第9話 卒業までに絶対欠かせない単位



 ティティ――ティティリアシャ・シキワは妖精姫だ。


 妖精姫は、百年から二百年に一度、こちらの世界に遺棄される。

 性別は必ず女性で、赤ん坊の状態で国内の集落のどこかで発見される。

 特徴としては背中に薄羽があることで、「妖精姫」の名前はここからついた。羽は成長するに従って背中に白い光の痣となって吸いこまれていくが、生涯消えることはない。

 妖精姫と王族の契約が始まったのは約700年前で、ただどういう経緯で始まったのかは不明。


 発見された妖精姫は保護された後、大貴族の養女として迎えられる。

 妖精姫はその後、第一王子と契約して彼の妻、妖精妃になる。

 ただ妖精妃は子供を産むことができないので、王妃は別に娶られる。

 妖精妃はそのまま王城で一生を過ごして死ぬ、という感じだ。


 ……整理してみるとひどいね。人権がない。妖精だからとかそういう詭弁は要らない。

 ティティがローズィアの領地に滞在していたのも、どこの家が彼女を養女にするかって揉めてて、彼女の身分が宙に浮いていたかららしい。嫌な話だ。


 ともあれ、ティティはシキワ侯爵家に引き取られて、ティティリアシャ・シキワになった。

 ただ彼女が妖精姫であることは、ほんの一握りの人間しか知らなくて、学生なんかはもちろん知らない。デーエンは王子だから知ってる、という感じだ。


「聞いているの? ローズィア・ペードン。わたしを無視するなんていい度胸ね」

「無視してないわ。ちゃんと聞いてる」


 入学初日の朝、教室に入るなりティティに絡まれた。

 本来より十一カ月前に入学したからか、おかしなイベントが発生してる……。

 私は頬杖をつきたいのを堪えてティティを見上げる。

 青みがかった銀髪は羨ましいくらいの艶やかなストレートで、瞳はローズィアの青よりもっと深い青。

 薄い体を精一杯反らせて虚勢を張っている様は、痛々しいを通り越して可愛い。

 可愛いんだけど……。


「ごめんなさい、ティティ。今日は私、履修登録があるの。放課後に時間を取るからそこでお話しできるかしら?」

「は、は、話なんてする必要ないわ! わたしは、わたしに近づくなと言ってるの!」

「無視するなんていい度胸、じゃなかったの?」

「……う、うう」


 泣いちゃった……。

 さりげなく教室内を見るとみんなサッと視線を逸らす。関わる気はない、って感じだ。

 うーん、ユールが大分入学を早めてくれたから今日は校内のことを先にやっちゃおうと思ったんだけど。

 でも私がここにいるのはティティのためだ。だから、彼女を優先しないって選択肢はない。


 私は立ち上がる。

 小柄なティティがびくっと体を引くのに対し、できるだけ優しい笑顔を見せた。

「分かったわ。今お話ししましょう。その代わり履修登録を先に提出したいから一緒についてきてくれる?」

「……わ、わぁ」


 ……もっと泣いちゃった……なんで……。


                 ※


「ご、ごめんね、ローズィア……」

「分かってる。気にしてないからもう泣かないで」

 

