第10話 毎日が株主総会
ユールと私の間にある暗黙の了解は「今現在何をしているか、これから何をするかを隠蔽しない」だ。かなり援助してもらってるし、これはユールの当然の知る権利だと思う。つまり毎日が株主総会。
そんなわけで、正直に核心から話したら零下20度みたいな視線で見られた。
気持ちは分かるけれど釈明させて欲しい。
「ジェイド殿下は、今現在校内の生徒に圧力をかけてティティを孤立させてるの」
「どうしてそんなことを?」
「それを私も知りたい」
生理的に駄目とかだったら仕方ないけど、落としどころがあるかもしれないから理由を知りたい。
帰って着替えてストレッチをしている私に、ユールは呆れた目を向ける。
「理由を知りたくて第一王子に近づいたんですか?」
「学生の今なら、対等な立場で糾弾できるでしょう?」
「また馬鹿の振りをしたんですね、あなたは」
ユールはつかつかと近づいてくると、床で前屈している私の背中をぐっと押す。
ちょ、待っ、そんなに曲がらない!
体は資本だ。体力はトラブル解決には欠かせない要素だから、わざわざそれ用の薄い絨毯を引いてストレッチと筋トレを日課にしてるんだけど、まだリスタートから一ヵ月目だからそんなに体ができてない……。
「ば、馬鹿の振りは……してないわ……第一王子結構鋭いから……善良の振りはしたけど……」
「あなたの善良さは、振りではなくて素ですよ」
あ、手放してくれた。
危なかった。婚約者として出ちゃいけない断末魔が出るところだった。
今度は足を開いて前屈。股関節を伸ばす。
「私の友達が何をしたというんですか! って駆けこんだだけよ。向こうが喧嘩を買ったの」
「その決闘が、額面通り剣でのものでしたら僕が代わりますよ」
「それはちょっと見てみたいかも。でも違うから安心して」
第一王子って剣の腕が立つことでも有名なんだよね。
で、ユールも相当戦える人なんだけど、二人がかち合ったことは幸いない。
「向こうだって私があなたの婚約者であることは把握してるわ。穏便に”クイーンズボード”での勝負です。王子がか弱い転入生をあしらうにはちょうどいいでしょう?」
「誰がか弱いんですか」
「私ですってば」
クイーンズボードはこの国独自のボードゲームだ。
将棋とかチェスとかに似てるけど、私の印象では麻雀っぽいところもある。結構これ得意なんだ。
「勝敗に何か賭けてるんですか?」
「私が買ったらティティを不当に扱わない。私が負けたら以後口を出さない」
「口出し禁止は悪条件でしょう」
「勝っても負けてもいいの。第一王子の考えてることを引き出せれば」
今までは彼が何を考えてるか自体が分からなかったんだ。ただティティに敵意を持ってるなってだけ。ユールとデーエンを後ろ盾にして勝負してるんだから、これはチャンスだと思う。
体を起こして大きく上へ伸びる。肩を血が巡っていくのを感じる。
「私はね、デーエンをティティの契約相手にしたいの。あの二人は好き合ってるから」
「……そうなんですか?」
「あれ、言わなかった?」
「初耳です」
ユールの声音には納得したような安心したような息が混ざっていた。
ごめん、この情報でデーエンの信用度がそんなに担保されるとは思ってなかった。うっかり。
「ネレンディーアだと、将来の王が妖精姫を娶るでしょう? でもどうせ重婚になるなら、第三王子が妖精姫を娶ったってよくないかしら?」
「他国のことなので僕では判断しづらいですね。今までそれが為されなかった理由があるかもしれません」
「そう。だから当事者に直撃訪問」
「あなたの意図は分かりました」
「ちゃんと考えてるのよ。あなたにばかり働かせてないわ」
私が校内で動いている間、ユールには色々分担してもらってる。
純魔結晶の採掘管理と商人との繋ぎ、彫金職人の捜索、ベグザ公爵の内情調査、妖精契約出席者候補の洗い出し、魔女アシーライラの捜索などなど、多すぎてごめんね! 私も私でパーティーの人脈を作らせてもらったから、お茶会や次のパーティーの招待もたくさんもらってるんだけど、王族のユールはそれ以上。
ただロンストンとの交渉はセンシティブだから、私が全部やらせてもらっている。ユールに噛ませると「自分のことはいいから」って変なところで妥協しちゃいそうだし。絶対それは駄目。
今、ユールのお兄さんと文通しながら現地協力者を増やしてるところ。多分、前回より穏便に行ってる。
私は足を開いたまま上体を左に捻る。
振り返ったすぐ前にユールの顔があってぎょっとする。
「うわ」
「あなたが、第一王子ともっと対等にやりあいたいなら――」
「なら?」
「本当に今僕と結婚する手もあります。少なくとも単なる婚約者より、確実にあなたの地位は上がる」
「……それは、そうだけど」
さすがにユールの負担が大きすぎる。今の段階でそこまでは申し訳ない。
彼からすると私は出会って一ヵ月ちょっとの不審者なわけだし。王族の離婚って歴史に残っちゃうんだぞ。ヘンリー8世を見ろ。
