第6話 世界は平等ではない
「身の程を知ったら? これは私がもらっておいてあげる」
地面に這いつくばるわたしにかけられたのは、汚れた水だけじゃなくて嘲笑もだった。
ばたん、と扉が閉められ笑い声が遠ざかる。
残されたのは、泥水の中に両手をついているわたしだけだ。
――悔しい。
顔見知りのお針子に「ドレスを作る仕事で欠員が出たの」と誘われて、喜び勇んでやってきた。
今までずっと下職ばかりだったけれど、ついにチャンスが回ってきたと思った。
自分の服飾工房を持つのが昔からの夢だ。デザインを書き溜めたノートはもう十冊を超えた。
アイデアはいくつもあって、でも世界は全然平等じゃない。
要領がいい人間の方が早く認められたりする。
研鑽を続けた人間が、年を取ってようやく見いだされることも。
だからせめて、一針たりとも手を抜かずに仕事をしてきた。
いつでも、どんなチャンスにでも飛びつけるように、他のお針子が投げ出した難しい仕事の肩代わりも、無茶な納期の注文でも、なんでもやってきた。
なのに、こんな。
「……卑怯者」
呟くとみじめさがこみあげてきて涙が滲む。
結局騙されただけだ。アイデア画だけ盗られた。「いつも下職を変わってくれるからお礼に」なんて言葉を信じた自分が世間知らずだった。悔しい。悔しい。
今だけは世界を呪いたくて――
「あ、見つけた」
軽い声。
顔を上げると、身なりのいい少年がわたしを覗きこんでいる。
格好からして貴族に仕えている身分の人間だろう。
彼はひどい有様のわたしを気にもせず、傍らにしゃがみこむと笑った。
「あなたお針子のミゼルさんですよね。うちのお嬢サマが面倒な仕事頼みたいんですって」
ああ、世界は本当に、平等ではないみたいだ。
※
「見つかった!? た、助かったあ! ありがとう、セツ!」
「見つけましたよ。ぼろぼろだったんで、先にお風呂に入ってもらってますがねー」
かしこまらずに肩を竦めるのは、私の侍従だ。ローズィアじゃなくて私の方。
セツはうちの屋敷の植木職人の息子なんだけど、仕事を覚えるのが早いし機転が利くので私の侍従になってもらったんだ。前回は貴族学校に入るちょっと前に彼のことを知ったんだけど、今回は二日目から。
前回お世話になった人々はこれから最速で召集をかけていく予定だ。
お針子のミゼルもその一人。
「でもあんな普通のお針子どうするんですか? 実績なんもないですよ」
「実績はこれから作るのよ」
私は新しい自分の部屋を見回す。
レースも天蓋付きのベッドもないここは、王都に新しく買った屋敷だ。
これからのためには王都に拠点がないと始まらない。だから純魔結晶を採掘してもらって、取れた端から多少レートが低くても売って資金を作ろうとしたんだけど……ユールが買ってくれた。え、何このルート知らない。
「お嬢サマ、突然床に這いつくばるのやめてください」
「ご、ごめんなさい。罪悪感で内臓が焼かれて……」
名目上の婚約者の話が早すぎて胃が痛い。もちろん借用書は無理矢理書かせて頂きました。
代わりと言ってはなんだけど、私の手札も一枚明かした。
――魔力徴発。
真砂の三周目において、聖女が授けたこの異能は私にも受け継がれている。
ローズィアはいわゆる魔力というものが何もないけど、この異能は触れた相手の魔力を使って魔法を起動できるという、いわばズルだ。
聖女ノナがどうしてこの異能をローズィアに与えたのか分からないし、この異能がどうして周回しても残っているのかは分からない。異能って記憶に因るものなんだろうか。それとも肉体にかな。私もこの世界の言語を読み書きできるわけだし。
ただ使えるものはなんでも使っていく所存なので、この力を使ってユールと王都に来た。
ユールはドン引いていた。婚約早々お互いにドン引いてるの、いいスタート切れてる。
そのユールは現在ロンストンに帰郷中。私をパーティに連れて行くためには彼も自分の身分を開示しないといけない。そのために自国で手続きが必要なわけだ。申し訳ない。
