伍 世界は一日で変わる

 寿司をツマミに萬壽を煽る。なんとも贅沢なことだ。

 そこに加えて私の知らなかった、じいちゃんの生きた時代を聞く。

 私の心はここに来てからというもの、揺さぶられ続けている。

「赤紙は、まず清さんに、次に私に届いた。

『何月何日までに、どこどこの駐屯地まで来られたし』

 臨時召集令状りんじしょうしゅうれいじょうと書かれた薄赤い紙には、命令口調でそう書いてあったんだ。噂には聞いていたが、まるで警察署への出頭要請のようだったよ。

 清さんは陸軍の立川駐屯地。私は、横須賀の海軍へ行くこととなったんだ。当時、清さんは『陸軍は、またも私の人生を狂わすのですか! 』とあまり見せたことがない怒りの言葉を投げていましたよ。よほど陸軍がお嫌いだったのでしょうね。

 戦後に清さんから聞いたのですが、清さんは駐屯地では機械工として訓練をしていたそうです。毎日油まみれになりながら、組立訓練、装填そうてん訓練、白兵戦はくへいせん訓練と、みっちりとシゴかれる。清さんのようにがっしりとした身体つきであっても、かなりしんどかったと言ってました。

 私のいた海軍の方でも、概ね同じようなものでした。それにも関わらず、食事はマズく、量が少ない。お国の為とは思っていましたけど、心の中では『何でこんなことをしなけりゃならんのか』と、いつも思っていましたとも。それは、清さんも同じだったんじゃないでしょうかね。

 ほら。ちゃんと食べないと乾いてしまいますよ」


 いつの間にか、食事の手が止まってしまっていた。そりゃあ、こんなにもリアルな戦中の話を聞いていたんだ。

 頬張るように寿司を口の中へと押し込む。マグロと米と一緒に、今までの話しを咀嚼そしゃくする。

 じいちゃんは商売をはじめ、学業に励み、そして戦争に巻き込まれた十代を過ごした。

 その人生は過酷で、毎日が目まぐるしく変わっていくものだったのだろう。

 それに比べたら、私のここまでの人生はいったいナンダ?

 余りにも甘く、だらしなく、そして何も考えていなかった。

 何よりも「生きること」を他人事のように過ごしてきたと思える。


「しっかりと生きる」

 その感覚は、戦争を体験したからこそ感じることができたのかもしれない。

 今の私たちに必要なものは、こういった感覚なのかもしれない。


「結局、私たちは出兵することなく、終戦を迎えるんです。

 嬉しいような、置いて行かれたような、なんとも言えない感覚でした。

 後に玉音ぎょくおん放送と呼ばれるそれを聞いた時には、私には最初、何を言っているかわかりませんでした。

 その日は本当に暑い日でね。いつもは怖い顔をしてサーベルを振り回していた上官は正装し、涙を流していたいんです。

 ひとしきりラジオからの放送が終わると、上官からは『部屋を片し、退去するように』と指示されました。

 酷いもんですよね……。これまで散々に訓練といっては、シゴかれ、殴られ、整列させられていたのに。その時になってようやく、戦争が終わったことを私は、理解しました。同じ学生兵士も大体同じように感じていたんでしょうね。せっせと身支度をするもの、ダラダラとするもの。色んな思いがあったのでしょう。

 私は、早く九品の『清さん』の家に帰りたく、その日のうちに横須賀を発ちました。

 そんなにたいした荷物なんてありません。あったとしてもちょっとした着替えだけ。その足は、自然と早くなりました。夕刻には到着しましたが、まだ清さんは到着していませんでした。

 照さんも元気そうで、急いで風呂を焚いてくれました。

 ゆっくりと風呂に入るなんて本当に久しぶりでね。

 海軍でのツライ想いも、垢と一緒にぜんぶ流れていくような気がしましたよ。

 夕餉には久しぶりの燗酒を出してくれてね。

 この時の味といったら、今でも忘れることはできませんよ」

 徴兵された多くの人たちは、帰って来ることができなかったと何かの資料で読んだことがある。

 帰ってこれたからこそより強く感じる「生」というもの。

 戦争とは、人々から何もかもを奪う一方で、生きることの意味を問うたのかもしれない。

 少し酔いのまわったアタマでそんなことをボウっと考える。


「酒を飲みながら、照さんに私の海軍での話をしていると、『どうやら清さんも出兵せずにこの日を迎えられたようだ』と涙を浮かべて話してくれました。

 そりゃあ、そうですよ。大切な人が生きて戻ってくるんですよ。

 私は酔った勢いで『もう、離しなさんな』と言ったことを覚えています。

 照さんは、よけいに顔を赤くして、私を小突いてきました。

 チカラは、まったくこもっていませんでしたけどね……」


 ばあちゃん。

 結構なツンデレだったんだな……。


「清さんは、翌日の昼頃に帰ってこられました。

 真っ黒に日に焼けた顔いっぱいの大きな笑顔で、照さんを抱きしめていましたよ。

 本当に幸せそうでした。

 見ていて、自然と涙が出てきてしまうほどでしたね……」

 カヲルさんの話で、その情景が私のアタマの中に広がる。

 普通の人たちが、普通に幸せを享受する。そんな当たり前のことが、戦争が終わることによってはじまる。

 それはたった一日で変わった。

 そんな激動の時代をじいちゃんたちは過ごしてきた。

 想像を遥かに越える世界を知り、改めて私は深い嘆息を漏らす。


「さて、今日はこの辺りにしましょうか。

 さすがの私もちょっと飲み過ぎてしまいました。

 さすが、清さんのお孫さん。

 酒の強さも遺伝するもんなんですね。

 また、大切な友人の話をさせてくださいな……」

 お酒のせいか、少し顔の赤くなった好々爺は寂し気に笑った。

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