第15話 婚約破棄をする!



「ローズィア・ペードン、僕はあなたとの婚約を破棄します」

「まあそうですよね」


 ロンストンの聖堂に乗りこんで三日。

 私はほぼ軟禁状態にあったわけだけど、その間えらい人たちがあーでもないこーでもない、と議論して出した結論がそれらしい。

 小さな会議室にて、私は書面として起こされた条件に目を通す。


 うん、私に残るものは何もないんだけど、私が捨てるものもない。まっさらにしましょうね、という感じ。もともとユールとの婚約で私に流れる利権を警戒してああなったわけだから、妥当な結果だろう。私は羽ペンを取ると、末尾に署名する。

 隣のユールが苦笑した。


「まったく躊躇わないでいられると、それはそれで傷つくんですが」

「あなたが生きていられるなら充分だわ。結婚なんて書類上のものでしょう?」


 書類を置いたテーブルの向こうで、ユールのお兄さんである現王が頷く。


 ――脅迫の結果、ユールの処刑はなくなった。

 王位はお兄さんに譲位され、ユールは「ピビア大公」という爵位に任じられた。

 その代わりに暴れまくった私との一切の関係は清算。そりゃそうですね。宣戦布告したもんね。

 でも別にいいです。充分な結果だから。処刑の廃止も文書に盛り込んでもらえたし。


「僕としては、僕が身分を捨ててあなたと結婚する方がよかったんですが」

「ややこしくなるから蒸し返さないで! もう一回会議になっちゃうでしょう!」


 あと近い! なんか落ち着かないからやめて!

 触れるほどに隣に近づいてきたユールから、私は一歩距離を取る。

 ユールは心外、と言った顔で私を見た。そんな「散歩に連れて行ってくれない飼い主を見上げる犬」みたいな目されても聞かないから。第一、私には権限がないし。


「いいから早くあなたもサインして! ほら」

「はいはい。残念です」


 くっそ……私の方が年上だって忘れてないか?

 本来の素性を明かしたあの日から、ユールは肩の荷が下りたみたいにゆるっと私を構ってくるけど、私からすると一晩明けた時にはもう「余計なこと言った……」の自己嫌悪ですよ。一人反省会。

 ちゃんと人とコミュニケーションしない人生を送ってきた人間はこれだから駄目。あからさまな好意にどう返していいか分からないし、反射でぬるぬる逃げ続けちゃう。


 いやでも、これから先ユールが「やっぱり気の迷いだった」ってなるかもしれないし、その時になってひっそり傷つくのも鬱いから、とりあえず逃げとこ……。少なくとも妖精契約が終わるまでは……。


「冗談ですよ。あなたが勝ち取ってくれたものですし、ありがたく署名します」

「む……」


 急に真面目に微笑まれると落ち着かないんですけど……。

 でもユールも書類にサインして、これで正式に婚約破棄。

 立会人のオーボン公爵がチェックして(お前、顔と名前覚えたからな)、手続きは終了です。


 気が付くとユールのお兄さんが私をじっと見てくる。第2ラウンドですか。受けて立ちますよ。

 けどお兄さんは、私に向かって目礼した。


「ロンストン王家の呪いは、『積み重なった死者の念によるもの』と言われています」


 うわ、嫌な方向から来た。なんなんだ。怖がらないぞ。


「でも、あなたを見ていると、生きている人間の方が強いのでは、と思えてきました。……弟をよろしくお願いします」

「たった今、婚約破棄したんですけど」


 婚約が名目上のことなら、破棄も名目上のことだから別にいいんだけどね!!



