第8話 野生の熊に対して誠実に



「――その条件でしたら、いい商人を存じ上げておりますわ。後でご紹介いたします」

「いや、これは助かる」

「若いのによく勉強しているね。感心だ」

「皆様にはとても及びませんわ。若輩の身ですもの。ああでも、近頃ブスタ地方である品種改良が成功したそうで――」


 ひたすらに自分を売りこむ。

 相手の話をよく聞いて相槌を打ち、機を見計らって相手の得になる情報を差し挟む。

 一人に評価されたらあとはスムーズだ。

 他の人間の目は、甘くなるか厳しくなる――つまり私に関心を持つことになる。

 甘くなる人間には同意を多めに傾聴し、厳しくなる人間には隙を見せて侮らせてから追従と有用な話を。


「伯爵のコレクション、いつか拝見したいですわ」

「殿下と一緒にいつでも遊びに来るといい。ちょうど君くらいの娘もいる」

「それはぜひご挨拶させて頂きたいわ。来月からわたくしも王都の学校に通いますの」

「なんだ、ちょうどいい。困ったことがあったら言いなさい」


 今の段階で敵を作る必要はない。ここにいる有力者の半数以上を私は既に知っているし、彼らが欲しいものや興味あるものもある程度把握してる。

 前回の根回し極振りルートの経験があるからそのあたりはお手の物で、ユールの婚約者ということになっているからセクハラもない。ヌルゲー接待すぎる。


 ……いや、だめ、ごめんなさい。驕りました。

 驕りは前回の失敗を生かせてない。五体投地案件だ。

 私の心を読んだみたいに、離れたところにいるユールが呆れた視線を投げてくる。

 すみません調子に乗りました。ユールもユールで人に囲まれてて大変そう。


 そんな中、私は別の視線を受けて姿勢を変える。

 パーティーが始まった時からちらちらと向けられていた視線は、ネレンディーア宮廷内でも有名な女性のものだ。


 ――マルビア公爵夫人。芸術の恋人と言われる、若手芸術家たちの支援者だ。

 私は周囲の貴族たちに会釈して輪の中を離れると、彼女の元に向かう。


「お会いできて光栄ですわ、公爵夫人」


 取り巻きの婦人たちに囲まれていた彼女は、大した興味もないように私を見返した。

 ――いやいや、興味があるのは知ってるんですよ。


「ユール殿下の婚約者嬢ね。そのドレスはロンストンで?」


 すごい。「国内の有名お針子の仕事は全部把握してるぞ」って言ってる。

 それだけ腕のいい職人に目を配ってるってことだ。

 だから私は十六歳らしく微笑んだ。


「いいえ、王都でです。新進気鋭のお針子に縫ってもらいました」

「そうなの? どの工房?」

「工房はまだないそうで。ただ――」


 私は少し言い淀む。この辺りはちょっとあざとくてもいいから、幼く不安げに、迷うように。


「ただ、何?」

「いえ。なんでも同業の人間に騙されてデザイン案を盗られてしまったそうで。私がなんとかしてあげられればいいんですけど……」


 本当は、私が工房を持たせてあげることもできる。

 でもそれじゃミゼルの名は広まらない。彼女を一足飛びで表舞台に押し上げるには、目利きの確かな支援者が必要だ。ついでに、人のデザインを盗用しようとする人間に相応の処遇を与えられる実力者も。

