第捌章 破軍星

壱 巨星落つ

 独りになってしまった。

 これまでの人生で独りの時間などは、ほとんどなかった。

 いつもそば口煩くちうるさく私をいさめてくれた照がいた。

 憧憬がありつつも、挑みかかってくるような言葉を投げつづけてきた雄と英。

 私のすべてを伝えてきたハクとその兄弟。

 そして照が大事にしてきた手代てだいのキヨ。

 カヲルとレイは今ごろ何をしているのだろうか?

 私は、はじめての孤独という感情にまじまじと今、対峙している。


 こんなにも自分がもろいものだとは、思ってもみなかった。

 毎朝、誰かと顔を見合わせる。

 そんなちっぽけなことがこんなにも私の中では大きく、そして自身の存在を明瞭にするものだとは。

 この歳になって思う。

 人は一人では決して生きてはいけない。

 小さな一言でもいい。

 すれ違いざまの愛想笑いでもいい。

 毎日の中でそんな『どうでもいい。当たり前』のことが、人を人たらしめているのだ。


 今の私には、それがなくなってしまった……。


 自宅の電話が鳴る。

 あぁ。そういえばキヨはもういないんだったなぁ。

 きしひざむちを打ち、電話機へと向かう。

 最近ではコードレスフォンやケータイと呼ばれるものがあるそうだが、なかなかになじめない。

 電話をかける際にボタンを押すのですら違和感をいだく私はもう、時代から見放されているのであろうか?

 受話器を取ると若い男の声がする。

「あ、オレオレ、会社で大きなトラブルを抱えちゃって、百万円を用意しなくちゃいけないんだよ。

 ごめん。どうにか助けてくれないかな」


 はて? 誰であろうか?

 会社でトラブル? 雄か? 英か? それにしては声が若すぎる。

「白、なのか? 大丈夫なのか? そんなはした金もお前にはないのか?」

 なんとも恥ずかしい。

 会社で失敗したからといって、たかが百万円程度で取り乱すとは品が無さすぎる。

「そう、そう。白だ。

 急ぎなんで、すぐに用意できる手持ちがなくってさぁ。

 大体一時間後くらいに行くから準備しておいてくれよな」

「ああ」とだけ伝え、受話器を置く。

 まったく。せわしないことだ。


 白には、雄や英にできなかった「私の教育」をすべて叩き込んできたつもりだ。

 雇われ仕事が終わり、自らの会社をはじめたことでその時間と余裕ができた。

 若き頃より私が得てきた「しゃんとする」ことをはじめ、読み書き、算盤、感謝と敬愛、そして品位ある行動をすべて叩き込んだ。

 白は嫌がりもせず、一つ一つをきちんと学び、それを体得してきた。

 私は白を星であり、私の意志を継ぐ者、この家を継いでいくものとして育ててきた。

 白は順調にその歩を進めてきた。

 そんな時、白から妻をめとりたいとの話があった。


 聞いて呆れた。

 年上女房を希望するとのことだった。

「一つ年上の女房は金の草鞋わらじを履いてでも探せ」というが、七つも年上ということにいささかの不安を感じる。

 戻り女ではないか? 白をたぶらかしているのではないか?

 そんな想いで心が、かき乱される。


 しかし、そんな私の焦燥しょうさいはいとも簡単に霧散むさんした。

 器量もイイ。そして、何よりも一つ一つの仕草しぐさが丁寧なのだ。

 仕草や行動は、その育ちと人となりを表す。

 一朝一夕にはそれを得るのは容易たやすいことではない。

 それ相応の時間と努力、はたまた教育を受けてきたのだと、そのてい所作しょさから感じる。

 雄の嫁からも二言三言あったようだったが、それもがんとはねのけたらしく成婚に至った。


「ちょっとアタマがゆるい白には、ちょうどいい嫁なのではないでしょうか?」

 そんな照の声が、私のアタマの奥で聞こえた気がした。

 その後、二人の子を成すなど、跡継ぎも生まれた。

 この上ない、人生というわだちを白も歩んできているのだとごちる。

 私の教えてきたことに間違えはなかったと……。


 それにしても遅い。

 約束の時間はとうに過ぎ、夕餉の時間に近づいてきている。

 私はケータイを手に取り、白に連絡をとる。

 これがなんとも使い勝手が悪い。しかし、白に連絡する手立てはこれしかない。

 時代が変わったとはいえ、この電子音はいささか慣れないモノだ。


 白には、あれ程までに「時間は命。約束を違えるは、心をはばかるモノ」と教えてきたにも関わらず、この失態は何たることか。

 気持ちがたかぶるのを抑えきれずに電話をかける。

「あれ? じいちゃん? どうしたの何かあった?」

 白の声が耳元に響く。

 何かあったの? じゃあない。お前さんから先に連絡を寄越よこしたんじゃないか。

 慇懃いんぎんを通しつつも、白にいう。


 だが。

 白が電話の向こうで固まるのがうかがえる。

 なぜお前がそんな態度を取るのだ。お前が先に連絡をしてきたのだろう。


「わかった。じいちゃん。

 この後、誰か来ても絶対に家に入れちゃダメだからね。

 父さんが行くまで、絶対に鍵を開けちゃダメだからね」

 そういうと、白はおもむろに電話を切った。

 お前は、何をいっている。

 お前が金を欲しいといったから準備して、待っていたのだ。

 大切な、お前を助けるために。

 お前を守るために、そうしたのに。

 なぜ、そんな言い方をするのだ。


 二時間後。

 雄が青い顔をして私の元を訪れた。

「父さん、誰も家に入れてないよね?

 大丈夫? 何も変な連絡とかなかったよね?」

 何をいうか。

 今、お前を家に入れた。まったく騒がしい。

 まるで一大事なように、話をするんじゃあない。


「父さん。

 昔みたいに、一緒に住もう……」

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