                 ※



 一通りの手続きが終わると、私は会議室から広間に出される。

 そこには三日前に聖堂にいた人間も何人かいる。彼らは動物園のゴリラを見るように距離を取って私の様子を窺っていた。バナナぶつけんぞ。

 ユールが私に手を差し出す。


「国境までお送りしますよ。あなたから目を離すのは怖いですからね」

「何をしでかすか分からないものね」

「そういう意味ではないんですが」


 苦笑されても自己評価はちゃんとしているつもりだから。

 あとロンストンの宮廷もそこまで信用してないし。

 だから私は、ユールの手を取って言う。


「いいわ。でも迎えはもうお願いしてあるから。あなたもついてきてちょうだい」

「迎え?」


 ロンストンからすると、私は身一つで来たことになってる。

 途中で馬車が襲われたからね! ネレンディーアでは騒ぎになってるかも。

 私は軟禁されてたから馬車なんて呼べないだろうってことだろうけど、ちゃんと手配してます。

 だから、その名を呼ぶ。


「――アシーライラ」

「はぁい」


 誰もいない空中から声が響く。

 まず黒い手袋を嵌めた手が現れ、次にフードをかぶった魔女が私の隣に現れた。

 広間に剣呑なざわめきが走る。


「魔女!?」

「あの娘、魔女と繋がりがあるのか……!」


 そうですよ。私は計算高いんで、一度知り合ったら絶対縁を繋ぎますから。

 アシーライラともちゃんと報酬込みで契約してる。顧問魔女だ。相談料とは別で、個々の依頼料もその度ごとに払うって感じ。

 私の顧問魔女は、フードの下から広間を見回した。


「おや、何とかなったのかい?」

「話し合いでね。おかげであなたに力技を頼まなくて済んだわ」

「そりゃおめでとう。で、何人か仕返しに間引いとく?」


 アシーライラの軽口に、ロンストンの貴族たちがぶるっと震える。

 いやいや、しませんよ、そんなこと。話ついたからね。よかったね、実力行使されなくて。


「それはいいわ。ネレンディーアに帰りたいの。そこで色々話をしたいわ。時間をとってくださる?」

「お安い御用さ」


 ありがたい。持つべきものはちゃんと契約で動いてくれる仕事相手ですよ。

 呆然としていたユールが我に返るとアシーライラに言う。


「あなたは……彼女を守ってくれたんですね」

「君との約束通りだよ。つい君のことをしゃべっちゃったけどね」


 てへ、って舌を出すアシーライラ。ちょっとかわいいぞ。ありがとう。


「じゃあ婚約者くんもついでに連れて行ってあげよう」

「婚約破棄してきたわ」

「じゃあ元婚約者くんもついでに連れて行ってあげよう」


 校正が入ったみたいになった。

 ユールが何かを言いかけるけど遅い。ふわりとアシーライラがローブのマントを翻す。

 そうして視界が変わった時、私たち二人は魔女の庵に招かれていた。



                 ※



 アシーライラは転送みたいな魔法が使えるんだけど、移動条件に魔女の庵を経由すること、ってあるんだよね。つまりそこで日数が消化されるから、長距離だと実質馬車で移動するのと同じくらいになる。


 驚いて魔女の庵を見回しているユールに、私は先に言っておく。


「帰りは転送で返してあげるから。私がアシーライラと契約してるって見せとけば、証書破ってまであなたに何かしてくる人も出ないでしょう」

「……あなたには驚かされますね」

「実力者なのはアシーライラで、彼女に繋いでくれたのはあなたよ。私はそれに乗ってるだけ」


 私は人と人を結ぶだけだから、その肝心の人がいないと何もできないんだよね。

 だから自分は無力だって思うし、それでもやれることをやらないと。


 お茶を淹れようとしているアシーライラに私は言う。


「お茶なら私が用意するから、私の屋敷に送ってくださる?」

「君の選別したお茶か。興味はあるけど、またの無難な話の時がいいんじゃないかい? 誰が聞き耳を立てているか分からない」


 うーん、私の屋敷ならそれはない、って言いたいところだけど、これはやんわりしたアシーライラからの拒絶だ。「話をしたいならここで」っていう。今はそれを受け入れた方がいい。


