弐 傲慢と甘えという大罪

「まさか、会ってくれるとは思ってもみなかったよ……」

 新興のターミナル駅。

 都心から電車で三十分もかからないベッドタウンの中央に位置する。

 三つの路線が乗り入れ、最近では駅ビルに映画館もできた。

 当然に人の往来が盛んになり、街の様相は過去のそれとはまったく異なるモノとなった。

 一昔前までは、有り余る土地を青空駐車場としてしか利用できていなかったのに、既に三件ものデパートが立ち並ぶ。

 ショッピングに映画に、食事を楽しむため、多くの人たちがこの街を訪れる。

 私の家からは、二つ離れた駅にある。

 我が家も週末には、この駅でちょっと贅沢な夕食を楽しむこともしばし。

 活気が溢れるこの街に有名珈琲店が進出するのは、必然のことだろう。


 橙色の温かい照明がボウっと店内を照らす。

 宵の口の喫茶店は、仕事帰りの客で賑わう。

 一日の疲れをコーヒーの香りで癒すサラリーマンやPCに向かい必死に何かを打ち込んでいる女性、ネクタイを緩め会社の愚痴をこぼす二人の男、読み残した記事はないかと新聞の隅から隅まで再度舐めるように読む老人男性など様々な人種で彩られる。


 そんな独特な雰囲気の流れる喫茶店の中、奥まったテーブル席で私は、英叔父さんと会っていた。

 先日、突然私のスマホにメールが入った。

「少しだけで構わないから、話ができないかな?」

 最初はイタズラメールなのかと思ったが、文末に「英」の文字。

 私は、すぐさま返信をし、今日会うことを約束した。

 じいちゃんが亡くなってから、既に二年が経過しようとしている冬のことだった。


 久しぶりに会う英叔父さんの頬は驚くほどコケ、目の周りも落ちくぼんでいた。その目は、まるで死んだ魚のように濁っており、私の前にいるにも関わらず、何も見ていないようだった。

 背が高く、がっしりとした体躯のイメージだったが、今目の前にいる叔父は枯れ木のように痩せ細っている。しっかりと食事はとっているのだろうか?

 そんな姿からもこの二年間の激しさを感じさせる。

「まさか、会ってくれるとは思わなかったよ……。

 あの件以来、私のことを嫌いになってしまったのでは、と思っていたからね。

 まあ、嫌われてしまっても当然のことをしてしまったんだ。

 私には、父さんや兄さん、そして白や虎に謝っても、許してもらえないことをしてしまった……」

 大きいはずだと思っていた英叔父さんは、とても小さく見える。


「嫌いになるだなんて……。

 むしろ、あの後、全く連絡ができなくなってしまったから、心配していたんだよ。

 父さんもじいちゃんもことあるごとに『英からの連絡はないか? 』といつも言っていたよ。

 英叔父さんはどうしていたの? 家族のみんなは元気している?」

 訴えられたとき、カチンときたのは事実だ。

 だが、訴えの内容を聞いたときに「英叔父さんは錯乱している」と確信めいたモノを感じていた。


 多分、じいちゃんの事業のことだけではなく、大きな問題を他にも抱えていたのだろうと。

 そして……、嫌うことなんてできない。

 むしろ、私が英叔父さんの不正を暴いてしまったことで、家族関係にひびを入れてしまったとも感じている。

 私こそ、嫌われても仕方がない。


「定年が間近だったんだ……。

 三十年以上務めたゼネコンをもう少しで定年になる。

 今まで安定していた収入が途切れることになると今後、どうやって家族を養っていけばいい?

