第12話 崖っぷち(比喩ではない)
断崖絶壁に張り付いている私は絶体絶命だ。
吹き付けてくる潮風に体が揺らぐ。落ちたらこれは絶対死ぬ。死体も上がらない。
そうっと一歩右に足を動かす。でもそこは体重を支えられるほどの場所じゃなかったみたいだ。踏んだところからパラパラと石の破片が海に落ちて行って、私はあわてて足を引いた。
「こ、こわあ」
いやでもこれで死んでも絶対自殺じゃない。自殺じゃない、よね?
早く逃げなきゃ追いつかれるから、動かなきゃいけないんだけど……!
「なんでこんなことに……!」
どこで選択を間違ったのか、私はここに至るまでの数日を思い返す。
※
ローズィア・ペードンとして私がやっている仕事は、人と人を結んで動かすというものだ。
常にアンテナを張っておき、新たな人材をストックして機会を逃さない。必要な時に必要な人間と連絡を取り、人と人を繋ぐ。言ってしまえばそれだけだ。
専門の研究をしている人、優れた才能を持っているけど芽が出ていない人など、時と場所が変われば主役になれる人はたくさんいる。そんな彼らをふさわしい時に舞台の上に招待する、いわばハブのような役割だ。
八瀬咲良だった頃もこの手の仕事は割と得意だったけど、あの頃は裏方で動いて何もしない上司に手柄を持たせとけばよかったのに対し、今は自分の売名も必要になるのがちょっと面倒。
でもそれもこれも全部、私の大事な人たちのためだからがんばらないと。
「ローズィアはユールと結婚するの? よね?」
「う、うーん」
期待に満ちたティティの問いに、私はめちゃくちゃ曖昧に口元を歪める。
昼休みの中庭にはテーブルが点在しており、各々がお茶を楽しんでいる。
私とティティもそのうちの一組だ。
「実は建前婚約なんだけど」って言いたいけど、こんな場所じゃ誰が聞いてるか分からない。ティティもなんかきらきらした目で見てくるし。
「結婚は、今現在、おおむねその方向で……」
「歯切れが悪い……?」
「い、色々あるの」
ティティに夢を見させてあげたかったけど、ぼろが出そう。これは多分ユールへの罪悪感のためだ。
彼はネレンディーアの王都を離れてから、定期的に手紙をくれる。
それは単なる近況報告のこともあるけど、時々混ざっているのは歴史とか、民俗学的な情報とか、そういったものだ。妖精契約について伝手のあるところを回って調べてくれているらしい。ありがたく、とても申し訳ない。五体投地だ。
彼の調査だと、妖精姫はずっと昔には「災厄の前触れ」とか「人間に与えられた試練」とか、そういうマイナスイメージがあったらしい。地方の文献にそれらしいものが残っていて、ユールが調査の結果「多分妖精のこと」としてこっちに報告してくれた。
にしても「災厄の前触れ」か……。私の妖精姫をなんだと思ってるんだ。まあ実際国は滅ぶんですけど。
今回の妖精契約は、150年ぶり4度目だ。
前回3回についての記録は真砂も調べているけど、特に問題なく終わってる。
ただこれは王都に残ってた記録だから、改竄されてる可能性も大ありだ。ユールが地方を回ってくれているのは、そういう糊塗が及んでいない情報を探してくれているんだろう。
私はじっとティティを見る。彼女は大きな目をまたたかせた。
「どうしたの? ローズィア」
「――妖精って、なんだと思う?」
妖精契約が発表されるのはもうすぐだ。そこでティティは妖精姫であることが公表される。
でも私は既にティティに「知ってるよ」と伝えてある。
ティティは悲しそうに「そっか」と微笑んだだけだ。妖精は子供の頃の方が分かりやすいから、幼馴染は気づいていてもおかしくない、と思ってくれたみたい。
周りのこともあるし言葉をぼかして問うた私に、ティティは首を傾げる。
「……沈殿したもの、かな」
「沈殿?」
「澱みたいなもの。それが溜まって人間の世界に落ちるの。人みたいな形になって」
私は想像する。
瓶の底に溜まった泥状のものが、ぽたりとスプーンから落ちるのを。
その中から美しいものが生まれる。私の妖精姫が。
……なんかこう、背徳的なイメージの気がする。なんとなく。
私はティティを見る。
彼女は、世界を見通す目で私を見ていた。
「……ティティ?」
「ローズィアは、すごくちゃんとしてる」
「え?」
「ちゃんとしてて、私や他の人を助けてくれる。この間も、ニトラ家の女の子が政略結婚させられそうだったのを助けてたでしょう?」
「あれは、あの家の持ってる土地で有用な場所があったから買い上げただけ」
「言いがかりで追放された職人を拾ったって噂が」
「腕がいいの。王都一と言ってもいいわ」
「西地区の孤児院に多額寄付をしたって聞いた」
「余分な財産は持ってても納税額が上がるだけだから。それより多くの子供に教育が行き届くようにした方が後の利益になるわ」
「昨日、川に落ちたお年寄りに出くわして自分も川に飛び込んだって」
「あわててました。すみません」
分かってる分かってる。自分が飛び込まないで助けを呼びにいけ、っていうんでしょう。本当その通りです。動転してた。
でもセツに苦言を呈されるのは慣れてるけど、ティティにまで言われるとちょっと心に来るね……。毎日あわただしくしてるから判断力がオーバーヒートしてる瞬間があるのかも。
「ローズィアは人の二倍くらいの速度で生きてるみたい。それでちゃんと人を助けられるの、すごいと思う」
「すごい……とは違うと思うのだけれど」
それは単に未来を知っているからで、ただのズルだ。
ズルしてるから自分の利益も上げられるし、ついでに助かる人がいたらその方がいいし、川に飛び込んだのは本当にただの偶然。足がつく川でよかった。
「わたしはそうやってローズィアに助けられた側だけど、時々ローズィアはまるで自分のことを見てないんじゃないかって思えて……」
「そそっかしいように見えたらごめんなさい。大丈夫よ」
く、川に落ちたのそんなに駄目だった? でも確かに二重遭難になるからやめろとは言われるよね。気をつけます。
ティティは淋しそうに微笑む。
「わたしは、ローズィアみたいな人たちが、あなたが、幸せに生きられる世界であればいいなって思ってるの。人のために生きられる人が報われる場所であってほしいなって」
ティティリアシャの目が、普段の幼いものじゃなくて、大人びて閉じられる。
「だから、わたしもがんばるから……ローズィアは幸せになってくれたら嬉しいな」
「ちゃんと幸せよ。あなたとこうしていられるんだし」
「でもローズィアは、自分のために動かないでしょう?」
うっ、なんかちょっとその指摘来るものがある。「八瀬さんってオフの日は何してるんですか? え、家で寝てる? ずっと? へえ……仕事だときびきびしてるのに、意外と八瀬さんって駄目な人なんですね」って言われたことを思い出す。駄目な人ってなんだ駄目な人って。休みの日に家で寝てて誰かに迷惑かけてるか? ああ!?