 中庭のベンチに座って、ぐじぐじと泣いているティティにハンカチを渡す。

 一限の講義はこれで欠席だ。ティティの方は授業がないことを確認済。

 貴族学校は学年制じゃなくて単位制で、8つに分かれた大カテゴリの中から各3つ以上、合計135単位を取れば卒業資格がもらえる。

 どれだけたくさん授業をとっても年間の学費は同じなんだけど、学校以外にやることも多いから前回私は必要そうな35単位だけ取っていた。

 なのでせっかくだから今回は前回とは違う授業を取ろうと思ったんだけど……まあいいか、どのみち途中入学だし聴講はいつでも好きにできる。


「気を使って変な距離の取り方しなくていいの。あなたに会いに来たんだから」

「で、でも、わたしのそばにいると、迷惑かけちゃうから……」

「んんんん……」


 正直、心当たりがありすぎて分からない。妖精姫ってやっぱり特殊なポジションだから、極端な話、妖精契約で妖精姫の付き添い人をやると必ず死ぬ。

 でもその未来をティティが知ってるはずがないから別のことかな。どれだろう。

 一年後に入学した時は、ティティはもう悪役令嬢じゃなかったから分からない……。

 二周目のはずなのに速度が速すぎて存在しないエピソードに踏みこんでしまってる。これはもう素直に本人に聞こう。聞くは一時の恥、聞かぬは二年間の無駄遣いだ。


「ねえ、どうして……」

「――待ってくれ! 彼女は悪い人間じゃないんだ!」


 叫ぶ声と共に茂みから人影が飛び出てくる。

 それが誰かは検討がついていたので、私は相手を見る前にベンチから立ち上がると跪いた。


「デーエン殿下、ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

「顔見てないじゃないか」


 そこをつっこまないでほしい。定型句なんだから。



 ネレンディーアには三人の王子がいる。

 第一王子は、気難しくて文武両道のジェイド殿下。

 第二王子は、病弱でお優しいルディア様。この国は女性も称号が王子なんだよね。

 それで第三王子がデーエン殿下。私やティティと同い年の16歳。

 お人好しで抜けてて涙もろいところがある……つまり、ティティと類友の王子様だ。


 黒髪で小柄で元気いっぱいな彼は、私の挨拶を聞いて朗らかに言う。


「なんと、君がローズィアか。ティティから話はよく聞いてたよ」

「ええ。本日からこちらに入学させて頂きました。よろしくお願いいたします」


 ティティを挟んでベンチに座った私と殿下は、改めて挨拶しなおす。

 挟まれて具になってるティティは真っ赤な顔だ。でもデーエンが「膝をつかなくていい」って言ってくれたので……。初対面から隣り合うのも気安すぎるし。


「それで殿下、ティティがどうして私を遠ざけようとしたのかお心当たりがおありなのですか?」

「ま、待ってローズィア、それは――」

「私の兄上が原因なんだ」


 あっさり教えてくれた。さすがデーエン、天然で話が早い。隣のティティは顔色を失くしてるけど。

 大体察しはついたけど、当て推量は怖いからちゃんと確認しよう。


「ジェイド殿下が? 確かこの学院にご在籍でしたよね」

「ああ。兄上は、なんというか……ティティをあまりよく思っていないんだ。私にもティティと関わらないように言ってくるし、ティティの周囲の人間にもいい顔をしないんだ」

「だからティティは自ら孤立しようとしているんですね」

「心優しい娘だからね」


 本人挟んでそれを話してる私たちは優しくないですね。ティティが真っ赤になって震えてるし。

 でも理解した。第一王子は妖精姫が嫌いで、周りにもその感情を見せている。

 だからティティは最初から自分に人を近づけないようにしている。やり方が下手だけど。

 ――私がこのエピソードを知らないのは、ローズィアが本来入学するタイミングには妖精契約が発表されているからだ。

 その頃には第一王子は学校を卒業しているし、立場上、自分のティティへの感情をあまり露骨に出さない。

 でも「第一王子はティティを嫌ってたぞ」って記憶が在校生にはあるから、ローズィアが入学した時は、ティティがぼっちになっているわけだ。謎は全て解けた。復讐はいつにする?


「兄上はようせ、じゃなかった、ティティのことをよくご存じなくて。知ろうともしてくださらないんだ。ティティはこんなにいい娘だというのに」

「殿下はティティのどこがお好きなんですか?」

「たくさんあるんだが、それは――」

「もうやめて!! 許して!!」


 あーあ、泣いちゃった……。もう一声だったのに……。

 つまり、デーエンはティティが好きなんだよね。ティティもそう。

 この二人は淡い両想いなんだ。

 と言っても、私が知る限り二人のほんのりした恋は成就しない。その前に国が滅ぶ。

 そもそもティティは第一王子と契約するわけで、普通ならその後、彼と結婚するわけ。

 そこもなかなか度し難いポイントなんだけど、既に両想いである以上、私ができるとしたらせいせい障害の排除くらいしかない。


 ――ただ、ジェイド第一王子が学校に在籍している今はチャンスだ。

 ここを卒業しちゃうと面会もなかなか叶わなくなるから。前回は表立ってティティの味方をしてたから私は忌み嫌われてたし。


 よし、方針は決まった。

 私は立ち上がると、改めてデーエンの前に立って膝を屈めると右手を差し出す。


「殿下、このローズィア・ペードンとお友達になってくださいませんか?」


 もう一度、私に力を貸して欲しい。

 前回あなたを死なせてしまった馬鹿な私に賭けて欲しい。

 今度こそ、今この時だからできることがあるはずだ。


 デーエンは目を丸くして私の手を見た。

 もう一言付け足そうとする前に、私の手を取る。


「言われなくてももう友達になったつもりだったんだが。こちらこそよろしく」


 ……うん、デーエンの性格は分かってたけど、ちゃんと応えてもらえるとやっぱり嬉しい。

 でも私は泣いちゃわない。ティティの前だから。

 この二人の前で泣くのは、運命を変えられてからだ。


 デーエンの手を離して立ち上がる私に、ティティが不意に澄んだ目を向ける。


「ローズィア、危ないことはしないでね」

「ん……」


 ティティは時々、先のことを見通してるみたいな目をする。

 妖精特有の目なんだろうか。

 とても綺麗で不思議な目。普通の人間が見えないものを見る目。

 その目で私に忠告してくるってことは、何か予見したんだろう。

 でも、それは聞けない相談だ。


「ティティ、あなたは今まで一度も『ジェイド王子に苛められてた』って言わなかったわね」

「え? え?」


 この情報を今私が初めて知ったってことがその証拠だ。

 ティティは今までどのローズィアにも、自分が受けた仕打ちを話さなかった。

 妖精姫だと公開された後の好奇の目にもじっと一人で耐えて、ローズィアが気づくまで弱音を一つも吐かなかった。

 そういうあなたを歯がゆいと思うし、だから助けたいって思うよ。


「危ないことにはならないわ。だってここは学校ですもの」


 学校は閉じた世界だ。ある一定を越えるまではどんな揉め事もこの中で完結する。

 だから、最初の勝負を賭けるなら校内でだ。


 そうして私はこの日一日、できうる限りのことをやって帰宅する。



                 ※



「おかえりなさい、ローズィア。今日の報告を聞いてもいいですか」

「そうね。言いたくないけど結論から言うと、第一王子と決闘の予定が入ったわ」

「は?」


 信じがたい顔をするユールの視線が、過去最高に痛かった。



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