 まだ、娘達だって結婚してはいないし、老後の蓄えだって多いわけではない。

 そのためには、新しい収入源を得なければいけないと焦っていたんだ。

 そんなとき、高校の頃の友人に『一緒に会社をはじめないか?』と誘われたんだ。

 高校時代、サッカー部で一緒に練習していた友人なんだ。

 仲が良く、いつも一緒にいるほど信頼し合っていたはずだった……。

 最初は、『経営について学んでほしい』といわれ、コンサル料として彼に月に百万円を渡した。

 最初のうちは彼と会って、経営のノウハウを色々と教えてもらったんだ。事業の立て方、人の使い方、お金の回し方など、本当に経営についてのイロハを学べたと思っていた。

 でも、徐々にその回数が減り、十カ月経つ頃に彼は『いま、凄く忙しい時期なんだ』と言って、会うことはほぼ無くなってしまった。

 それでも彼は電話や電子メールで、次々にお金を要求してきたんだ。

 新しい事務所を抑える費用だとか、備品を購入する費用、登記に必要な費用など合わせて一億円くらいを渡したと思う……」


 聞いていて吐き気を催す。

 英叔父さんの脇の甘さはもちろんのことだが、詐欺まがいのことを生業にしている人たちがいることに。

 その彼にとっては、英叔父さんはイイ「カモ」であったのだろう。

 人は人生の終わりが見えてくると、どうしても弱気になる。

 何かにすがりたいと思う気持ちはわからないではないが、英叔父さんはすがる相手を間違えた。

 そうであったら、じいちゃんの事業をしっかりと共に支えるべきだったのではないかと心の中でごちる。

 しかし、私が感じている問題はそこではない。


 英叔父さんは、両ひざの前で両手の指を組み、うなだれながら話を続ける。

「ちょうど一年経った頃には、彼と連絡がまったく取れなくなったんだ。

 電話してもつながらないし、教えてもらった住所もでたらめだった……。

 もちろん新しい事務所の場所には、何も無かったよ。

 警察や役所にも相談したが、『それは、しょうがないですね』と言われるだけ。

 会社も定年が間近に迫り、そんなとき父さんから三行半みくだりはんを突き付け……」


 私は、居ても立ってもいられなくなり、英叔父さんのコトバを遮った。

「英叔父さん、僕の質問に答えてよ。僕は『英叔父さんは、なにをしていたの?』って聞いたんだよ?

