第11話 圧倒的正論
“クイーンズボード”において、取ったコインは自分側に捨ててもいいし自陣においてもいい。
コインの裏面はそれぞれ違う。コインごとに違う移動法と価値が振られている。
コインは毎ターン新しく引いてもいい。引かなくてもいい。引かない場合は自陣のコインを動かせる回数が増える。
このボドゲ、結構やれることが多いんだ。
「私が勝ったら、お約束通り私の友人へのご対応をお改め頂きますよ」
「改めなければいけないものなどないが。約束は果たそう」
カチン、とコインが盤上に置かれる。
笑顔は崩さない。表情は読ませない。
ジェイド殿下は、引いたコインをほとんど捨てない。それはこのゲームの定石だ。自分の駒をわざわざ減らす人間は少ない。
でも私はそれをやる。捨てたコインがなんだったか、相手に見せなくてもいいルールだからだ。
「それにしても、入学初日に俺に食ってかかってくるとは、他人の権威をかさに着るのが上手いようだ」
「人脈を腐らせる気はありませんので。濫用する気もございませんけど」
ジェイド殿下には、デーエンに紹介してもらって面会したんだ。
突っぱねられることも想定してたし、兄弟の温度差を見たかったっていうのもあるけど、予想外にあっさり面会できて、予想外に物言いが通って、この決闘に至った。
これはジェイド殿下の印象を修正する必要があるかもしれない。私が知ってる彼は、ティティを無視してとりつくしまもない、って感じだったけど、それは二年後の彼の姿なんだろう。
少しずつ盤上が埋まっていく。
ジェイド殿下の考える時間が増えて行く。
見物人の中で、形勢を把握している人はどれだけいるんだろう。
このゲームは、貴族の子弟はほとんどが子供の頃に遊んだ頃があるらしい。つまり、大人が子供の相手をするのにちょうどいい雑多な遊び方ができるボードゲームだ。
私は自分のコインで殿下のコインを取る。
二人で同じコインを共有している以上、色分けなどない。どれが自分のコインかを覚えているというのは遊ぶ上での最低条件だ。つまりこのゲーム、駒の采配と同等に記憶力がモノをいう。
そして私は、ジェイド殿下が置いたコインと自分が置いたコイン、そして自分が捨てたコインを全部把握している。山にどんな種類のコインがあと何枚残っているかも。
「……あの娘、殿下と互角の勝負してる?」
「互角っていうか、あれは――」
私はコインを取る。殿下の顔がぴくりと動く。
このゲームの本質は、知育ゲームなんだ。フェアな勝負をするような設計じゃない。まだそこまで洗練されていない。
だから、少ない手駒で多数の駒を上回ることだってできる。一つ一つの駒の価値が違うからだ。
「雑兵ばかりが多くて、動きにくそうでいらっしゃいますね、殿下」
「……よく口が回るようだな」
「友人を守るために来て、無様な真似はいたしません」
殿下のコインが私の自陣を削る。でもそれは取らせるための駒だ。
「クイーンズボード、よい名前ですね。さて、どちらが女王陛下の前に早く馳せ参じられるでしょうか」
中央へコインを進める。
ジェネド殿下が盤面を睨む。
長い長い数秒の後、彼は己のコインを進める。私のコインを取る。
その手しかもう選べない。
私が次のコインを置くと、彼は溜息をついた。
「俺の負けだ」
あっさりと、彼はそう結論づける。
談話室にざわめきが広がる。
私がふっと息を吐く間に、私の後ろに足音もなく誰かが立った。
細い、糸を張るような声が言う。
「ジェイド殿下……わたくしの存在が殿下の不興を買ってしまっていること、誠に申し訳ないことでございます」
微かに揺らぐ声音。でもティティは退かない。
私の隣に立って、未来の自分の夫を見つめる。
「ですが、わたくしはわたくしの役目を果たさねば。それが殿下にとって忌むべきことであっても、わたくしの存在は変わりません」
自分の人生を何一つ自由にできないのがティティだ。
この世界に生まれ落ちた瞬間から彼女の一生は決まる。その死さえも。
でもティティは逃げない。真砂がどんなに「逃げよう」と訴えても、彼女は一度も首を縦に振らなかった。
「ですからどうか厭うべきはわたくしだけに。わたくしの友人は、こんなわたくしのために殿下の不興も構わず戦ってくれるのです」
私の肩に置かれたティティの手は震えていた。
