第14話 たまたまの一人



 衛兵たちの制止を振り切り、聖堂の扉を蹴り開ける。

 いや、普段はちゃんと手で開けてるよ、手で。

 でも手を掴まれてたら、そりゃ足で開けるしかないでしょうが。私が悪いんか、ああ?


 ……駄目だ、怒りのあまりやさぐれ気味になってしまった。

 聖堂内にいた人間が、全員私の方を振り返る。

 ユール、その正装も格好いいね。でもあとで色々話があるから体育館裏な。


 衛兵が掴んでいた手を離すと、私はロンストンの人間たちに向かって瑕のない笑顔を作って見せる。


「ご招待ありがとうございます。遅れて申し訳ありません」


 優美に、文句の一つも言わせぬように。

 私は堂々とドレスの裾を持って聖堂の中央通路を行く。

 末席参列? 何それ知らんけど。

 礼儀を尽くすのは、礼儀を尽くされている時だけなんだと覚えて帰ってくださいね、全員。


 私は最前列、ユールのお兄さんの隣に堂々と座る。

 物言いたげな視線は無視。葬式だって身内の席はここでしょうが。


 そして一番呆然とした顔でこっちを見てくるユールは、固まったままだった。

 その手に杯があるのを、私は冷たい目で一瞥する。


「式と中断させてしまいましたね。どうぞ続きを」


 声だけは可憐に。

 でも皆動かない。あからさまに青ざめて私から視線を逸らす人間も数名いる。

 何それ、良心の呵責? 私がユールの処刑を取りやめて欲しいって駆けずりまわってたの、ここにいるみんなは知ってるんだもんね。知っててこの仕打ちか。汚いな。さすが宮廷。汚い。


 そこを行くと、ユールはきっと私がここで切れて暴れることを想定してたんだろうね。さすが旦那様。暴れた結果、衛兵ともめてアシーライラに保護されて、魔女の庵から出る頃には全て終わってる、ってところかな。よく考えてる。


 私のことは何も分かってないけど。


「……へ、陛下、どうぞ」


 司教が強張った声でユールを促す。ユールがそう呼ばれるのはこの一日だけだ。

 私を見ていた彼は、持っている杯へ視線を戻す。

 強張る手が、杯を口に。


「――あなたがそれを飲んだなら」


 私の声に、聖堂内の空気は一層張りつめる。


「私はこの場にいる全員の敵に回る。何度でも何度でも、絶対に許さない」


 これはユール、他の誰でもなくあなたに言っている。


「一人を生かすために一人を殺すのおかしいでしょうが。せめて多数を生かすために殺しなさいよ」


 隣でユールのお兄さんがびくっと震える。

 あなたたち兄弟は同罪だ。自分たちさえ黙って耐えればいいと思ってる。


「だから私はこれを良しとするあなたたち全員の敵に回る。何度生まれ変わっても変わらない」


 足を組んで、膝の上に頬杖をついて。

 私は列席する一人一人を順に見る。目を逸らす者も、睨み返す者も等しく。

 罪悪感分け合って薄めてる全体じゃなく、ここにいる個人全部に言う。


 目が合った一人のおじさんが、耐えきれなくなったのか口を開いた。


「他国の人間が何を戯言を……」

「私は、絶対に諦めない。折れない。譲らない。私の大事な人の命に関しては」


 最初からそうだ。ティティのために。ユールのために。

 真砂は……出会った時にはもう失われることが決まっていたのだけれど。


「でも、それ以外ならいくらでも譲ります。何を支払えば彼を私にくだるのです? 身分? お金? 利権? 人脈? なんでも仰ってください。それらは全て最初から、私の大事な人たちを守るためのものなのですから」


