第7話 顔面は繊細な工芸品です
「よし、こんなものかしらね」
鏡で自分の姿を最終確認。問題は……ない。
ドレスは素晴らしい出来だ。
赤と金を基調としてデザインされたドレスは、肌の白さを引き立てて大人っぽくありながら、膨らんだスカート部分で少女らしさも表現してくれている。
振舞い方によって、自分をどうとでも見せられるドレスだ。
どれだけ広い会場でも、どんなにドレスの令嬢がいても、一番に視線を引き付けられる。これを十日でとか職人の意地を感じる。
ミゼルはぎりぎりまで「もうちょっとウェストを絞ってもいい……! こっちの方が美しく見える! あ、こっちももうちょっと直させてください……!」って仮縫いと調整を繰り返していた。修羅場の職人に気圧されっぱなしだった。
でもそれだけの出来栄えだ。
ミゼルは最後の試着の後「姫様が一番綺麗です」って言い残して倒れたけど、たっぷり寝て欲しい。本当にごめん。仇は絶対取るからね。
化粧の方もなんとか間に合った。
顔はもうちょっと盛りたかったけど、元の素材を殺すのもしのびないしこの辺りで。
扉がノックされ、セツが飲み物を手に入ってくる。
「お、お嬢サマ、今日はいつも以上に迫力ありますねー!」
「ありがとう。それを狙ったの」
化粧を崩さないよう、私は用意されていたストローで水を飲む。
この世界のストロー、植物の管だから風味があるんだよね。水もなんか違う味。
王都は比較的インフラが進んでるんだけど、田舎の湧き水の方が美味しかったりする。
「今回もインフラには食い込みたいわね……他人の生殺与奪が握れるわ」
「お嬢サマ、村の評判だとぽやーっとした人って話でしたけど、この二週間ほど見てるとむしろ真逆の印象ですよね」
「え」
その話は初めて聞いた。
そうか、領民の間にもオリジナルのローズィアの評判って流れてるんだ。
「ねえ、他にはどんな評判だった? あなたは前の私に会ったことある?」
「評判っていってもお嬢サマはほとんど屋敷の外に出なかったじゃないですか。ボクも窓辺にいるのをちらっとお見掛けしたくらいですしね。ぼうっとした熊のお嬢サマってくらいですか?」
「待ってなんで熊がこっちに来たの」
こっちの世界にはコメント欄とかないでしょうが。
これがリアリティーショーとかだったらマジ切れするよ。
セツが目を丸くする。
いけない、地が出るところだった。もうほとんど出てるけど。
そういえば、子供の頃のユールは山際の屋敷に逗留してて私やティティと出会ったんだった。
私は小説で読んだエピソードを頭の中で思い起こす。
「熊だなんて。ユールも小さい時はそう熊色じゃなかったでしょう」
「え、お嬢サマ自分の婚約者を熊とか思ってるんですか。色々手厚くされておいて失礼にもほどがありますよ」
「ちょっと待ってちょっと待って」
何これ話が混線してる。
私は一旦『妖精姫物語』の面白コメント欄のことを脇に置いて、セツに聞き返した。
「熊のお嬢サマって何? ユールは関係ないの?」
「関係ないですよ。人のせいにしないでください。お嬢サマが以前お一人で山を徘徊してて、猟師に『間違えないように』って通告が回ったんですよ。それで熊のお嬢サマ」
「嘘でしょ」
初めて知ったそのエピソード。
「以前」ってことは、オリジナルのローズィアだ。
山を徘徊ってふわふわしたイメージから大分変わる。いやふわふわ徘徊してるなら合ってる?
なんにせよ、お父様の懐が広い理由の一端が掴めた思いだ。
「お嬢サマ、それより時間ですよ。熊のイメージを払拭しにいかないと」
「熊のイメージがあるの地元だけよね!?」
そんなものがあったらとんだマイナススタートだ。オリジナルの置き土産にもほどがある。
ここは王都なんだからゼロスタートだ。いや、田舎令嬢が隣国王子の婚約者に抜擢なんて、やっぱり図々しすぎてマイナススタート?
