肆 かく叱りき

「祖父がせる随分前に、ご自身の体調が悪くなってご家族に引き取られたんです。

 その後は、連絡はまったくありません。

 彼女のことで私の家も随分荒れました……」

 じいちゃんはある期間、女性と同居をしていた。

 カルチャーセンターのある講座で出会ったその女性は、じいちゃんより十歳も若かった。

 とはいっても会ったときには既に七十歳を越えていたのであろう。

 四角い顔でお世辞にも器量がイイとはいえないその老女は、キヨと名乗った。


 私がキヨさんとはじめて会ったのは、年に一度の親族が集まる食事会だった。

 みなとみらいの夜景が一望できるそのレストランが毎回の会場。

 はじめて来たときは、食事よりも夜景に、水面に映る船の明かりに心を奪われたことを覚えている。

「んなぁことは、絶っ対に認めない! 何よりも母さんのことはどうなるんだよ!

 いい年して、そんな品のない話をするんじゃあないよ!」

 えい叔父さんが大声でえる。この人もいい年齢だろうに。

 こういう場で大声を張り上げることの方が、品が無いことをわかっていないのではないだろうか。

 その横でうちの親父は、次のビールを注文している。

 まったく親も親なら、子も子だ。

 そんな冷ややかな目で、家族会での爆弾発表を私は聞いていた。

 奥まったテーブル席。

 ここからは食事をしながら、海と夜景が楽しめる。

 だが、海も、私たちの顔を見ず、じいちゃんの横で申し訳なさそうにキヨさんは俯いていた。


「だからな。お前たちも、孫たちも大きくなったし、私だって少し、ゆっくりしたいんだよ。

 料理教室で知合ったキヨさんじゃ。

 彼女も早くに連れ合いを亡くして、お子さんやお孫さんも既に手から離れている。

 少しの間でも一緒に暮らそうという話になったんだが……。

 お前たちは、どう思う?」

 料理を口に運ぶ手を止め、英叔父さんはさらに続ける。

 力強くその手に握られるナイフとフォークは、一度置いた方がいいのではないだろうか?

「だから、絶っ対、反対だよ!

 どういう了見でも、父さんとその人が一緒に住むことは認めたくないね!

 雄兄さんはどうなんだよ⁉」


 いきなり話を振られたうちの親父はビールにむせる。

 ちゃんと話を聞いていろよ。

 まったく、これでは英叔父さんと、どちらが兄だかわからない。

「んあ?

 いいんじゃないか? 父さんの好きにして。

 別に籍を入れるわけでもないんだし。それに父さんの人生だろ? 英や俺がとやかくいう問題じゃあないよ。

 それよりもここの焼きがにがおいしいみたいだから、早くもってきてもらおう。

 父さんも蟹はスキだろ?

 燗酒かんざけを一本つけよう。二合でいいよな」

 相変わらずのゆるさだ。

 親父はいつもと同じ調子。

 まあ、そんなところに救われもするのだが。


 しかし、これには英叔父さんも耐えきれず、怒りを加速させる。

「雄兄さんがどういったって、そんなこと認め……」

「英! 少し黙りなさい。

 父さんがそうしたいって言っているんだ。

 ガキみたいなことをいつまでもいうんじゃあない!」

 親父がピシャリと話を終わらせる。


 こういうところだ。

 こういうところがやはり親子なのだと感じる。

 じいちゃんは常に「しゃんと」しているのだが、父親はユルユルだ。

 だが、締めるべきところでは、締める。

 そのギャップが大きいからこそ、すごみが生まれるのだが。


 英叔父さんはようやくその手からフォークとナイフを離し、手元のスパークリングワインを一気に煽る。

 怒りが収まらない英叔父さんの眉間には、見たことが無いくらいの縦縞たてじまが刻まれていた。

 そんな見たこともない父親の姿に英叔父さんの娘たちは、動揺の色を隠せない。

「だから、そんな品のない姿を人前で見せる揉んではないんだよ……」と私は心の中でつぶやく。


 向こう隣から蚊の鳴くような声が聞こえてくる。

「ごめんなさい。ごめんなさい……。

 皆さんには絶対に迷惑はおかけしませんから……。

 どうか、どうか少しの間でも構いません……。

 清さんと少しの間、一緒に居させてはもらえませんでしょうか?

 今生の…、今生のお願いです……」

 キヨさんが目元を抑え、俯き、何度も何度もつぶやく。


 この絵は一体なんであろうか?

 気落ちする老女に対して、いい大人が叫び散らす。

 はたから見れば、地獄絵図に他ならない。

 私は他人事にしたかった。

 じいちゃんが大好きな私としては、思うところがなかったわけでもない。

 ただ、じいちゃんの判断だから仕方がないと冷静になれるほど、私は十二分に反抗期の高校生だった。

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