 その筆頭は、マルビア公爵夫人だろう。


「その娘に、私の屋敷に来るように伝えなさい」

「! ええ、ぜひ! きっと彼女も喜びますわ!」


 よし。これでミゼルは大丈夫。

 無茶な仕事を受けてくれた恩はちゃんと返すからね。

 無邪気な笑顔で喜ぶ私に、公爵夫人は呆れた顔になる。


「あなた、最初から狙っていたでしょう? 目的はそのお針子の復讐? ずいぶんしたたかね?」

「そんなまさか」


 ハハハ、ご冗談を。図星ですけど。

 マルビア公爵夫人は鋭い人だから全部ばれるんだけど、礼儀として外面は取り繕わないと。

 ここが外面の使いどころですよ、お父さん。


「王都に出てきたばかりの世間知らずですので、どうぞよろしくご教授ください」


 人間の社会は、建前で回っているのです。



                 ※



「疲れた……付き合ってくれてありがとうね、ユール……」

「どういたしまして」


 パーティーが終わって帰った屋敷で、私は部屋着のワンピースに着替えてソファでへたばっていた。何度やっても疲れるものは疲れる。

 一方のユールが平然とした顔で何か書き物をしてるのは体力の違いかな……。引きこもりローズィアと違ってずっと旅をしてた人だし。その体力ドレインしたい。


「成果はどうだったんですか」

「おかげさまで上々。顔も繋げたし名前も売れた」


 元の世界だったら今頃名刺の束を整理してるところだ。

 でもこっちにはそれがないので頭の中で復習。顔、名前、肩書、事業、趣味嗜好、そんな諸々を再確認して自分に叩きこむ。目の上に腕を置いて、灯りを遮って記憶を整理する。


「ベグザ公爵にもできれば会っておきたかったけど、いなかったのよね、あの怪しいおじさん」

「そこまで言っておいて濡れ衣だったら面白いですね」

「あとはデーエンもいなかった……会いたかったんだけど」


 ぴくり、とユールの肩が動く。


「ネレンディーアの第三王子ですか。どういった理由で?」

「友達なの。宮廷騎士のフィドもそう」


 ティティとユールが幼馴染なら、デーエンとフィドは貴族学校に入ってからの友達。

 散々相談にも乗ってもらったし助けてもらった。前回ネレンディーアの宮廷内に食いこめたのは彼ら二人の協力が大きい。

 確かにパーティーとかに出てくるような二人じゃないから、いないのは当然なんだけど。王城だからちょっと期待してた。


 ティティは……いないだろうとは思った。

 でも会いたかったな。会ったら泣いちゃうかもしれないけど。

 ああ、疲れた。


 その時、ふっと視界が明るくなる。

 目を開けるとユールがいつの間にか私の隣に立って腕を掴んでいた。


「……どうかしたの?」

「今、何を考えていますか?」

「寝たいけど化粧を落とさないと寝れない」

「…………」

「聞かれたから答えたのに何その顔」


 ものすごい微妙な顔で見られた。なんなの。

 ああでも、私はユールのことをよく知ってるけど、彼は私のことを知らないんだよな。

 もうちょっと彼の知るローズィアに寄せた方がいいかも。色々してもらってるわけだし。

 ちゃんと座り直そうと体を起こしかけた時、ユールは私の腕を離す。


「……あなたは僕がどうなるかを知っていたのに、最初から僕の目を真っ直ぐ見ますよね」

「人と話す時の礼儀でしょう? ましてやあなたなんだし」

「何が『ましてや』なんですか」


 え、何。何か失礼だった?

 私は座り直す。座って考える。


「……分からない、けど」


 パートナーだからとか、信用がおけるからとか、彼が好きだからとか、そういう理由もあるんだけど、きっとそれだけじゃなくて。


「そっちの方があなたは安心するだろうって……」


 何となく、本当に何となくそう思っただけだ。

 ユールはいつもあんまり私情を出さないし、いつも笑顔だし、自分よりも他人を優先してくれるから。

 そういうのは彼の優しさでもあるんだろうけど、もっとなんていうか「自分はどうせ死ぬ人間だから」っていうような諦観があるんじゃないかって。

 でも私がいる以上、そういう目にユールを遭わせるつもりはないから。「あなたはちゃんとこれから先も生きていくし、人と向き合っていくんだよ」っていうのを態度で示したい……と思っているのかもしれない。

 無理矢理言語化するとこんな感じかも。でも口にするのはちょっと恩着せがましくて私が辛い。


 おかげで「野生の熊に対して誠実に」みたいな答えになってしまった私に、ユールは軽く眉を寄せる。


「あなたは本当に変わりましたね」

「……すみません」

「別にいいです。化粧は落としてあげます。やり方を教えてください」

「ええ?」


 それはいいんだろうか。いいのかな。でも正直助かる。

 やり方を教えると、ユールは一式と椅子を持ってきて私の隣に座った。化粧落としの油を含んだ指が、瞼の上を撫でて行くのが気持ちいい。温かい。これは寝そう。


「ありがと……ね……」


 ああ、懐かしいな。前回も時々やってもらった。

 最初はちゃんとしてたのに、どんどんぼろが出て……「あなたは手がかかりますね」なんて言われて……

 ちゃんと助けられたのに、前回は駄目になっちゃったけど……

 私はやっぱり、人のために自分を顧みず手を伸ばせるあなたが好きで

 だから今回も、あなたをちゃんと助けたいんだよ



                 ※



 そこからの三週間はあっという間だった。

 純魔結晶の採掘は順調に進んでいるらしい。ただ今回は王都進出がユールのおかげでできてるから、ほとんどを売りに出さずストックに回す。

 前回妖精契約で失敗したなら今回はもっと大量に純魔結晶を送りこんでやろうとか、そういう単純な話ではないけど念のため。

 あとロンストンの方にも手を回しといた。今回は議会に乗りこまなくて済むように。ユールが「やめてください」って念を押さなければ今回も乗りこむつもりでいたんだけど。


 ミゼルは無事マルビア公爵夫人のお目に叶って小さな工房を持たせてもらえたそうだ。

「姫様のおかげです! なんでも仰ってくださいね!」って散々お礼を言われたけど、お礼を言うのはこっちだし単にミゼルの実力だと思う。私はただ、未来を知っている分、彼女の運命を倍速にしただけだ。


 そんな彼女がわざわざ制服のサイズ直しをしてくれて、私は今日から貴族学校の学生だ。

 馬車の中で、ユールがじっと私を見ながら確認してくる。


「本当に大丈夫ですか?」

「安心して。二度目なの」

「だから安心できないんですよ」


 きっぱり言われた。笑ってもいないのマジな感じですか。ははは。


「大丈夫。あなたがしてくれたことを無駄にはしないから」


 だからなんとしても妖精契約の出席できるよう、ティティの付添人の枠をもぎとってみせる。

 馬車が停まりドアが開かれると、私はそこから飛び降りた。


「応援してて! 行ってきます!」


 大きく手を振ると、ユールは苦笑しながらも手を振り返してくれる。


 そうして私は貴族学校の門をくぐる。

 ここには、これから出会う私の友達がいる。

 第三王子のデーエンと、彼に仕える宮廷騎士のフィド。

 そして――


「あなたがローズィア・ペードン? ずいぶん田舎くさい方ですのね」


 尊大に言い放ってくる、私の妖精姫ティティ。

 初対面みたいな言い方やめて。あとなんで悪役令嬢ムーブなの……?

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