「――ローズィア、そろそろいいですか」
「あ、ごめんなさい」
セツがドアを開けてくれる。
その向こうに立っていたユールは、私を見て驚いたみたいだ。ダークブラウンの瞳が大きくなる。
あ、これは悪くない反応だ。まだ倒れてるミゼルに見せたかった。
私はデコルテに手を当てる。
「いいでしょう。王都一のお針子が作ってくれたのよ」
「……そうですね。とても可愛らしいです」
あれ、想定と反応が違う。
どっちかというと「格好よくて綺麗」って感じのはずなんだけど。
「可愛い系だったかしら?」
自分でやったメイクのせい? と言っても直す時間はもうないんだけど。あわわ。
鏡をもう一度見ようとした私の視線を、ユールが差し出した手が遮る。
「大丈夫です、あなたが意図した通りになっていますよ。僕だから可愛いと思うだけです」
「…………」
「お嬢サマ、床に這いつくばろうとしないでください。もうドレスなんで」
「ご、ごめんなさい。恥ずかしいのとユールにこんなことを言わせてしまった罪悪感で……」
「罪悪感?」
これから戦場に出ようっていう私の士気を下げられないものね。気遣いありがとう。
照れてしまう自分が恥ずかしい。でも嬉しいは嬉しいです。
私はユールの手を取ると彼の隣に並ぶ。待っている馬車へと向かいながら彼に小声で頼んだ。
「あのね、とても申し訳ないのだけれど、会場ではあまり私を甘やかさないで欲しいの。作った顔が崩れるから……」
今の私の顔は、無趣味のスマホ人間だった頃にだらっと流し見ていた動画の知識でできてる。
愛されメイクとか小顔マッサージとか。当時は見るだけだったけど人生何が役に立つか分からない。見たもの読んだものをほとんど忘れないっていう自分の地味な記憶力の良さに感謝。
でもだから、あまり表情崩したり顔汗かいたらまずい。今もちょっと汗が滲んでそう。
ユールはそれを聞いて苦笑する。
「僕としては、婚約者に薄情な隣国王子という第一印象も困るのですが」
「それはそうね! ごめんなさい! 私が鉄の心を持つわ!」
ユールが成人してから社交界に出てくるのは初めてなんだ。
身分としては隣国ロンストンの第二王子。第一王子はユールのお兄さん。そのお兄さんを生かすために、ユールは先に即位しなきゃいけないんだけど、この辺りの事情は一般に伏せられてる。
だからきっと今日の出席者は、ユールがどんな人間が品定めしようとしてくるはず。そのあたりも私は考えて立ち回らないと。や、やることが多い。
召使たちが玄関を開けて待っていてくれる。
ユールは彼らに礼を言いながら馬車に乗りこむと、隣の私に微笑みかける。
「あなたはあなたのすべきことを優先で。僕のことは自分でどうにでもしますから」
「あなたのことも、私が請け負ったことのうちよ」
少なくとも私はそう思っているし、真砂もそう。
真砂はきっと「もっともこの世界の人間に愛着を持っているから」という理由で、たくさんの読者の中から私を選んでくれたんだろうから。
私は前を向く。横顔にユールの視線を感じる。
やめて。あんまり見ないで。汗かくから。
※
王城で開かれたり、大貴族が主催する社交パーティーには、主に三つの意味がある。
一つは貴族間の腹の探り合い。ネレンディーア王都において貴族の主な役目は投資家だ。彼らは有望な商人に、職人に、芸術家に、事業に、出資して自分の家と国を繫栄させる。
自ら事業を興す貴族もいるけど、割と少数派。だから貴族たちは、何に出資するか、どこで勝負をするか、または避けるか、お互いの利害のために他の貴族と腹を探って暗黙の交渉をする。派閥もあれば陰謀もあって面倒くさい。
もう一つは雇用を生むこと。一つのパーティーに紐づいてたくさんの人間が動く。食事や服飾なんかが代表的だけど、音楽家を呼んだり絵画を飾ったり庭に趣向をこらしたりする。そこに雇用が生まれるし、職人たちが名を売る機会にもなる。王城主催のパーティーは民に食事が振舞われることもあるし、それを見こんで年間予算が組まれてるはず。
最後の一つが、令息令嬢の顔見せだ。普段は貴族学校にいる彼らが、校外で自分をアピールする主な機会はここ。
この世界って、大体十歳前後からみんな働いているようなものなんだよな。平民に生まれれば家の仕事を手伝ったり手に職をつけたりし始めるし、貴族は勉強しながら将来の繋がりを作っていく。
田舎の貴族はもうちょっとゆるーっとしてるんだけど、都会は世知辛い。
「――ロンストンから王子がいらっしゃっているんですって」
「第二王子でしょう。今まで社交の場には出ていらっしゃらないというお話だったけれど」
「どんな方かしら。皆もお近づきになりたいでしょう?」
興味と期待と野心。
そんなものがたっぷりと詰まっている少女たちのさざめきが、私は嫌いじゃない。
いつだってどこの世界だって変わらないそれらはエネルギーに満ちてる。
仕事で疲れきってる時はあてられることもあるけど、ちょっとだるいな、って時に後輩の女の子たちが合コンに意気込んでるのを見ると和んだ。やっぱり人生には、自分のものでも他からもうらうでも、勢いが必要だと思う。
ただそれは、私への敵意を除いてだ。
「それが、既に婚約者の方がいるらしいわよ」
「ええ? ロンストンからお連れになったの?」
「この国の子爵令嬢ですって。聞いたこともないような家の……ペードン家ですって」
いやそこは知っててよ。王家の離宮があるんだけど。
ゆるキャラとかいた方がいいか?
