第13話 恋にはならない



 魔女アシーライラ。

 彼女はネレンディーアでただ一人存在が分かっている「魔法使い」だ。

 というのもこの世界、魔力を持ってる人はたまにいるんだけど、彼らは別に魔法を使えるわけじゃないんだよね。ただ魔力があるだけ。

 魔力を持っている人って王侯貴族に多い印象だから、運とかカリスマ性とか、なんかそういうふわっとしたところに影響してるのかも。

 ただそんなふわっとした魔力を魔法っていう形で使える人間も極稀にいる。

 ネレンディーアでそれができるのが、アシーライラ。

 普段どこに住んでいるか何をしているかも分からない変わった人間だ。

 ちなみに前回私は探したけど会えなかった。キーパーソンっぽくて所在不明なのって魔女アシーライラと聖女ノナだけなんだよね。ノナにも私は会えてない。


 だから、アシーライラの部屋に入るのはこれが初めてだ。


「適当に座るといい。ああ、危ないものが多いから気を付けてね」

「……ありがとう。助かったわ」


 腕だけの彼女に引っ張られて、気が付いたら吹き抜けの小さな塔みたいな暗い部屋にいた。

 部屋の中は非常に散らかっていて、何がなんだか分からないものが多い。

 棚には本よりも瓶がたくさん置かれているし、机の上も物で溢れてる。


「魔女の庵……」

「よく知ってるね。どこにでもあってどこにでもない、私の研究室だよ」

「そして時間の流れ方も違う、でしょう?」

「へえ」


 アシーライラが興味深げに私を見る。

 一方の私は頭を抱えてしゃがみこんでいた。


「大丈夫かい? 急な腹痛?」

「い、いえ、なんでもないの。すみません」


 正直、ここには来たくなかった……!!

 アシーライラの研究室って神出鬼没なんだけど、時間の流れが遅いんだよね。竜宮城と一緒。

 真砂が訪ねた時も、ほんのちょっとお茶しただけで外に出た時には一週間経ってた。最速を心掛ける私とはかなり相性が悪いし、ユールにも「そういう場所だから、魔女を見つけても庵には入らないように」って言ってあったんだ。


「問題を解決するまで出られない部屋……!」

「出られるよ。出入口は私にしか作れないけど」

「ご、ごめんなさい。つい心の声が」


 来てしまったものは仕方ない。アシーライラにせっかく会えたんだ。

 聞きたかった話を聞いて、できれば次の約束をしてお暇しよう。即位式に遅刻しちゃ困るし。


 私は初めての庵を見回す。

 小さな窓の外は荒野に夕焼けが広がっている。

 壁には大きな紙が貼られてて、その半分には日経平均株価みたいな図が書かれていた。

 アシーライラは株やるのかな。そこから話を盛り上げられる?