彼がいない間に、私もパーティの準備しないといけないんだけど――
「知っているかしら、セツ。うちみたいな田舎出の令嬢が、地元の流行で王都のパーティーに出ると、『土臭い』と笑われ陰口を叩かれるのよ」
「見てきたように言うんですね。想像だとしたらちょっと被害妄想激しすぎますけど」
「読んだのよ。危うく自分のスマホをへし折るところだったわ」
真砂の書いた『妖精姫物語』は割と胸糞エピソードも多い話だったんだけど、あれを全部真砂が経験していた分かった時には腸が煮えくりかえるかと思った。陰口を叩いた全員の顎を叩き割ってやりたかった。それをすると王都在住の貴族の三分の一が下顎骨骨折するから我慢したけど。
「ミゼルは、2年後にはあらゆる貴婦人が『彼女にドレスを作って欲しい』と願うようなお針子になるわ。私はそれをちょっと早めるだけ。お互いにとっていい話でしょう?」
「はあ。いい話ですけど、普通10日じゃドレスは作れませんよ」
「それはそう」
無茶なオーダーの自覚はある。前回も作ってもらったけどその時は3週間かかったんだよね。それも結構無理を聞いてもらったんだけど。
「だから今回は期間内で簡単なアレンジをお願いしようと思って。屋敷から何着か無難なドレスを持ってきたでしょう?」
無茶な作業時間で仕事を振られるのがどれだけ腹立たしいかは、私も派遣社員だった時に経験済みだ。「八瀬くん、急で悪いんだけど、この資料のこと忘れてたから明日までに用意してくれるかな」じゃないんですよ本当マジでもっと早く言って。
「はあ、ならぎりぎり間に合うかもしれないですね」
「あなたが迅速に見つけてくれたおかげよ。今の彼女の居場所は分からなかったから」
「どういたしまして。じゃあボクはお嬢サマが『土臭い』って言われた時の仕返し準備をしておきますね」
「間に合わない場合の支度をしないで。心遣いは嬉しいわ」
前回は根回し極振りだったから、実はパーティーで苛められた経験がまだない。
生前日本にいた時もパーティーの手配は山ほどしたけど、ドレスを着て自分が出席したことはなかったし。水をかけられたらかけ返すでいいんだろうか。イメトレしておかないと咄嗟にやりかえせなさそう。真砂の分まで水を浴びせてやるからな。
その時、扉の外から召使の声がかかる。
「お嬢様、お客様のお支度が終わりました」
「お通ししてちょうだい」
開かれた扉の向こうに立っていた少女は、深々と頭を下げていた。
その様子に私は懐かしさを覚える。前回のミゼルもこうやってもったいないくらい礼を尽くしてくれた。そしてその技術で私を、社交界の中央に押し出してくれたんだ。
「顔をあげてちょうだい。あなたにお仕事を頼みたくてお呼びしたの」
「は、はい! なんでもやります!」
なんでもやりますは、よくないと思うー。
そういうことを言うと大変な仕事量が降ってきたりするから。
「無理を通すつもりはないの。10日後のパーティーに出るのだけれど、田舎者でふさわしいドレスがなくて。パートナーに恥をかかせないように、手持ちのドレスを――」
「作らせてください」
「え」
「やります。絶対に間に合わせます。作りたい服はたくさんあるんです」
顔を上げたミゼルの目は本気だ。
こうと決めたら絶対やる、という職人の目。そこに私が知っている以上の怒気とやる気も混ざっているのは気のせいじゃない。
「あなたの名前をお聞かせください、姫様。会場であなたがもっとも羨望の的になるように腕を奮わせて頂きます」
恭しく、膝を折ってミゼルは請う。
これは彼女の本気だ。一世一代がここであるという気概。
なら私は、それに応える主でいなければ。
「ローズィア・ペードンよ。あなたに賭けるわ。――どうか私に魔法をかけて」
「ご注文、承りました」
私を見上げる鳶色の目は、きらきらと自信と野心に満ち溢れたものだった。
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