 今回のことの顛末を聞いているんじゃあない。

 調停後の連絡が取れなくなった後、どうしていたのかをきいているんだよ!」

 英叔父さんは私のコトバにキョトンとしている。

 多分、意味が分かっていないのだろう。

 少し語気が荒くなってしまった。

 今回、英叔父さんが着服したお金がどうなったかなんて、正直どうでもいい。

 調停後、連絡が取れないことがもっとも苦しかった。

 それは、じいちゃんや親父だって同じこと。


「調停の後は……、家も売り払って、妻の実家に家族全員でお世話になっていたんだ……。

 会社からも父さんからも離れたくて、逃げたくて、誰も私のことを知らない場所に行きたかったんだ。

 ケータイも解約し、パソコンも捨てた。誰とも連絡を取りたくなかったんだ。

 私がしてしまった失敗で、多くのお金を失い、人を傷つけ、しなくてもいい不安を家族に与えてしまったんだ。

 今だって妻の実家でお世話になっていて、肩身の狭い思いをしている……。

 少しでも収入を入れようと町工場でだって働いているんだ。

 そんな私は……。

 もう、私には、父さんに合わせる顔はないのかもしれない……」


 もう、コトバが出なかった。

 これではまるで子供だ。

 私が中学生の頃、憧れたゼネコンでバリバリ働いていた英叔父さんはここにはいない。

 いや、その頃も、もしかしたらその姿は、飾り立てたモノだったのかもしれない。


 英叔父さんは、自分の中にあるさまざまなコンプレックスを隠すために、虚勢を張っていたのではないだろうか。

 いつも父であるじいちゃんに認められたく、頑張ってきたのではないだろうか。

 じいちゃんに怒られないように、失敗しないように、歩んできたのではないだろうか。

 ある意味、じいちゃんの「教え」に憑りつかれ、「教え」に合わせるために生きてきたのではないか。

 自らの思考の掘り下げ、そして自分と向き合うことを避けてきたのではないだろうか。


 で、あれば、英叔父さんは、じいちゃんの「教え」の被害者であるともいえるのではないか。

「教え」は、ただ漫然に受け取るだけでは、ただの小煩こうるさしつけでかない。

 受け取る対象によっては、脅威にもなるかもしれない。

 だが、「教え」をしっかりと自らで咀嚼し、そして自分の生活に落とし込む。

 それは、強制されるものではなく、自発的なものとして行うことにより、「教え」としての本当の意味を理解できるのではないか。


 今、目の前で濁った眼をしている英叔父さんを見て思う。

 教え・教育とは、教える側、そして教わる側の姿勢や気持ちによりその伝わり方、学び方が変わる。

 人のコトバ、教えとはなんとも難解なものだと独り言ちる。


「そっか……。

 英叔父さんも大変だったんだね……。苦しかったんだね……。

 ごめんね。ちゃんとわかってあげられなくて……。

 多分、じいちゃんもそういった話を聞いてあげたかったんだと思うよ。

 だから、あの後もずっと『英からの連絡はないか? 』って、気にしていたんだと思う……。

 じいちゃんは、すごく英叔父さんのことが、好きだったんだと思うよ……」

 英叔父さんにこの言葉をかけながら、涙が零れる。

 とっさに口から出たコトバだが、私だけでなくじいちゃんの心も乗っているように感じる。


 数分の沈黙の後、英叔父さんが震えるような声で話し出す。

「白には、悪いんだけど……、父さんと会えるように設定してくれないかな……。

 私も何というか、『しゃん』としたいと思っていたんだ……。

 だから、父さんにきちんと会って謝りたい……。

 本当に失礼なのはわかっている。だけど、父さんにはきちんと謝りたいんだ!」


 は? 一気に感情が暗転する。

 その気持ちは本当に嬉しい。

 そしてそれはじいちゃんが求めていたモノだろう。

 だが。

 本来であれば私に頼らず、自らじいちゃんに連絡を取るべきである。

 しかし、すでにそれは叶わない。

 英叔父さんは、自らの行いから逃げた。

 その後、この苦しい場に立ち会い、そして一歩踏み出したことは称賛に値する。


 だが、もう、遅いのだ。

 自らを育てた親にすら牙をむき、情報や連絡手段を一切絶った。

 そしてすがるように私との会談をセットした。

 さらには、私にじいちゃんとの会うよう調整してほしいという。

 どこまで、他人に頼り、そして歩みをすすめようとしないのだろうか。

 

 もう。遅いのだ。


「は、はは……。ははは……。

 英叔父さんは、久叔父さんやキヨ叔母さんから、なにも聞いていないんだ……。

 僕たちと連絡を取っていなかっただけじゃなく、本当に誰とも連絡を取っていなかったんだ……」

 

 私の中の残酷な何かが首をもたげる。

 先ほどから、チラチラと表出してきているのはわかっていたが、今回はそれを抑えられる自信がない。

 私は英叔父さんに向かって、とても冷ややかにコトバを投げる。

 多分、私の顔は、今までにないくらいに人を見下したものになっていただろう。

「もう、じいちゃんには、会えないんだよ。英叔父さん」


 英叔父さんの右頬が歪む。

 濁っていた目が、一瞬何かをとらえるように動いたが、私の前で再度止まる。

 想像したくないことを想像している顔だ。

 その顔に私の中の何かが、少し安堵する。

「え……、いま、なんて……」

 こちらの想像通りのコトバが返ってくる。

 私の中の何かが、いやらしくニヤリと口元をゆがめる。

 私たちは、必死に連絡を取ろうと思い、そのすべてを尽くしたが、当時、英叔父さんと連絡を取ることができなかった。

 どれだけ、ツライ想いをしてきたか。

 私以上に、じいちゃんが心を痛めていたか。

 そのつらさをほんの少しでも味わって欲しい。

 ……私は、そんなことを考えていた。


「コトバのとおりだよ。

 じいちゃんは、すでに『九品』の中だよ。

 さっきから話しているとおり、じいちゃんはずっと『英から連絡はないか?』と言っていたんだ。

 その想いを英叔父さんはわかる?

 今日、僕はここに来て、すごくがっかりしたよ……」

 感情が止まらない。

 コトバが止まらない。

 これらが相手をどれだけ傷つけるかを私は知っているにも関わらず、それを止められない。

 私の愛したじいちゃんを自分のために、裏切り、そして言い訳をする。

 ニンゲンはそんなに強いものではない。

 そんなことはわかっている。

 だけど、今は自分の感情を抑えきれない。

 私がもっとも愛していたじいちゃんを英叔父さんは、最後のときまで傷つけ続けていたから……。

 だからこそ、許せない……。


「そ、そんな……。じゃあ、私はもう、謝ることすらできないのか……」

 英叔父さんの口から、意味をなさないコトバが流れる。

 多分、混乱していて本人も何を言っているのかを理解できていないのだろう。

 その姿をみる私は、どんどん感情が冷え切っていくのを感じる。

 無神経すぎる英叔父さんに、多分、もっともキツイものになるであろう、次のコトバを投げかけようとする。


 ……その時、なぜだかソースの香りが鼻腔をくすぐった。


 なぜ? ソースの香り?

 私の思考が無理矢理、何かに介入される。

 否応が無しにじいちゃんと毎週食べていた、お好み焼きが脳裏に浮かぶ。

 幸せの、そして安心の味と香りがふわりと、よみがえる。


「……え、英叔父さんが、よかったら『九品』にお参りに行ってあげてくれないかな……。

 じいちゃんもきっと待っていると思うから……。

 多分、英叔父さんとは僕は今後、会えないと思う……。

 さようなら……」


 気付いた時には、私の気持ちとは裏腹に、口からそんな言葉が零れていた。

 目の前の英叔父さんは、両掌で顔を覆い、嗚咽を漏らしている。

 ……今のソースのニオイは、一体、なんだったのだろうか……。



 喫茶店に誰かの入店を告げるカウベルの音が、カラカラと笑うのだった。

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