傷つき倒れる兵士は後を絶たず、回復兵たちはもはや完全に手が回っていなかった。
押し寄せる負傷者たちは、回復が追いつかずに息を引き取っていく。歯がゆくても、どうしようもなくて。回復兵たちは必死になって治療を進めるしかなかった。
そんな中、アウローラは自分に迫る、あるいはこの砦全体に広がる濃密な死の気配を感じていた。それは、ただの直感。気配と呼ぶにも足りない予感でしかなくて。
けれど、自分の戦いももうすぐ終わるのだと、そんな諦観をにじませながら回復兵としての戦いを続けていた。
優先されるのは軽傷の者。彼らを癒して戦線に復帰させることが回復兵たちの第一目標となり、その状況で、アウローラはたいして役に立たなかった。ただ、いつも通り負傷者を見て、手当てをする。
それだけ。
奇跡のように負傷者を癒せない自分の力を少しだけ悔しく思って、アウローラは治療に加えて他の回復兵のサポートへと手を伸ばした。
破壊の音が、近づいて来る。
死の足音が迫って来る。
少しずつ広がる絶望の空気の中で、回復兵の一人が手を止めた。
――黒の死神だ!
――突破された!
――どこから入った⁉
絶望の声が、聞こえてくる。
恐怖に青ざめた男性が、走り出す。
その姿を見た他の回復兵が、無事な兵士が、走り出す。
堰を切ったように混乱状況に陥って、アウローラもまた、なすべきことをするために動き出した。
「ユリーカさん。ここはもう駄目だよ。だから、逃げて」
「逃げてって……どこに?」
戦争から逃げ出したのでは、逃亡兵扱いされてしまう。だから逃げるならば味方の将が退却命令を出すか、あるいは敗走した先で帝国軍へと組み込まれなければならない。
「……どこへでも。多分、ここに残ったら全員死ぬよ」
死ぬ――ひどくあっさりと言われたその言葉に、ユリーカは息をのむ。そして、この状態に置いて眉一つ動かさないアウローラを見て、目をしばたたかせる。
アウローラの腕をつかんで、ユリーカが走り出す。
「ちょっと、走るわよ!」
「走るって、どうして?」
「どうしてって……」
振り返った先、光を失ったアウローラの目が、ユリーカを射抜く。動きが止まったユリーカの腕が、振り払われる。
少しだけ困ったように微笑を浮かべたアウローラが、口を開く。
「私はいいから、早く。もう時間がないよ。死が、もう近くに――」
「だから、アウローラも逃げるのよ!」
髪を振り乱しながら、ユリーカが叫ぶ。
聞き分けの無い子だなぁと、そんな目をしたアウローラが、首を振る。
見つめ合う両者は、一歩も引かなくて。けれどアウローラの顔に、わずかな焦りがにじむ。
時間がなかった。ユリーカだけでも逃がそうと、そう思っていた。それなのに自分の存在が邪魔をしているとそうアウローラは理解した。
無数のうめき声が響く救護室の中央で二人はにらみ合い、そして。
地面が、砦が、激しく揺れた。
揺れる天井が、降り注ぐ。
アウローラは必死に駆けだして、ユリーカへと手を伸ばして――
そして、世界が闇に落ちた。
『インヴィータ・ロ・スピリット・デル・フオーコ――』
遠くから聞こえる呪文を聞いて、黒目黒髪の男が顔を上げる。
「……嵌められたか」
小さくつぶやかれた言葉は、味方の裏切りを意味していた。
最初から、予想はしていた。
こんな激戦区の砦に帝国の若き皇子がいるなど眉唾だと思っていて、けれどその命令に抗えるほどの立場が、男にはなかった。
皇国の英雄、黒の死神。
彼は、自分を嵌めた皇国の下種と、この手で切り裂きたかった帝国の敵を思って強く歯を食いしばった。
戦場で無数の死を積み上げた男は、自分にもまた死が訪れると理解し、納得して。
けれど体は、まるで死に抗うように反射的に走り出していた。
血でぬれた黒い鎧が、勢いよく角を曲がる際に壁にぶつかってガシャンと音を立てる。
その音で死神の接近に気づいた薄汚れた身なりの男が顔を絶望に染める。
一閃。
男を斬り払って、死神は前へと駆ける。出口へと、砦に存在する数少ない窓を目指して、走る。
吐く息は荒く、肺は悲鳴を上げていて。これまでの無茶が祟ったせいか全身が軋んでいた。
極限の集中状態の中、視界はスローモーションになり、色が落ち、世界から音が抜ける。
足下が、激しく震動した。
空気が揺れる。
風の流れに身を任せて、死神は窓のある大きな一室へと飛び込んだ。
横たわる無数の人――場所は救護室。
走る視界の端で、一人の女性が、走り出す。
血相を変えて、守るべき人物へと飛び出して――
二人の姿が、崩落の中に消える。美しい慈愛の光景は、破壊の前には無力だった。
それを見送った次の瞬間には、死神は剣で木板の窓を切り裂き、天へと飛び出し――
ゴウ、と風がうなりを上げた。
天を衝くような巨大な火柱が、上がる。
皇国魔法部隊オベリオン。その真価が発揮された連帯魔法――複数の魔法使いが要所要所を手分けして祈ることで人跡未踏の規模の現象を引き起こす魔法が、帝国の砦の一つを飲み込んだ。
「やったか⁉」
天へと上る巨大な火柱を見て、男性は歓喜の声を上げた。憎き黒の死神を、自分の手から栄光を奪い去り、あまつさえ平民の分際で尊き血の上に立とうとする下賤なる男の死を予感して――
「誰を、殺ったのかな?」
冷え冷えとした、どこか楽し気な気配も漂わせた男性の声を聴いて、反逆の将はゆっくりと背後を振り向き、表情を絶望に染めた。
目に映ったのは、黒いロングコート。その胸にある銀糸の薔薇が、男の絶望の幕開けを意味していた。
「……粛清部隊、アウトレイジ?」
「良く知ってるね?知っていて死神を屠ったなら大したものだけれど」
ま、まさか――死を予感した将は、額に冷や汗をにじませながら、その言葉を紡ごうとして。
「ああ、違うよ?彼はボクたちの仲間じゃあない。最も、その最有力候補だった彼を消した罪は重いよ。皇国の繁栄のためにも、ボクたちには君みたいなクズを消し去る使命があるんだ」
銀の刃が、男の首に迫り切り裂く――
ぐるり、と目を回して倒れた男は、股を濡らして気絶した。
その首からは、血は流れてはいなかった。
ただ、皮膚に触れるかどうかと言ったところで、銀の刃はぴたりと動きを止めていた。
首を切られたと、そう錯覚するほど研ぎ澄まされた殺意を剣に込めて見せた男は、けれどつまらなさそうにその刃を鞘に納め、燃え上がる砦へと振り向いた。
「まさか、君はそんなところで死ぬ玉じゃないよね……イエル」
煌々と燃え上がる炎にも劣らぬ恍惚とした表情で、男は楽しそうにつぶやいた。
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