その震えが、私に力をくれる。
彼女はいつもちゃんと怖がっている。なのに踏み留まり続ける。
そんな彼女を助けなければと思う。
私はジェイド殿下に向き直る。自分の胸に手を当てると、軽く頭を下げた。
「私の我儘にお付き合いくださり、ありがとうございます。御覧の通りの若輩者につき、これからもご教示のほどよろしくお願いいたします」
「……好きにしろ。約束は守る」
ジェイド殿下は席を立つと弟を一瞥する。
けど彼は、そのまま何も言わずに堂々と談話室を去っていった。集まっていた生徒たちが彼の背を見送る。
……うん、ちょっと印象変わったかも。
多分あの人とは話す余地がある。
そんなことを考えている私に、ティティが抱き着いてくる。
「ロ、ローズィア、ご、ごめんね……」
「私が勝手にやったんだから気にしなくていいの。むしろ負担をかけてしまったわね」
今までティティはじっと耐えてきたんだろうに、私のせいでジェイド殿下に向き合わせてしまった。
きっとデーエンの方は今までティティの「大丈夫だから、放っておいていいから」ってお願いの方を優先してきたんだろう。なのに私は聞けなくてごめん。
泣きじゃくるティティの背中を抱きながら、私は「今はこれでいい」と自分に言い聞かせる。
これでいいのかと迷いながら、これでいいと進み続けるしかない。
今度こそ、私の大事な彼らに幸せな結末を。
まだ私は大丈夫。ちゃんと走れる。そうでしょ、真砂。
※
「――という感じで無難に勝ったわ」
「お疲れ様です。王族相手に無難に引き分けにしようとか思わないところがあなたらしいですね」
「引き分けとかむしろ難しいでしょうが」
「でもできるんでしょう?」
「できるできる」
記憶力がモノを言うゲームは得意。神経衰弱とか10割引き分けにできるよ。
本日の株主総会は戦勝報告だけあって、やや和やか。
私はユールからもらった調査報告書に目を通す。
純魔結晶の採掘は順調だ。流通量は相場を崩したくないからかなり抑えてる。
最初にユールが連れてきた貿易商ってかなりやり手なんだよね。信用はおけるけど、やり手過ぎてあまり自由にもさせたくない。常に牽制と交渉を続けて行かないと。
「でも、ジェイド殿下は結構話が通じそうだったわ。信用されれば妖精契約のことも聞けそう」
「あまり期待しない方がいいですよ。彼はしょせん王族です」
「そんなの、話せる相手である程度倫理観が共通してるなら、議論の余地があるでしょう?」
「王族は、あなたとは違う価値観で動く人種ですよ。最後まで話が通じていても、違う結論を選ぶことがある。信用ならない相手です」
「ええ?」
王族に王族は信用ならないって言われた。クレタ人のパラドックスみたいだ。
でもユールは身分を隠して旅をしている年月が長いからまた違うのかも。
何か言い返したくなったけど、言い返す言葉も見当たらないので私は黙る。代わりに同じテーブルで古い本を読んでいる婚約者を見上げた。
「何を読んでるの?」
「この国の成り立ちについて。どこで妖精契約が関わってくるのかと思いまして。伝手を辿って資料を譲り受けました」
「すごい」
そっか。歴史家の仕事をしてたからそういう伝手もあるのか。
ユールって篤志家なんだよね。各地を回りながら歴史を学んで困っている人を助けるっていう。
二十歳までしか生きられないって決まっている人が「ならせめて自分の時間と財産を人のために使おう」って思えるの、分かるようで分からない。もっと世界を憎んだりしないんだろうか。
「これは今日中には読み終わるでしょうから、ここにおいていきます」
「わたしも読んでいいってこと?」
「もちろん。あとローズィア、僕は明日から一度ここを離れます。純魔結晶の坑道も確認しておきたいですし、他にも色々気になることがありますから」
「あ……」
びっくりしたのは一瞬だ。一瞬で私は驚きをのみこむ。
「今まで引き留めてしまってごめんなさい」
あのパーティーから今日まで彼が留まってくれたのは、私が貴族学校でちゃんとやっていけるか見届けるためにだろう。それなのに早々に問題起こしてごめんなさい。
ただ何となく、ユールはずっと傍にいてくれるような気がしてた。勝手に思いこんでた。
私が未来のことを知ってるって情報開示したのは彼だから、ずっと近くで駄目出ししてくれるような気がしてた。よく考えるととんだ我儘なんだけど。