「ではお言葉に甘えて。お手伝いいたしましょうか」

「お、助かるね。じゃあそこの戸棚から皿を出してくれ」


 手分けしてお茶とお菓子を用意すると、私たちはテーブルにつく。

 話す内容は一つだ。


「妖精契約と妖精姫について、知ってることを伺いたいわ」


 ネレンディーア独自の風習で、地方の記述では「災厄の前触れ」とか「人間に与えられた試練」などと言われているもの。それについてアシーライラは何か知らないだろうか。

 いきなりの本題に、アシーライラは微笑む。


「それは君の友人の妖精姫に聞いた方がいいんじゃないか?」


 あ、やっぱりティティが妖精姫って知ってる。


「聞いたけど、『沈殿した澱が溜まって人間の世界に落ちる』のが妖精って言われたわ」

「なるほど。妖精姫本人からするとそういうイメージなのか。面白いねえ」

「あなたはどういうことか分かるの?」


 魔女は肩を竦めると、テーブルの中央を指差した。そこにぽんとミルク壺が現れる。

 アシーライラは一匙ミルクを取ると、それをお茶に落とした。


「この世界には潮流がある。全てのものは大きな流れの中にある。人間も例外じゃない」


 ミルクは赤いお茶の中で白い弧を描く。赤と白がくるくると環を作る。


「でもこの潮流は、私たちには見えない時間と空間も回って一周としているんだ。私たちには捉えられない世界の半分と言っていいだろう」

「それが妖精の国ですか?」


 口を挟んだのはユールだ。彼も彼であちこち調べてくれてたから、ひょっとしたら妖精については私より知識があるかも。


「そうだね。人間の世界と妖精の国、と呼ばれているものは二つで一つの世界だ。――ただどうやら、妖精の国側はこの潮流がスムーズじゃないみたいでね、流れが淀む、溜まる、そういうことがあるみたいなんだよ」

「……それが、澱?」

「ではないのかな、という私の仮説だ。上手く流れなくなった潮流から生じて、人間の世界に落ちてくるものだね。妖精姫とはどうやらそういう存在なんだろう」


 なる、ほど?

 いやでもだからなんなんだ?

 思わず眉を寄せていると、ユールが言う


「つまり妖精契約とは、上手く流れていない潮流を正常に動かすためのもの、ということですか」

「その可能性が高いね。私もネレンディーアの王族に直接聞いたわけじゃないから推察だけどさ。第一王子との契約だっていうのもそれが理由じゃないかな。一番高貴な人間が穢れを負うわけだ」

「穢れって……」


 ティティのどこが穢れなんじゃい、出るところ出るぞ。

 いや、そうじゃなくて。

 なるほど……? 本当に神事なんだな。でもそれなら失敗するのはまずいんじゃ。って、ちゃんと国は滅ぶか。納得。


「……なら妖精契約が失敗するとしたら、あなたは原因はなんだと思う?」


 思いきって直接助言を求めてみる。

 アシーライラはグリン、と首を動かしてこっちを見た。今の動きは可愛くなかったぞ。

 血色の悪い唇がにっと笑った。


「さあ? 人間側に契約を受け入れるには器が力不足だった、とかじゃ?」


 それはやっぱり、ジェイド殿下が駄目ってことなんじゃ? なんじゃ?


 考えこむ私に、魔女アシーライラは笑って見せる。


「それよりローズィア嬢、君を襲った人間の方はいいのかい?」

「あ、忘れてた」

「襲った?」


 ユールの顔が一転して険しくなる。

 あああー面倒うううう、どうして今言っちゃったの、アシーライラぁ……。


「どういうことですか、詳しく説明してください」

「ロンストンに馬車で移動中に馬車が襲われてアシーライラに助けられました。少なくとも相手は数人の男を雇って指示できるような人間みたいです」


 面倒だから一気に説明だ。

 ユールの険しい顔がますます険しく。うわ、人が怒ってるの見るの怖いな。私も気をつけよう。


「場所は?」

「ベニロン峡谷あたり。あとちょっとでロンストン」

「ということはロンストン側の人間の可能性が高いですね……」

「違うよお」


 私たちの視線を受けて、魔女は悠然とお茶を飲む。


「サービスで調べといてあげたよ。あれをやったのはネレンディーアのベグザ公爵。できるだけロンストンに近いところで襲撃して、ロンストン側に罪を着せようってことだねえ」


 あのおっさんか。やっぱりクロなんか。

 でも……これはチャンスだ。


「証拠はあります?」

「あるよ。はい。連絡係も捕まえてる」


 魔女がテーブルに放ってきたのは何通かの指示書だ。私とユールはそれらを回し読みする。

 口元が自然に緩んだ。


「こ、これであの親父を排斥できる……」

「駄目な笑い方してますよ、ローズィア」


 呆れ顔で言われても、うれしいものはうれしいもん!!

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