第壱章 貪狼星

壱 落つる涙は、春嵐のごとし

 じいちゃんはってしまった。

 流行病が蔓延まんえんする中、たった独りで。

 最後にじいちゃんに声をかけたのは、病院勤めの妻だった。

 さまざまなご縁が重なり、妻が仕事をする病院に入院し、そして終末期医療を受けることとなった。

 流行病の影響もあり、親族でも面会が出来ない日々が続いていた中、妻の務める病院へ入れたのは幸運だった。

 だからこそ、妻だけがじいちゃんに面会ができた。


 妻は、毎日の雑務に追われながらも、業務終了に併せてじいちゃんの元を訪れていた。

 それは簡単な一言で終わることもあれば、手を握り「早く一緒に家でご飯を食べようね」といったものもあったと聞く。

 このような状況においては、家族としては妻の存在が何よりも嬉しかった。


 だが、世界は淡々と、静かなる残酷さをもってその事実を突きつける。


 ある夏の暑い日、じいちゃんは永眠をした。

 病院からの出棺時には院長を含め、多くの方がお見送りをしてくれた。

 両親と妻の話しでは「ここまで多くの方に見送られる出棺はなかった」という。


 その言葉に嬉しさを感じる一方、私としては何ともいいようの無い想いがこみ上げていた。

 「じいちゃんは、そんな最後を望んではいなかったはずだ……」と。


 私が思うに、じいちゃんが望んだのは「最後の時、家族に手を握られ、その呼吸を少なくしていく」だと。

 大好きな、そして大事な人にその手を握られ、最後の時を迎える。

 じいちゃんはそういった最後を望んでいたのだろうと私は思う。


 なぜ、そう思うって?

 私はじいちゃんから、いつも聞いていただからだ。

 じいちゃんは、口煩くちうるさく「意識高くあれ」「しゃんとしろ」と私にいい続けてきた。

 根本は、私に「生きること」そして「気高さ」を説いていたのだと。


 だが、その背後には常に寂しさがあったように思う。

 それを覆い隠すため「意識高くあれ」や「しゃんとする」と言い続けていたとさえ感じる。


 だが、そんな私の考えを述べたところで、既に本人はもういない。

 そして、私はじいちゃんの「好きにしなさい」という最後の言葉に悩んでいた。


 「好きにしなさい」とは、一体なんなのであろうか?

 娯楽に、肉欲に、金銭欲に溺れることなのであろうか?

 私がじいちゃんから学んできた「帝王学」には、そんなことは一つも無かった。


 「好きにしなさい」とは一体なんだ?

 「私らしく生きる」とは一体なんだ?

 その言葉に押しつぶされそうになりながらも、私なりの「好きに生きる」をはじめてみる。



 私は、会社勤めの四十代前半のおっさんだ。

 三流大学の理系を卒業し、就職氷河期を乗り越えて今の会社に就職。

 妻と二人の子供の四人で生活を送っている。

 会社では、製品・品質管理、それに伴う分析や企画開発など多岐に亘る仕事を管理。

 大変そうだと思われがちだけど、実はそうでもない。

 検査や分析方法は、マニュアル化されているし、最近の分析機器は作業者による精度誤差が無いように簡素化され、その能力は高い。

 企画開発というモノの、会社に出入りするコンサルからの提案を受けた試作品を作成し、その安全性や効果を検証し、報告書としてまとめるというモノ。


 さまざまな薬品を扱うということを除けば、事務仕事と変わらない。

 つまり誰でもできる仕事なのです。

 そんな仕事に慣れてしまうのには存外時間はかかりませんでした。


 退屈はいとも簡単に人を堕落させる。

 はじめて子どもができたときには心から喜び、そして「絶対に守る」と固く誓った思い出がある。

 だが、子どもというのは厄介なモノ。

 幼い頃はどうしたって、夜泣きはするわ、突発の風邪をひく。

 これに対応する妻は、毎日に疲れ、私のことなんて二の次、三の次。

 仕方ないとはアタマでわかっているのの、どうしたって自己肯定感は下がる一方だった。


 会社では、ツマラナイ仕事と、人間関係にヘキヘキし、家庭では、自らの価値は給料を運搬する作業だけと感じるようになった。

 そうなると当然、休日には家に居たくない。

 朝からパチンコ屋に並び、閉店間際まで遊び惚ける。

 そんなにお金があるわけでもなし、ただ家にいたくなかっただけなのです。

 決して手を付けてはいけない家計費の一部にまで手を付け、それでもパチンコに行く。

 親としても、夫としても、一人のニンゲンとしても相当にダメな生活を送っていました。


 今まで男としても、夫としても親としても、ほぼ失格。

 仕事が終わると毎日飲み歩き、休日にはパチンコで一日を過ごす。

 妻や子供に対しても仕事の愚痴や文句を吐き散らかしては、また酒に溺れる。

 家族に対して時間を割くこともせず、その人生を堕落に生きていた。

 そんな私がじいちゃんの死と最後の言葉をきっかけに、その生活のすべてを変えた。


 自己改革に、私のすべてを注いだ。

 朝活に、筋トレに、家族に、新しい習慣に。

 自らを常にアップデートし、取り入れていく。

 さらに、新しいことに挑戦し、もう一段高い自分を手に入れていく。

「じいちゃんに恥じないように」

 そうして一歩、一歩、毎日、毎日、積み上げていく。

 それは、もう義務感のように。

 そこに没頭していくことで、より自分が見えてくる。

 より自分が、自分らしくなっていく。


 この習慣のおかげで、私は昔からの夢に挑戦をする機会を得ることができた。

 結果的には今回は落選という結果にはなったが、私の中では大きな自信になった。

 これからも挑戦は続けていきたいと思う。

 例え、四十歳を越えていたとしても。

 まだまだ人生は変えられ、そして、楽しめると思った。


 この取組は、未だに終わってはいない。

 次の挑戦の機会にも、必ず勝負する。

 そう。私は人生をとおして挑戦者なのだから。

 日々、挑戦し続けていることをやめないでいる。



 そんな中でも「整理」という時間は、やって来るもので。

 遺品整理という名の、「ゴミ捨て」がはじまる。

 じいちゃんが私を好いていたということから、その役割は私に向けられた。

 まあ「なにもわからない人に触られるよりはまし」と私も淡々と進めていく。


「あぁ、メンドくせぇ」

 そんな気持ちと一緒にじいちゃんの昔語りを思い出しながら、カクシャクと片づけを進めていく。


 手が止まる。

 手記、日記帳、アルバムが出てきた。

 それと朱色の大きな珠が付いたかんざし。

 手記、日記帳を興味本位で開き、流し読みし、その手が止まる。

 私は、狂ったように波打つ鼓動を根性でねじ伏せ、親父の部屋に殴り込み、そして大声で問う。

「じいちゃん、新聞社で働いていたんだよな!? 出版社ってなんだよ!?」


 親父は、きょとんと私を見ていた。

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