「あとは、ロンストンにも寄っておこうかと」
「え」
思わず私は腰を浮かす。
「だ、大丈夫? 処刑されない?」
「今、僕を処刑する意味はありませんよ。あなただけに自分のことを任せておくのも申し訳ないですしね」
「任されるわよ」
「平気ですよ。その分ティティを見てあげてください。あなたが暴れたおかげで、あなたの知っている歴史と変わってきているでしょうから」
「圧倒的正論……」
ティティとデーエンとは、実質一年弱早く出会ってるんだ。
今のこの状態は、ユールがくれた特別な準備期間で、これ以上彼に甘えてないで、与えられたものを生かしていかないと。
「分かったわ。淋しいけれど、私はここで根回しと調査を続けるわ」
『妖精姫物語』でも前回でも、最初の一年はユールと一緒に過ごす時間が長かったから、なんだか隣が空っぽになるみたいだ。幼少期と青年期が分かれてるRPGで、幼少期が突然終わって初期メンバーと別れるみたいな。
そんな私の未練が滲む言葉にユールは苦笑する。
「随時手紙を書きますし、時々は様子を見に来ますよ。あなたを放置しておくと何をするか分かりませんから」
「まずは浄水技術の研究をしている学者がいるから、後援になって王都の水道事業に参画しようと思っているわ」
「あなたは本当に恐ろしいですね……。セツくんに目を離さないようよく言っておきます」
「なんでよ」
私は席を立つと、テーブルの周りを回ってユールの隣に立つ。
見上げてくるユールに両手を伸ばした。彼の微苦笑を了承と見て取って、そっと座っているままの彼の頭を抱きしめる
「ありがとう。あなたのおかげで頑張れるわ。あなたが知っててくれるから頑張れる」
私を婚約者にして、王都で動き始められるようにしてくれたということだけじゃなくて。
私の荒唐無稽な話を聞いて、信じて、寄り添ってくれた。
それが何よりも私を支えてくれてる。
こんな人、きっとどこを探しても他にいない。
胸の上にユールの溜息が聞こえる。
「無理をしすぎないように。あなたはただのか弱い女性なんですから」
こういう時にだけそんなことを言うのやめて。
離れるのが不安になるでしょうが。
※
ユールが出立してからの毎日は、変わらずあわただしいものだった。
私は学校で講義を受けながら、ティティやデーエンの話を聞いて彼らの周囲に気を配る。
「ジェイド殿下、お手すきなら、わたくしの質問に付き合ってくださいませんか」
「手が空いているように見えるか?」
「見えませんが、そのお仕事はわたくしが半分引き受けますわ。その間わたくしの話を聞いてくだされば」
「勝手にしろ」
ジェイド殿下のところへは時々面会しに行って話もする。四回中三回は追い返されるけど、一回は聞いてくれる。殿下は校外への外交みたいな仕事も引き受けているみたいだ。結構忙しいし努力家。そんな一面は前の回では知らなかった。
融通が利かないし、愛想もないけど、真面目で公正な人だ。知れば知るほど「何故ティティにああいう仕打ちをしていたのか」って分からなくなる。
「殿下、妖精のことなんですが――」
「その話をする気はない」
うーん、鉄壁。
政治の話や王都の運営の話については結構議論に乗ってくれるけど、妖精について触れようとするとまったく駄目。これは気長に構えないと。
「では、また参りますので」
「来なくていい」
しつこく来ますよ。セールスくらいにね。
妖精契約に向けて、根回しは着々と進んでいる。
学校に行きながら、私は前回お世話になった人たちを見つけて連絡を取る。前回関わらなかった人たちにも接触する。
そんな毎日を過ごしつつ、でも私の隣は空白だ。
代わりに、週に一度手紙が届く。
遠いどこかの香りがするそれを、私は繰り返し読んで取っておく。
文献を調べながら各地を回る彼は、ロンストンも無事出立できたようだ。
そして、溜まった手紙が箱から溢れた頃――
私は一人、断崖絶壁に立っていた。
「ど、どこここ……」
後ろは岸壁、すぐ目の前の遥か下には波が打ち寄せる岩場。
細い足場に私は立ち尽くす。
「なんなのよ、もう!」
ああ、私は無力だ。
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