 私の懐柔策をのまずに、私に直接否をつきつけずに儀式を強行しようとしたのは、私の出した条件が彼らの利害と嚙み合わなかったってことだ。

 ならちゃんと、もう一度交渉のテーブルにつきましょうよ。一度だけなら見逃してやるから。


 誰も、何も答えない。

 静まり返る聖堂で、私の隣に座る男が言う。


「なら……あなたは、私の弟のために国を捨てられるとでも言うのですか?」


 傷ついた目で、弟を犠牲にする兄は問う。

 お、試し行動か? 五歳児か? いいよ、受けてあげる。

 私は立ち上がると笑顔で返す。


「ご自分が捨てられなかったものを、人には捨てさせようというお心持ちでいらっしゃいますか」


 それを聞いてお兄さんの顔が羞恥で真っ赤になるけど知らない。

 そりゃ嫌味の一つも言いますよ。小舅に負ける気はないんで。


「国を捨てる? 構いませんわ。元よりあの方の妻になる人間です。それくらいは当然のことです」

「き、君は……」

「さあ、それでも因習の方を選ぶというのならどうぞお続けになって。その瞬間から私は最後まで全力で、あなた方と戦うつもりでおりますから」


 私は聖堂内をぐるりと見まわし、最後にユールを見つめる。

 彼は、何も思考が追いついていないような、透明な目で私を見ていた。



                 ※



「報連相! 報連相! 仕事の失敗はちゃんとフィードバックして!?」


 ひとまず解散で話し合い、ということになってからの別室。

 私は椅子に座って頭を抱えるユールを前に息巻いていた。いや怒るよこれ。「八瀬さんに言ったら傷つくかと思って……」とか言ってライバル社に案件取られたの黙ってる上司とかマジでいらないから。負けたって分かったなら次への対策を打つんだからさあ!! 言え! 言えよ!!


「すみません、ローズィア。言えばあなたが傷つくかと……」

「それはもういいから! 前にも聞いた!」

「前にも?」

「いえ、ごめんなさい。ちょっとヒートアップしすぎました」


 駄目だ、ちょっと落ち着こう。無限に怒りだしてしまう。そもそもこれは私のミスなんだ。

 私は呼吸を整えると、体の前に手を揃えて頭を下げる。


「ごめんなさい、私の失敗です」


 事前にがっつり地固めをしたつもりでいたら、むしろその地固めで用心された。ネレンディーアで成功し過ぎたっていうのもあるんだろう。あれだね、ヒロインAとの好感度を上げ過ぎるとヒロインBの好感度が下がるみたいな。ふざけんな。


 正装のままのユールが、青ざめた顔で私を見る。


「どうしてあなたが謝るんですか。怒っているでしょうに」

「怒っていることは謝らない理由にならないわ」

「僕はあなたを裏切った」

「裏切ってない。情報共有は義務じゃないの。私だって全てをあなたに明かしているわけじゃないし」


 ユールが目を瞠る。うん、ちょっと傷つけたかな。ごめんね。

 私は「私が本来のローズィアじゃない」ということ以外全部話してたもんね。

 今までずっと、ユールのおおらかさに甘えていたんだ。でもそれじゃ駄目だった。


 私は窓辺に向かうと、そこにあった椅子を持ち上げてユールの前に持ってくる。

 そこに座り、彼と膝を付きあわせて向かい合う。


「どうして死んでもいいって思ったの?」

「兄を死なせるのはしのびなかったので。それは最初から僕の役目です」

「即位してすぐ譲位して普通にしていればいいでしょう。本当に早逝の呪いがあるなら、それが来るまで待てばいい。何もこっちから勇んで死ぬことはないでしょう?」

「生贄の発想に近いんだと思います。きっと彼らは、待っているのが恐ろしいのですよ」

「待つのはあなたでしょうが。外野が怖いって何それ。外野は黙っとれ」

「ローズィア?」

「いえ、ごめんなさい。口が滑りました」


 ……駄目だ。気を抜くとすぐ熱くなっちゃうな。落ち着け私。

 ユールは微苦笑する。

 私の好きなその表情。でも同時に納得する。

 この表情は、彼が自分を諦めてるから身に染みついてるものだ。自己犠牲を当然のものだと思ってる。


 前回はうやむやのうちに押しきれたけど、本当なら彼のこの意識をまず変えなきゃ駄目だった。よく振り返れば真砂の周回でユールが死ななかったのは全部、儀式王の即位が延期になったからだったんだ。彼がこの儀式から逃げ出したことは一度もなかった。


 ――きっと、生まれながらに染みつけられたものは、すぐには変えられない。

 長い時間がかかる。それはおそらく二年では足りない時間だ。

 でもだからって、やらない理由にはならない。


「ユール、まずは謝罪させて」

「謝罪? あなたがですか?」

「ええ。私はもっとあなたに信用されるように振舞わなければならなかった。最初に信頼関係を築くと約束したのにそれを叶えられなかった。ごめんなさい」

「……それは、あなたの謝ることではないでしょう。あなたが助けるのはティティです」

「私にとってティティとあなたは等価よ」


 どちらかを助けるためにどちらかを見捨てていいわけじゃない。

 だから私は、秘していた情報を打ち明ける。


「私は、子供の頃あなたと遊んだローズィアじゃないの。別の世界で普通に働いて生きていた人間で、あなたより年上の26歳。あなたに求婚する直前から、本来のローズィアの意志を引き継いでローズィアをやってる」