けど、即答しなかった私にユールは微苦笑すると立ち上がった。
「いえ、余計なことを言いました。さすがにそこまではさしでがましいですね」
「思ってることがおんなじ」
「どういうことです?」
首を傾げてユールがしゃがみ直そうとする位置を、私は右側にしてもらった。ずっと左側に捻ってると脇腹が吊りそう。
「私もユールにそこまでは迷惑かけられないな、って思ってるわ」
「……あなたは遠慮の基準が分かりませんね」
「一応遠慮することもあるの。将来あなたがちゃんと好きになる相手が出てくるかもだし」
うわ、自分で言ってちょっと凹んだ。
凹むけど……まあ、最初から世界も身分も違うし、私がユールに一方的な好感を持ってるだけだからそこは弁えないと。
右側に座り直してくれたユールは、物言いたげな目を向けてくる。
なんか……こう、無言で腹を探り合うの落ち着かないですね。結構情報を開示してるから特に。
数秒見つめ合った後、ユールは溜息をついて立ち上がる。
「僕にどんな相手が出てきたって、将来寡婦にするだけですよ」
「それは私がさせない」
「ならやっぱり僕の相手は、あなただけだということでしょう」
えええーええーええー
それはなんか、ユールの生殺与奪を握っているのが私しかいないみたいな言い方じゃ……
そんなことないんだけど。ないはずなんだけど。
前を向き直す私に、彼は呆れたように付け足す。
「それにしてもあなたは、おかしな部屋着を着てますね」
「ジャージです」
ミゼルに作ってもらったの。トップデザイナーにジャージを作らせた罪悪感がやばい。ちょっと「気が向いたらでいいんだけど、こういうのがあると嬉しい……」って切り出したんだけど、翌日には「改善点があったらなんでもお申し付けください」という手紙と共に届けられた。本当ごめんなさい。
でもこれで今日も気持ちよく五体投地できそうです。
※
二年後の惨劇をどう回避するかってローズィアの試みは、数字当てゲームに似てる。
どんな数字列が正解か分からないところにとりあえず数字を当てはめて、正誤チェックを押す。
すると当てはめた数字の中で、位置も数字もあっているものがあれば〇、数字があっているけど位置が違うものがあれば△が出る、というあれだ。
けど私たちローズィアが正誤チェックを押せるのは、二年後のある日だけだ。それ以前には自分がやっていることがあっているのか間違っているのかも分からない。
二年後に辿りつく前にローズィアが死んだ例はいくつかあるし、真砂も経験してた。でも私は少なくともそれを意図的に引き起こすことはできない。このループを続ける条件に抵触するからだ。
「本日は貴重なお時間を取ってくださり、ありがとうございます、殿下」
「構わない。言い出したのは俺の方だ」
殿下をこの勝負に乗せたのは私の方なんですけどね。
校舎内にある広い談話室には、見物人が集まって来ていた。
円形のホールで、天井は硝子張り。日の光が差して普段は昼寝をしたくなっちゃうような場所だ。
でも今はそこの中心に、他のテーブルを全部片づけて私とジェイド殿下が一つのテーブルを挟んで向き合ってた。
私の数歩後ろにはデーエンが。ティティは真っ青な顔で、でも目を逸らさずに彼の隣にいてくれる。
見物の生徒たちが漂わせているのは緊張より好奇心だ。
普段、上流階級としての勉学に追われている彼らは、刺激的な娯楽に飢えている。
将来の王様と、隣国王子と婚約した田舎令嬢の対戦なんて、それはそれは面白いだろう。
テーブルの上には升目を描いたボードがある。
マス目は9×9。駒は盤上にない。
それはボードの隣に四列に分けて積み上げられた120枚のコインだ。
ジェイド殿下と私は、よく混ぜられたこのコインを引きながら、それを駒としてボード上で対戦する。つまり軍を共有しての戦いだ。
”クイーンズボード”って名前は、かつてどこかの女王様が重臣二人の意見が割れた時に、どちらを採用するかこれで決めさせたから、という由来らしい。同じ学校の生徒同士が争うのにふさわしいゲームだ。
対面に座るジェイド殿下は、私よりも二回りは大きい。
黒髪に整った顔は弟のデーエンと似ている。似ているけど雰囲気が違う。笑わなそうだし厳しそう。生徒というより不愛想な体育会系顧問だ。
でも、体格差が関係ないのがボードゲームなので。
「そちらが後番でいい。譲ってやろう」
「胸をお借りします。全力で挑ませて頂きますわ」
殿下が先に四つの山の一つからコインを取ると、その一枚を自陣に置く。
続いて私は右手を伸ばして銀のコインを一枚取った。その裏側をジェイド殿下に見せないようにして見る。
――殿下、私は結構接待麻雀が上手いんですよ?
せっかくだから、ティティの分と真砂の分、ここできっちりお返しさせてもらいましょうか!!
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