弐 語り部無き、物語

 私は本業の傍ら、作家活動なんてものをしている。

 本業での収入に、文句があるわけではない。

 ただの興味本位ではじめたものだった。

 昨今では、作家というものに意外と簡単になることができるということを知った。

 いわゆる電子書籍作家というものだ。


 本来、本を出版するのはよほどの著名人か、大学などの御高名な先生方だ。

 その多くの知見や知識をもって、さまざまな書籍が作られる。

 これらは出版業界、そして読者も求めているからこそ、書かれ、そして販売される。

 一部では、出版社と相談をすることで、全く無名の個人が本を出版することができるという。

 いわゆる個人出版といわれるものであるが、それには相応の費用が発生すると聞く。

 また、個人出版の場合は、販売に関する営業などは全て個人で行わなければならない。

 多くのストックを持ち、知り合いに買ってもらったり、書店に置いてもらったりするように交渉を行う。

 正直、個人出版した本が売れたということは、ほぼ聞いたことはない。


 だが、その状況が二千十年代から変化してくる。

 インターネットやスマートフォンの普及によって拡大した市場。

 それが、電子書籍市場だ。


 電子書籍は、一般書籍と比較して多くの利点があるといわれている。

 書籍を購入しても保管場所を取られないこと。外出時やスキマ時間などにも手軽に本が読めること。

 紙や印刷などの原材料費、そして人件費が無いため書籍の価格が抑えられること。

 書籍を出版してもストックとして、自ら保管しないこと。

 そして拡散力の強さなど、電子書籍は現在に非常にマッチした市場であった。

 さらに、この電子書籍市場は、個人作家であっても出版が基本無料できるのである。

 この個人での電子書籍出版は副業としても注目され、多くの人がこれに参入した。


 私も自己研鑽を続ける中でこの電子書籍出版に出会った。

 そして大いにのめり込んでいった。

 これまで私が得てきた知識、学び、そして体験。

 それらを文章としてまとめ、自らの作品として市場に出す。

 しかもこれが無料で行えるだけでなく、いつでも修正可能であるというのだからはじめない手はない。

 気付くと私は電子書籍を執筆し、出版することが趣味になっていた。


 これまでに出版した電子書籍は半年で七冊を超え、売れ行きも好調。

 既読数やレビューもウナギ上りだった。

 じいちゃんの想いを受け、更なる自分の向上、いわゆる自己研鑽を積み重ねているなかでの出会いだった。

 じいちゃんが生きていたら、作家になったことを報告したかったことはいうまでもない。


 作家として活動をはじめ、そして読まれるようになってきている。

 しかし、そんな自分のもっと以前にじいちゃんは、出版社で仕事をしていた。

 モノを編集したり、書いたりしている仕事をしてたのは知ってたが、まさか出版の仕事をしていたとは想像だにしなかった。

「好きに生きなさい」といわれ進んだ道が、奇(く)しくもじいちゃんのいた書籍の世界だとは……。


「なあ、親父、どういうことなんだよ!

 じいちゃんは新聞の仕事をしていたんじゃないのかよ!?

 書籍って…、一体何なんだよ!

 知らなかったのは俺だけなのかよ!」


 口汚く親父に詰め寄る私は、既に感情のみで動いている。

 いうなれば、軽いパニック状態だ。

 客観的に見れば、四十代のオジサンが七十代のおじいちゃんに咬(か)みついている構図。

 まあ、地獄絵図だ。


「え?いまさら何を言っているんだ?

 お前も知ってただろ?

 じいちゃんの会社の漫画や本をよく読んでただろ。

 ガキじゃないんだから、冷静になれよ?

 リビングの書棚を確認してからもう一回、来な」


 親父はサラリと受け流す。

 なにをいうか。

 私がじいちゃんの会社の漫画や本を読んできた? そんなこと知るか。

 漫画や本は私が読みたいものを読み、そして吸収してきたはずだ。

 じいちゃんから「読めっ」って強制されたモノなんて一つもない。

 ましてやリビングの書棚にある本なんて……。



 しかし、……考えると思い当たる漫画や本しかない。

 それらは、自身の子どもたちに、半ば強制的に読ませているものだ。


 大判のきらびやかな表紙が印象的な「夜の帳」

 漫画であるにも関わらず、緑の重厚な装丁の「轟の子」

 小説でもその躍動感やくどうかんが感じられる「機械戦士」

 今でいうライトノベル感覚の小説「吸血鬼狩」、そして「百鬼夜行」。


 ちょっと待て。

 私は、親父の書斎からリビングに駆け下り、それらの本の奥付を見る。


 絶望した。

 知らなかったのは、私だけだった。

 すべてのものに「初版」の字が刻まれ、そして、サインと共に「献本」とある。


 私は、じいちゃんをしたい、尊敬し、その姿に追いつこうと常に行動しはじめたところであった。

 しかし、じいちゃんがどんな仕事をしてきたかを私は全く知らなかったのだ。

 私が見ていたのは、家庭で見せるじいちゃんの姿「のみ」であり、仕事人としてのじいちゃんを全く知らなかった。

 耳元で、

「まだまだ、小僧っこだな」

 と、じいちゃんの声が聞こえたような気がした。

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