「一度だけ子爵をお見掛けしたことがあるわ。なんだかぼやっとした冴えない感じの」
は? それってうちの父がぼやっとしてる……ってコト? 自慢の父なんですけど?
「ローズィア、顔が崩れてますよ」
「……失礼しました、殿下」
事実だけどその指摘の仕方はどうなの。でもありがとう。
私たちが歩いているいるのは、パーティ会場の外回廊だ。
城の正門を入って馬車を降りた後、通常は正面入り口から入るんだけど、今回は私が「どんな話がされているか参考に聞きたいから」って入口の真横からぐるっと外側を回ってもらった。
中からは外が暗くて見えないから気づかれてないみたいだけれど、その噂話、本人が聞いてますよ。女子トイレの噂話も個室にいる人間を確かめてからした方がいいと思う。「八瀬さん、ユニクロのサイズシール剥がし忘れてるよね」とかは気づいた時に面と向かって言ってくれ頼む。
回廊の終わりが見えてくる。
ユールが微苦笑した。
「準備はいいですか?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
ここに私を連れてきてくれてありがとう。
あ、あとこれは言っておかないと。
私は、彼に預けている右手ではなく、左手を伸ばしてユールの前髪に触れる。
「その髪色似合ってる。こっちの方がいい」
素性を隠すために染めていたのを戻した彼は、赤みがかった金色の髪だ。
その方がいい。熊じゃなくなった。今は亡きコメント欄も喜ぶでしょう。
けど素直な賛辞に、ユールはまじまじと私を見返すと、不意に顔を背ける。
「顔が崩れるのでやめてください……」
「あなたの顔は天然でしょうが」
私の顔は創意工夫で作られてるんですよ。一緒にしないでほしい。
それはともかく、ここからがまず勝負だ。
「行きましょう、殿下」
胸を張って、顔を上げて。
私たちは華やかな会場に踏み入る。
入口近くにいた人間が振り返る。集まる視線が連鎖して会場中に広がっていく。
驚きの気配が連鎖して、感嘆の息が混ざる。
さあ、微笑め。自信を持て。
今日の主役は私だ。
それだけの準備を、周りのみんなが整えてくれた。
集まる視線を受けて私は悠然と微笑む。令嬢たちの小さなざわめきが聞こえる。
「あれが……?」
「全然田舎者じゃないじゃない……」
興味と羨みと好奇心。
それは既に前回味わっているし、あなたたちの相手は学校でしてあげる。
今夜用事があるのは、大人たちにだ。
「あのドレスどうなってるの?」
「すごい……」
天才が作ってくれた私のドレスは、一歩歩くごとに裾のシルエットが変わる。
ふわりと広がるように、後ろになびいては足元に綺麗に戻ってくるように。
どういう仕組みかは分からない。花びらみたいに複数の布を計算して縫い合わせているそうだ。裾が動くごとに光の当たり具合で色が変わって見える。
これはミゼルがかけてくれた渾身の魔法だ。
私はユールのエスコートを受けて広間の中央へと進んでいく。客たちの中に見知った顔がいくつもある。後で話しかける人間をピックアップしながら、私たちは運命の中に踏みこむ。
恰幅のよい男性が、両手を広げてユールを迎えた。
「おお、殿下。お久しぶりです。ようこそネレンディーアに」
「お元気そうでなによりです、公爵」
「会わぬ間にずいぶん大きくなられた。……それで、その隣の女性が?」
「ええ。私の婚約者です」
紹介を受けて、私はユールから手を放しドレスを摘まむと優美に一礼する。
「ローズィア・ペードンと申します。よろしくお見知りおきのほどを」
よし、二年後死にたくない人間は、全員私についてこい!!
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