「それは今やってる実験の記録だよ。何しろ時間がかかる実験でね。どれほど時間があっても足りないくらいだ」

「……大変ですわね」


 私の方も時間があっても足りてないので話が合うかも。いや合いたくないな、こんな話。

 そもそも株とかこの世界にない。貴重な時間なのについ現実逃避してしまった。


 魔女アシーライラは、そこでようやく目深にかぶったフードを取る。

 その下の顔は、二十五歳くらいの普通の女性のものだ。元の世界の私と同じくらいか。

 ただ、普通じゃないのはその表情。悪だくみをしているような笑顔はちょっと悪役っぽい。

 うーん、真砂の描写だと「ミステリアスで怖い」ってなってたけど、もっとなんかマッドサイエンティストっぽい感じがする。試験管と白衣が似合いそうだ。


「さて、ローズィア嬢、君と私は初対面だと思うのだが、驚いていないね」

「あのような助け方をしてくださる方など、他に心当たりはありませんから。魔女様」


 初対面の相手はさすがに緊張する。それが魔女ならなおさらだ。気に食わない相手をカエルにしたとかいう話もあるわけだし。

 ただ、ある程度の事前情報はある。――アシーライラは利害で動く人間だ。


「どうして私を助けてくださったのです?」

「何、君は面白い動きをしているからね。いずれ私の研究も援助してもらえないか申し出ようと、動向を気にしていたんだよ」

「それは私にとって幸運ですね。ぜひ前向きに検討させてください」

「よろしく頼むよ」


 うーん、本当か嘘か分からない。

 でも以前真砂に妖精契約の儀式にアシーライラを送りこんだ時も、デーエンに研究費の助成を取り付けて、儀式への出席をお願いしたんだよね。その時は「え、何これ」って言いながらアシーライラは蒸発してた。少なくとも彼女個人になんとかなる破滅じゃないらしい。


 ただ――彼女の本質は研究者だ。

 だから私はずっと妖精契約で起こる惨劇について、彼女に相談したいと思っていた。

 できれば場所は外でがよかったんだけど、アシーライラの気分を損ねたくない。

 可能な限り少ない質問で欲しい情報に辿かないと。


「あの、少し質問をさせて頂けませんか?」

「構わないよ。何の話だい?」

「妖精契約についてです」


 そう言った瞬間、アシーライラはすっと目を細めた。

 唇の両端がつり上がる。選択肢失敗か? こわい。


「この状況で口にするのがそれかい? 誰が君を襲ったか知りたいとか、私に君を助けさせた婚約者のところに戻りたいとかじゃないのかい」

「誰が襲ったかは後で調べようがあるんで……って、え? 婚約者?」

「あ、しまった」


 アシーライラは口元を押さえる。

 いやいやそんな可愛い仕草しても駄目ですから。何それ。

 私が冷たい目で見ていると、アシーライラはこほん、と小さく咳払いをする。


「実は少し前に君の婚約者に頼まれてね。『一度だけ、何があっても無条件で君を助ける』という約束でお金をもらってるんだよね」


 てへへ、と頭を掻く魔女。おい、可愛い仕草しても駄目だぞ!


「……そんな話、知りませんでしたわ」

「私も口止めされていたからね。命綱があると知ってると無茶するタイプなんじゃない、君?」


 それはそうかもしれないけど、けど。

 ユールは、自分が知らないところや妖精契約で私の身に危険が及ぶかもって思っていたのかもしれない。そうしてつけてくれた命綱を、私はここで無駄にしてしまったのかも。え、ごめんなさい。


