弐 袖振り合うも他生の縁

 経理で採用をしてもらえると思っておりましたが、驚くべきことに生産技術統括のお仕事をいただきました。

 どうやら戦争訓練での技術工の経験が、生きたのだと思います。

 この会社での主な事業は肥料の生産。

 今までの肥料といえば、鶏糞けいふんや人のそれが使われることが多かったのです。

 この会社の事業は、食品の余りなどから栄養成分を取り出し、それを濃縮するというものでした。

 より高い栄養素を含んだ肥料は、より栄養価の高い野菜を作り出すことができます。

 科学技術の進歩により、私たちの口に入る食品の品質さえも上がる。

 これよりまた新しい世界が開けていくことを身をもって感じておりました。


 そういえばこの会社で、うちに居座るタダ飯喰らいも働くことになったのです。

 調子のいい悪友は口のうまさを買われ、営業職としてこの肥料を売る仕事を得たのでございます。

 しかし、このタダ飯喰らいは、ようやく働く口を得たというのに私の家から出て行こうともしないのです。

 こちらは新婚だというのに、もう少しは気を遣ってもらいたいものです。

 照は『家の中が明るくなるから』とまったく気にしてはいないようでした。

 私が神経質に考えすぎているのでしょうか?

 この辺りも、まったく難解であります。


 はてさて、この仕事に慣れてきますと、色んな所に顔が利くようになってきます。

 特にうちの悪友は、取引先との関係を築くといっては、毎日のように酒を飲みに行くようになりました。

 当然のように私も連れ出され、そりゃあもう、たくさんの人たちと酒を酌み交わしました。

 酒は嫌いではないのでいいのですが、酔いつぶれた悪友を始末することが悩みのタネであります。

 調子に乗って話に華を咲かせては、大酒を飲み、正体を失う。

「みっともない姿をさらすんじゃあ、ありませんよ」と、何度も注意をしているのですが、本人の自覚がちょっと足りません。

 私は、保護者としての立場で、この悪友との夜の外交をしておりました。


「あんたら、オモシロイな。どういう関係なんだい? 仕事は何をやっているんだい?」

 ビジネスマン、サラリーマンなんて言葉がはやり出した時分に、それらの人たちが多く集まる街でいつものように飲んでいたことです。

 向かい隣に座っていたビシッと背広を着こなした男性二人組に声をかけられました。

 このように私たちが面白おかしく酒を飲んでいると、時々声をかけられるのです。

 そうやって仲良くなった人たちは、さまざまな業種の方でした。

 からみ、そして話を聞き、上手いこと行くようであれば、自分たちの仕事と商品を紹介する。


 仕事のためというより、私たちは人が好きだったのでしょう。

 悪友も口が上手で、どんな人であってもその懐に入っていきます。

 こちらがヒヤヒヤする程の物言いになることもありますが、本人からすると「酒の席の上だ」という始末。

 保護者としては、なんともかたわら痛いものでした。


 しかし、今日話しかけられた人たちは、ちょっと違いました。

 上質の背広を着ているのですが、酒の飲み方や喋り方がどことなく粗暴なのです。

 カヲルはいつも通り、調子に乗ってまくし立てるように話しております。

 私も所々、相槌を打つも、相手に対して失礼になっちゃあいないかを気にしながら話していきます。

「よかったら、うちの会社で働ないてみないか? あんたたちの雰囲気、いいんだよなぁ。

 まずは雰囲気だけでもいいんだ。ちょっと見に来てくれよ」

 そういうとその男は紙を差し出してきました。いわゆる名刺というものです。


『暁新聞社 総務部 人事課』


 私たちは目を見合わせました。

「し、新聞社? 新聞って、あの新聞!? 俺たち、新聞書くのか?」

 ちょっとは、落ち着きなさい。私だってビックリしているんだから。

 私は、ずいと前にのめり、その男に聞きます。

「私たちは、しがない工場夫です。何が面白くて、そんなお話をいただけるんですか?」

 いぶかし気な雰囲気を隠さず、ストレートに聞いてみました。


 その男は、鼻でフフンと笑い、目を細め、話をはじめます。

 嘲笑ちょうしょうではない。興味の笑いであります。

「君のそういうところ。そして相方君の喋りの面白さだよ。新聞社といっても何も新聞を書くだけではない。新聞を刷る部門、企業などに売る営業部門、会社の運営を行う総務部門などたくさんあるんだ。

 戦争を終え、新聞業界は他の業種に比較して早く立て直すことができた。

 とはいっても人材不足なんだ。しかも、一部、旧態依然の考えが残っているんだ。君たちを見ていたら、なんかやってくれそうな気がしてな。

 まあ、興味があったら会いに来てくれよ」


 そういうと男たちは、店を出て行ってしまいました。

 残された私たちははたから見れば、豆鉄砲を喰らった鳩のようだったでしょう。

 手元に置かれたビールは、いつの間にかぬるくなっておりました。

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