肆 学がもたらす品位たるもの

 学校というところは、なんとも奇異なところでございました。

 人が多く、年齢もさまざま。

 なんとも驚いたのが、ここでは教える者と教わる者の区別がはっきりしているということであります。

 江戸川にいた頃は、自分が知っていることと、相手が知っていることを交換することが、学ぶということだと思っておりました。

 ここでは先生というひげを生やした洋装の人が部屋の前に出て、読み書き、算盤、歴史などを教えてくれます。

 叔父様がいうところの「しゃんとする」が、ぴったりと当てはまるような人であります。

 背筋を、目線を、そして、身につけているモノのすべてが「しゃんと」しているのです。


 私はすぐにこの先生という人たちに魅了され、教えてくれる読み書きや、算盤、歴史などに没頭してまいりました。

 そうしていると先生達にも覚えが良くなり、声をかけて頂けるのです。

 私ももっと先生達に近づきたく、あれやこれよと質問をしておりました。

 まったく、学ぶことが楽しいとはこういうことをいうのでしょう。


 そんな中、先生達からこのように言われるようになったのでございます。

「清はもったいないなあ。意欲があるのに『姿勢』が悪く、『声』が小さい。もう少し『しゃん』としたまえ」

 叔父様と同じことを言われてしまったのです。

 私が見習いたいと思っていた先生達にも、そのように見えていたということは、私は「しゃんと」していなかったのでありましょう。

 そのためには「姿勢」を、字を書く時の「目の近さ」を、「声の大きさ」をしっかりと考えなければならない。

 私は、まだ大きく成長できる。

 そのためには、意識して行動をしていかなければならない。

 そんな風に私は思ったのです。


 学校で読み書き、算盤を学んでみるとわかることがたくさんありました。

 番台に座る叔父様の手元や客とのやり取り、帳面のつけ方を見ているだけでも色々とわかります。

 客の言い値に対しての落としどころのつけ方。

 材料の個数と単価を算盤であっという間に計算してしまうこと。

 未使用返品の買い取りの単価計算。

 一日の収入と支出の締め作業など、さまざまなことに算盤や読み書きは有効であることがわかったのです。

 私は、ここへ来ての数カ月は仕事をしているようで、仕事をしていなかったのかもしれません。

 それほどに私は知識も経験も少なかったのです。


 朝は、小僧のような仕事。朝餉をいただいた後は学校にて勉学に励みます。

 帰ってくれば、番台の脇で叔父様の仕事の手伝いをする。

 そんな生活は私の中に習慣として定着し、毎日が充実し、楽しく過ごしておりました。


 私が数えで十四になった夏の暑い日のことでした。

 朝餉の時分、叔父様は私に、

「清、そろそろ番台の隣に座ってみなさい。

 私のやり取りを見て、算盤を弾き、帳簿に記録をしてみなさい」

 そんなことを言われました。

 これまでは脇で見ていたのですが、算盤を弾き、筆を実際に執るということは誠に心が潰れるほどの気持ちになります。

「清、できるな。私の補助をするんだ」


 お金に関しての間違いはあっては、いけません。

 これは叔父様がいつも言っている事ですが、客だけでなく、自分の信用も落とすことなのです。

 だから商いは一銭たりとも間違ってはいけないと。

 こんな話を聞いていたものですから算盤を弾くというのは、なんとも辛い仕事に思えました。


「最初は誰だって、初心者なんだ。とにかくやってみなさい」

 叔父様は残りの朝餉を口の中に押し込み、その後何も言わず商店へと降りていきました。

 私は学校にいる間、気が気ではありませんでした。

 いつもならば間違えるはずの無い二桁の四則演算もはじき間違えるなど、一日中緊張をしておりました。


 家に帰ると叔父様は番台で、首を長くして待っておられました。

 私は、薄い外套がいとう衣紋掛えもんかけにひっかけると俯いたまま、叔父様のられる番台に向かいました。

 叔父様は番台の右側に寄り、左に敷いた座布団を二度ほど叩きました。

 ……座れということです。

 しょうがなく私は、叔父様に一礼した後、叔父様の左に付かせていただきました。

 はじめて触った番台は夏だというのにひんやりと感じました。

 まるで私の中にある不安と同じで、体温をこれでもかと奪っていくようでした。


「これと、これを使いなさい」

 叔父様からは、真新しい算盤と、墨壺すみつぼ、筆が渡されました。

「最初は、ワシの言う通り弾けばいい。

 それから、いわれたとおりに記録すればいいんだ」

 私は、俯いたまま「コクリ」と頷くことしかできませんでした。

「清! しゃんとしろ! そんなんじゃ、取れる客も逃げちまう! 前を向け! そしてしゃんとしろ!」

 叔父様の言葉が私の頬を強く叩いたのでした。

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