「……いや」


 違うな、これ。

 だって私は「魔女アシーライラを探してる」ってユールに言ってあったんだ。なのに彼女と接触したことを伏せて、保険だけをかけていたってことは――


「ありがとうございます、魔女アシーライラ」

「お礼は婚約者くんにね。もちろん、私も礼を言われて嬉しいけれど」

「お礼なら何度も言わせて頂きますわ。あと、追加料金を払うので私のお願いを聞いてくださいますか?」

「金額と内容次第かな?」

「もちろんです」


 ユールには「魔女の庵に入ると時間の流れ方が違う」と教えてあった。

 にもかかわらずアシーライラに救助を依頼したことを黙っていたってことは、「何かが起きた時に私を守りつつ数日隔離する」ことまで計算してたからじゃないだろうか。


 これが私の勘違いだったらいい。

 でもそうじゃないとしたら急がないと。


「私をロンストンの王城に送ってください。今、すぐに」


 私に危険が及ぶ可能性があって、私に関わらせたくないこと。

 ――即位式だ。



                 ※



 死ぬために生まれた人間というものは存在する。

 それがどんな形かは様々だが、少なくとも自分は弟だ。

 十四代ごとに早逝する運命にある王。

 それを古くからの呪いのせいだと言う者もいる。土地の淀みを浄化するのに必要な贄だと言う者も。


 どちらが事実でも、本当の王を死なせないために必要な存在なのは確かだ。

 だから「自分の命を惜しんではいけない」と言い聞かせられて育った。それは名誉で、貴いことなのだと。

 不満はなかった。どのみち人はいつか死ぬのだ。

 突然死なねばならない人間に比べたら、準備ができる自分は幸運だ。決められた日に死なねばならない代わりに、限定的だが自由も、資金も与えられている。

 ならばそれを使って、できるだけ多くの土地を回って、多くの人々に出会って、懸命に生きる人々のためになるように。



 それがちゃんとできていたのだ。

『あなたのことは絶対助けるから』と、胸を張って豪語する彼女に出会うまでは。



「準備はよろしいでしょうか、殿下」

「はい」


 扉が開き、迎えの兵士が姿を現す。帯剣した兵士が五人も来ているのは、彼が逃げ出さないようにだろう。

 そんなに用心しなくても逃げ出さない、と思うのだが、突然「名目だけでいいので婚約したい」と言い出した彼に宮廷も用心しているのだろう。


 彼女と婚約したのは、別に己の死を覆したかったからではない。

 ただ彼女の勢いが激しかったからだ。

 未来を知っていると言い、友人を助けたいと願う彼女。

 その勢いの良さに押された。感心してしまった。美しいと思った。

 諦観に背を向けて駆けていく彼女は、「生きるとはこういうことなのだ」と彼に思わせた。


 自分とはまるで正反対だ。計算と、それを上回る情熱で生きる人間。

 彼女の一挙一動が生気に満ちて眩しくて、いつの間にか焦がれてしまったのだから仕方がない。子供の頃想像していた最後の一年とは、まったく異なる一年を過ごせた。

 だからきっと、これでよかった。



 兵士たちに囲まれて、彼は廊下に出る。

 即位式は、小さな聖堂で行われる。儀式王の存在が民に知らされるのは全てが終わってからだ。


 聖堂内に入ると、そこには十数人の限られた人間たちが着席していた。

 最前列にいる兄が彼を振り返る。何かを言いたげな、訴えるような目に彼は微苦笑で返した。


 最後列にいるはずの彼女は、いなかった。

 彼女の性格からしてただ欠席するとは思えない。何かがあったのだろう。

 ただもし危機であれば魔女との契約で一度は何とかなるはずだ。

 ここに彼女がいて、真実を知って衛兵たちと揉めるよりよほどいい。



 ――彼女の陳情は、結局届かなかった。



 ネレンディーアで急激に力を持ち、王太子とも面識がある彼女が、彼の婚約者として助命嘆願を行うことは、ネレンディーアによる看過できない干渉と議会によって判断されたのだ。

 だから、彼はここで即位して、ここで死ぬ。

 本来あった三日の猶予は、ネレンディーアの物言いを防ぐためになくなった。


 それでいいのだと思う。彼が集めた調査結果は、彼の死後彼女のところに届くよう手配してある。

 彼女は落胆するかもしれないが……彼女が本来助けたかったのは妖精姫だ。

 妖精姫だけ助かればいい。そのために彼女は走り続けているのだから。



 それだけの終わりだ。

 彼女の、自分を見る真っ直ぐな目が好きだった。

 何におもねることも折れることもない目。

 彼女の生き方を美しいと思った。

 でも、彼女が本当に見ているのは自分ではなく未来であって。

 恋にはきっと、ならなかった。




 祭壇前へと進んだ彼は、膝をついて頭を垂れる。

 祭壇脇に立つ司教が王冠を手に取る。その隣には毒杯が置かれている。

 黒い王冠が彼の頭へ載せられる。

 何の歓声も上がらない。聖堂内は静かだ。

 毒杯が、彼の手に渡される。水のように見えるそれを彼は見つめ――



「ああああああ、ふざけんなあああああ!!!」



 怒声と共に、扉を蹴り開ける音がする。

 それが誰なのか、振り返らずとも分かってしまった。


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