いや、ごめん、脱線しました。多分ティティが言ってるのはそういうことじゃない。
「私は私のしたいように動いてるから安心して」
私はローズィア・ペードンがどんな境遇の人間で、どんな場所でどんなふうに生きるか全部知った上でここに来ることを選んでる。そこに悔いはない。後悔することがあるとしたら、自分がうまくできなかった時だけだ。
「大丈夫、ティティ。絶対あなたを幸せにするから」
一生を定められた妖精姫は淋しそうに微笑む。
その決まってる未来、私が絶対ぶち壊してやるからね。
※
――そんな話をしたのが一ヵ月ほど前だ。
その後すぐにロンストンから招待状が届いた。
内容はユールの即位式。ついに儀式王の戴冠式が行われるんだ。前回もこれはあったから心構えはしてた。前回は婚約者としての出席じゃなくて、アポなしで突撃してその場で結婚したんだけど。前のユールは「うわあ」って顔してた。
ロンストンに向かうとなると最短でも半月は王都を空けないといけないから、その準備も大変だ。できる限りの仕事を先に処理しておかないと。
ともあれ、私は学校に長期休みの届け出を出して、ティティやデーエンに見送られながら馬車に乗ったのです。ユールとはロンストンで合流する予定。
だった、のだが。
「あの女、どこに逃げやがった!」
「絶対に捕まえろ! 死体でも構わん!」
崖の上からそんな男たちの騒々しい声が聞こえてくる。
はは、私は十メートルくらい下の崖にいますよ。
何日もかけて国境をいくつか越えたところで馬車が襲われて、どこだか分からない屋敷に連れてこられて、隙を見て逃げ出して、隠し通路を見つけたと思ったら崖に出た。
「これで落ちて死んだら、絶対死体上がらないでしょう……」
死体でもいい、って言ってるやつらに捕まるよりはマシか? ちょっと溜飲が下がる。
でも自分からは絶対に死ねない。
――ローズィアを降りるためのトリガーは、妖精契約に至るまでに自殺すること、なんだ。
これをしたら私は元の世界に戻って、一年の間に次のローズィアを探さなきゃいけない。
そして次に託して、おそらくは自分の死に戻る。
だからこんなところで落ちるわけには絶対いかないんですよ。真砂に申し訳が立たない。
でも正直、なんでこんな目に遭ってるかは心当たりがありすぎて分からない。恨まれる心当たりが多すぎる。
ユールと結婚させたくない誰かかもしれないし、王都の商売敵かも。追放した悪徳商人かもしれないし、私が目障りな大貴族かもしれない。いつ夜道で刺されても納得できる状況だもん。
前の世界で働いていた時は、無能な上司がいい風除けになってた。私の手柄は上司のものだけど、恨まれるのも上司。
でも今は必然的に私が恨まれる。構造的欠陥だ。
「逃げ……ないと……」
誰がどういう意図で私を排除しようとしてるのかは気になるけど、まずここから逃げてからだ。
私はそろそろと崖を背に移動し始める。
「ここで死んでも自殺じゃない、自殺じゃない、自殺じゃない……」
自分に言い聞かせながら進む。時折強風がスカートを煽って体が傾く。怖い。
でもこの道はどこかに通じてるはず。まさか飛び降り用の隠し通路なんてことはないだろう。
「絶対……死ねない……」
次が今と同じルートに辿りつける保証なんてない。
ここで死んだらユールがしてくれたことを無にしてしまう。
だから私は――
一際強い風が吹く。
ドレスのスカート部が舞い上がった。それは容易く私の体を引きずる。
「あ」
バランスが崩れる。
ぐらり、と視界が回転する。空が見える。
私の体はそのまま、遥か下の岩場へ――
「おっと、間に合った。ご機嫌いかがかな、ローズィア嬢」
黒い手袋を嵌めた手が、私の腕を掴む。
何もない空中から出ている細い手、その声の主を、私は知っている。
「魔女アシーライラ……」
うわああああ、こんな弱みを握られそうなシチュエーションで会いたくなかった。でもありがとう!
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