「…………は?」


 あ、また信じがたいって顔してる。オーケーオーケー。想定範囲内。


「あなたには『未来から戻ってきた』って言ったけど、正確には二年間をループしてる。妖精契約を越えられない場合、私はあなたと再会した日に戻る」

「……本当ですか」

「本当。だから私は前回、あなたとはちゃんと連れ添ったのよ。妖精契約の日までだったけど」


 これを言うのは、本当に恥ずかしいんだけど。

 でももっと早く言っておくべきだったのかもしれない。


「私が、友人である前のローズィアからこのループを継承したのは、話に知るティティを助けたかったのもあるけど――あなたがいたから」


 きっとね、あのお話を読んでいた人たちの中にもいっぱいいたと思う。

 あなたのことを好きだった人。あなたのことを助けたいと思っていた人。

 私はたまたまその中からローズィアになっただけの一人だ。


「妖精契約に至るまでの二年間、あなたがどれだけティティとローズィアを助けてくれたか、私は何度も読んできた。あなたのその高潔さに運命が報いないのを変えたいと思っていた」


 ああ、これは気持ち悪いし怖いだろうな。

 自分の知らないところで、誰かが自分を見ているなんて。

 でも言う。気持ち悪がられてもいい。もうドン引け。


「私は、あなたが好きだからここにいるの」


 だから、この感情の分だけ重みを背負えばいい。

 死ぬ時は、私の気持ちごとあなたは死ぬんだ。





 ユールは、信じがたいものを見ている目で私を注視している。

 ああ、いやだな。ローズィアとしてはともかく、咲良としてこんな風に人と向き合ったことはほとんどない。ずっと面倒で避けてきた。例外は真砂くらいだ。

 視線を逸らしたいけど、逸らしたらまずいのは分かる。

 だから彼を見つめ返す。

 何か言って欲しいけど、一生何も言って欲しくない。

 ああ本当やだ。死にたくなってきた……つら……



 無言の時間は息苦しい。

 無意識のうちに息をしようと口を開いて、そこにユールの手が伸びてきた。

 彼の大きな手が、私の頬に触れる。


「名前は?」

「え?」

「あなたが本来ローズィアじゃないと言うのなら、本当の名前があったんでしょう。それはなんですか?」


 ……そんなの、口にする日はないと思っていた。

 別に好きな名前でもない。でも、聞かれたから答える。


「咲良。姓は八瀬」

「僕より年上なんですか」

「まあ、そう」


 か弱い年下の子じゃなくてごめんね。ただ年を重ねただけの26歳ですよ。

 死にたみが増してきて、がっくりうつむきたいけど、ユールがじっと見てくるからできない。もう目を逸らしたら負けみたいになってる。小学生か。


「サクラ」

「……その名前で呼ぶのはやめて欲しいわ」

「どうしてですか」


 どうしてと言われても、めちゃくちゃむず痒い。落ち着かない。

 私がこの世界でみんなに向き合えているのは、私であって私でないからだ。その被膜を剥さないで欲しい。


「か、解釈違いだか……ら?」

「あなたはおかしな人ですね」


 ユールは微笑む。

 その微笑は、淋しそうじゃなかった。だから私は少し安心する。

 まあいっか、って思う。

 気が済んだから、まあ、いいか。


「私が隠していることはもうないわ。これで全部。だから国を捨てることに本当に遠慮はないの。妖精契約の儀式には、デーエン殿下にねじこんで出席させてもらうし」


 前回は、私がユールと結婚してたからってことで物言いが入って出席できなくなったんだけど。

 その物言いをつけたのはベグザ公爵なんだよね。だから今回はそっちを何とかしてもいいわけだし。


「反対に、あなたが国を捨てられるっていうなら一緒に逃げるわ。どちらでもいい。あなたが不当な死を免れられるなら。いくらだってやりようがあるわ。……まあ、もう私のことが信用できないかもしれないけど」

「いいえ」


 彼の顔が近づく。

 その額が、私の額に合わせられる。


「近い」

「僕のことを見ていてくれて、ありがとうございます」


 当たり前のことだ。

 なのに彼は感慨深く礼を言う。


「僕も……あなたが好きですよ」


 鼻先が触れる。

 何それ。何だもう。

 顔が16歳みたいに熱を持つのが分かる。

 恥ずかしくて仕方ない。

 でも今日はこれ以上考え事しないぞ。閉店ガラガラだ。


「たぶらかさないで。まだ怒ってるんだから」

「怒っててもいいです。僕のためでしょうから」


 伝わってくる温度は温かい。

 その温度に私は泣きたくなって、目を閉じた。


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