第38話 厄災
皇国の奥の手の一つ、ドラゴンゴーレム。それは、かつて帝国建国史において多くの被害を出しながら討伐されたと記録される邪竜、その力を利用しようというものだった。
無数の悪意によって心染めた邪竜――皇国では黒竜と呼ばれるそれは、その身を包む悪意のままに世界に存在する精霊たちを食らい、そうして恐るべき力を発揮したと言い伝えられていて。
その力をもって帝国を滅ぼすことを皇国は計画していた。それは奇しくも、帝国が奥の手としていた呪術に該当する力だった。
だから、ドラゴンゴーレムが莫大な死と恐怖と絶望の感情を飲み、その核とした黒竜の牙から作られたナイフに宿る黒竜の残留思念を呼び起こし、活性化させた。
そしてここからが、皇国の想定外。
目覚めた黒竜の思念は、歓喜した。不遜にも世界に広がる塵芥の虫どもを殺せる二度目の機会を手に入れたと、笑った。その思念は、皇国の魔道具技術の粋を込めて作られた精密なゴーレムの体に侵食し、その制御を、奪い取った。
動きが止まったドラゴンゴーレムからあふれ出した漆黒の霧が、塗装の剥げたメタリックなボディを包み込み、黒く染める。まるでかつての姿を取り戻すように、その体が黒い皮のようなものに覆われた。
その背中に巨大な漆黒の翼が生まれ、薄い翼膜が広がり、黒竜は空へと飛び立った。
『ガアアアアアアッ』
大気を震わす咆哮を聞いて、その場の誰もが、絶望した。あれは、人類には決してかなわない怪物だと。戦ってはならない、化け物だと。
ギロリと、ドラゴンゴーレムの漆黒の瞳がうごめき、皇国の陣地を捉える。その口に、莫大なエネルギーが集まっていく。
「どういうことだ!なぜあれはこちらを狙うのだ⁉」
この期に及んで状況を理解していない皇国軍の将の一人が喚いた。
「魔法だ!今すぐあれを打ち落とせ!」
「無理だ!もう間に合わない!」
魔法使いの悲痛な叫び声が、皇国軍の陣営に響き渡った。
「……だから、黒竜の力なんて制御できないって、そういったのになぁ」
底なしの虚無をたたえた瞳で空を見上げながら、ホウエンが小さくつぶやいた。
漆黒のブレスを放とうと、黒竜が口を開いた、その瞬間。
真下から空を切り裂いて飛んだ漆黒の剣閃が、黒竜の顎をかち上げた。
呻く黒竜が上空でバランスを崩す。上に向いた口から放たれたブレスが空へと昇り、その先にあった雲を消し飛ばした。
「……何が、おきた?」
誰かが、呆然とつぶやいた。皇国軍を間一髪のところで救ったその一撃は、すでに生者などいないはずの戦場の中央から、放たれていた。
誰かが、あ、と声を上げた。
戦場の中央に、ボコリと盛り上がった穴。そこに、遠近感が狂いそうな大きさをした一匹の爬虫類の顔と、その存在に向かって頭を下げる、揺れる黒髪を見た。
「……英雄イーリエ?」
皇国の誰かが、つぶやいた。伝説の中にある一幕、ドラゴンと思いを交わして戦いに協力してもらう伝承が兵士の脳裏をよぎった。
脳に直接響く声に――精霊に頼み込まれたアウローラが、ファイアドラゴンに導かれて戦場に降り立った。再び大地に潜っていくドラゴンに頭を下げて、アウローラは見まいとしていた血と死にまみれた世界へと目を向けて、瞳から光を消した。
その地獄絵図は、もはやほかにどんな言葉で表現しようもない悲惨なものだった。帝国人も、皇国人も、魔物も、すべてが等しく死の海の中の一つになっていた。
腹の底からこみ上げる吐き気を気力で抑え込んで、アウローラは空から怒りをぶつけてくるドラゴンをにらんだ。
「…………邪竜?」
ドクンと鼓動を刻むように、その手の中にある漆黒の剣が熱を帯びた気がした。怒りの形相を浮かべた黒い竜が、勢いよく降下を開始する。再びブレスの邪魔をするなど許さないと、その顔が告げていた。
一直線に襲い掛かってくる邪竜へと、アウローラが剣を向ける。
