第陸章 武曲星

壱 新聞と本とは似て非なるもの

 出向先は、我が新聞社の完全子会社である書籍出版社であった。

 新聞事業だけでなく、出版業にもその裾野を広げることにより事業収益を拡大していく。

 高度経済成長と呼ばれる昨今であれば、この事業拡大は新聞社にとっては大きなステップアップにつながるのだ。

 これまでの顧客は、働き盛り世代が中心であったが、子女や若年層など幅広い対象に新聞や書籍を届けることで、その売り上げを伸ばしていくことが可能である。

 新聞や書籍が知識層だけでなく、一般層に広がることで社会全体の識字率、教養がより底上げされる。

 この方向性は私も十分に納得ができるものだ。


 私はなんとも奇異なことに、この出版社の営業担当役員という籍を得た。

 新聞業での営業とは、掲載広告を取りに行くための営業。

 しかし、出版業ではこれまでと営業の方法がまったく異なる。

 実際に本を売る方策を考え、そして実行していかなければならない。

 これまでとはまったく違う戦いに心が浮足立つ。


 やってやろうじゃないの。

 しかも営業の最高責任者としての籍もいただいている。さらには、企画運営部門には、カヲルがいる。

 この状況を生かし、私たちが出版業に新しい風を吹かせてやる。

 これまでにないくらいに大きなチャンスが到来した。

 この状況を楽しみ、印刷の、そして出版業界を変えてやる。

 私は、いままでのすべての知識、経験をこれに注ぐことを決意した。


 出版業界は、新聞業界とは大きく違う。

 出版業界では、出版社お抱えの書き手が記事を書く。又は、事件・事象に対して自らの経験等を含めた記事を記者が書く。

 だが、出版業界では「売れる」「読まれる」と思われる作家に作品を書いてもらい、そしてそれを販売促進していく。

 自社の記事を発信していくのではなく、読まれる作家を発掘し、情報と流行を作って行く。

 これは新しい構造。

 いや、本当は新しくないのであるが、大手の新聞社の取組みとしては新しいものだ。


 それだけではない。

 新聞社であれば印刷から流通、回収までを自社ですべて完結することができる。

 だが、出版社の場合、関連する業者は新聞業界のそれとは違う。

 書籍の出版であれば、著者による執筆、出版社による校閲や校正、印刷社による文章の印刷、制本社による本の装丁。

 これらのすべてに意識を払うだけでなく、直接販売を行う書店への配慮。

 新聞業界の数倍に及ぶ関係者がそこに並ぶ。

 これらすべてに対して丁寧に接することで、書籍は売れるという仕組みである。

 ここまでの仕事人生の中でやってきた人間関係形成がここでも有効に作用する。

 絶対に成功させてやる。


 まずはこれらの各業者と顔を繋がなければどうしようもない。

 丁度いいことに出版業界にも労働組合があるらしい。

 ということは、この労働組合に対する雇用者連合会があるはずだ。


 労働組合は労働基準法に規定される労働三権のうち、団結権といわれるものに基づき、その存在を認められているモノである。

 雇用者が労働者に対して、不当な労働、処置、手当等を行わないように団結し、モノをいう権利を保持するというものである。

 これら労働者側の要求に対して、雇用者側が歩み寄ることをしないことでストライキを起こすというものを聞いたことはないだろうか。このストライキももちろんのこと労働者側の正当な権利として同法では保証されている。

 労働者の権利を保障し、そして生活を安定させ、不当な扱いを受けない状況を作り出すために制定された法律である。

 労働組合は、その業種や業界などで組織され、小規模なものから大規模なモノまで存在する。

 労働組合の交渉、主張を行う相手側は、管理職、上級職、役員や社長等である。いわゆる雇用側に近い人間が対象となる。

 さらには、異業種間の労働組合の交流も盛んであり、それぞれの活動や主義主張を共有しているところもある。


 だが、


 このような労働組合が存在するは周知の事実だが、雇用者連合会があることを知る人は少ない。

 それはそうだ。なぜなら表立って言えないからだ。

 雇用者や資産家側が労働組合に対して、対応策や情報を共有していたらどうだろう? それは労働基準法の存在自体が危うくなる。そのため、労働者に対しては、わからないように行われ、情報共有がなされる。

 これは当然のことだ。雇用者側は労働者側に対する際、孤立させられ、すべてを労働組合側の条件にすべて合わせなければいけない状況が生まれてしまった場合、当の会社は破綻する恐れがあり、また、これは日本社会の社会主義化をもたらすとも言い換えられるだろう。

 だからこそ「わからないように」存在する。

 社会とは、そういう風に出来ているのだ。

 私は早速、印刷・出版業を営む幾つかの会社に連絡をとり、面談の予約を取り付けた。


 思った通り、ことは容易に進んだ。

 都内に展開する出版、印刷、製本、製巻、書店を営む経営者たちのパーティーを開催した。

 親会社である新聞社を中心に据え、これらの出版関連企業の経営者たちを意見交換、勉強会と称して開催したのだ。

 参加社は七十を超え、出版業に関わる多くの重要人物と関係構築を図ることができた。


 もちろん勉強会の開催を趣旨に謳っているため、新しい企業の役員による講演なども数本行った。

 そこでは革新的印刷方法、新規顧客の開拓方法、魅せる書棚を配置する書店経営など、知識としても、今後の戦略としても、非常に有益な講演が並んだ。

 中でも多くの企業が注目したのが、作家や漫画家専門の学校を立ち上げた話であった。

 世の中には、オモシロイことを考えるニンゲンがいるモノだと、この業界の未来も明るいと微かに思える。

 今回開催した勉強会は多くの参加社から好評得て、四半期に一回、定期開催して欲しいとの声も頂いた。

 思った以上の反響を受け、またその主催の中心である私は、この業界での立ち位置を得たように感じる。

 上手い事やってやれば、この業界はまだまだ伸びる……。

 そう確信のようなモノが生まれてきたのだ。


 私が思っていた以上にこの業界は狭く、そして業界全体の売り上げとしてもひっ迫していることが理解できた。

 であれば、現在のヤリカタを少し変えていくだけで業界全体の売り上げを上げていける。

 そして出版業共同で、消費者を取り込んでいけば、各々の会社も大きくしていくことができる。

 世の中を、日本を、この業界を変えていくのは私だ。

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