恐るべき速さで接近した邪竜が目にもとまらぬ速度でその漆黒の爪を振りぬいた。それにぎりぎりのところで動きを合わせたアウローラが、剣で防御を試みた。
とんでもない速度の乗ったドラゴンの爪は、アウローラを切り裂くこともその剣を叩きわることもなく。されどアウローラの体を大きく後方へと吹き飛ばした。
翼を広げて地面への衝突を回避した邪竜が、慣性を生かしてアウローラへと尻尾を振るう。
今度は、その動きにアウローラが間に合うことはなく。
強烈な尻尾の一撃が、アウローラの体を地面へとたたきつけた。
一瞬、意識が吹き飛んで。続く激しい痛みとともに、アウローラは喉が張り裂けそうな絶叫を上げた。目の前が真っ白になり、体が激しい熱を帯びて痛んだ。
それでも、アウローラの抗う心が、邪竜に敵意を抱く精霊が、回復魔法を発動させてアウローラの体を癒す。
緑の光に包まれたアウローラが、半分ほど大地に埋まっていた体を起こす。
その視界に、口内に漆黒の光を集めた邪竜の姿を捉える。
かつて受けたフォレストドラゴンとは比較にならないエネルギーのこもった一撃を前に、アウローラは今度こそ死を覚悟した。
一瞬にして体が塵一つ残すことなく消滅すればいかに精霊といえど肉体を回復させることはできないだろうと、そう直感した。
濃密な死が、絶望の闇が、アウローラへと手を伸ばす。ゆっくりと、視界が闇に染まっていく。これで終わりだと、そう、思って。
それなのにアウローラの体は、抗うように剣を振り上げていた。
勝てるはずがないのに、抗ったって無意味なのに。
それでも、アウローラは勝ちたいと思った。生きたいと、思った。
何よりも、自分に命をつないでくれたイエルのために、こんな道半ばで死ぬわけにはいかないと、そう思って。
――それがお前の覚悟か?
声が聞こえた気がした。それは、これまで聞こえてきた精霊の声ではない、低く落ち着いた声。そしてあるいは、わずかな怒りと、敵意をはらんだ声。
――お前は、何を望んで剣を振るう?
もう一度、声が聞こえた。
その声に、かつてイエルが告げた言葉が、声が重なった。
だからだろうか、アウローラは反射的に、ともすれば幻聴と疑うその声に答えていた。
「守りたいものを守り抜くためにッ」
魂からの叫びは、確かに声の主に届いた。
ぞわりと、全身の毛が逆立つような力が、その手に握る剣からアウローラの全身へと駆け巡った。まるで沸騰するように全身が熱を帯び、視界が開けた。
アウローラの体から、わずかな黒い霧が立ち上る。
それは、剣に宿っていた邪竜の残留思念が操る力。
光を取り戻したアウローラの目の前に、放たれた漆黒のブレスが迫って。
――あんなまがい物の力など消し飛ばしてしまえッ
その声に突き動かされるように、アウローラは剣を振り下ろした。
振り下ろされた剣から、三日月のような漆黒の斬撃が飛ぶ。それは、ひどくあっさりとブレスの奔流を左右に断ち切って、その奥へと飛んだ。
濃密に圧縮された剣閃が、ゴーレム邪竜のアギトに深い傷を刻んだ。
『グガァァァァッ⁉』
邪竜が絶叫する。
左右後方で、大地をうがったブレスが爆発的な風を吹き起こす。
その突風に背中を預けるようにして大地を駆け抜けたアウローラが、剣をさらに強く握り、横に薙ぐ。
邪竜の片腕が、切り飛ばされる。
胴体が半ばほどまで断たれて、そして。
「はあああああああッ」
流れるように振り下ろされた漆黒の剣が、邪竜の頭部を両断した。
抵抗なく頭部を切り裂いた漆黒の刃が勢い余って地面を軽く切り裂く。
そうして、わずかな駆動音を響かせた後。
邪竜の思念に支配されたドラゴンゴーレムは地面に崩れ落ち、動かなくなった。
わぁ、と遠くから濁流のごとく歓声が押し寄せた。
邪竜の力を意識して剣へと押し戻しながら、アウローラが小さく息を吐いて――
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