第2話 主人公の継承



「いつまでも心に残り続ける物語って、何だと思う?」


 山下真砂にそう聞かれた時、私は読み終わった本の感想を語り終わったばかりだった。

 彼女のアパートの部屋は、余分なものが何もなかった。

 西日が窓から差し込み、窓枠の影が長く伸びて床を斜めに切り分けていた。



 真砂とは一年前からの付き合いだ。

 たまたま小説投稿サイトで真砂の小説を見かけて読んだ。

 その話がめちゃくちゃ面白くて、三十万字を徹夜で読んだ後、長文感想を書いた。今思うと自分でもどこにそんな行動力があったんだ、って感じ。

 それから更新の度に感想を書きこんで、更新が誇張じゃなくて毎日生きる支えになってた。ちょうどあの頃は仕事が立てこんでて追い詰められていたから、真砂の小説がなかったら、私はどこかでぽっきり折れてたかもしれない。

 そんな時に同人誌の即売会に真砂が出るって知らせを見て、製本された小説を買いに行って挨拶した。緊張でろくに顔も見られなかった私に、真砂は「いつもありがとうございます」って言ってくれた。

 そこから何となく連絡先を交換して、会って話をするようになった。そんな仲だ。



 今日はちょうど真砂の初投稿から一年で、どちらからともなく「会ってお祝いしよう」って話になった。二人で映画を見て、予約した店でケーキを食べて、真砂の部屋に来た。

 私は顔を上げて彼女を見る。ちょっと考えて返す。


「心に残り続けるって……綺麗に終わった話? あ、でも気になるところで止まった話も気になるかも。更新再開希望ボタンがあったら無限に押しちゃう。作者にお布施したい」


 私に他に趣味はない。休みの日には家でずっとスマホを見てる。小説を読んだり動画を見たり、たまに映画に行くくらいだ。

 両親も早くに亡くなってるし、兄弟もいないから自分のことだけにお金を使っていいんだけど、何しろ家賃にかかるからそう豪遊もできない。幸いインドア派なのでこの生活も苦にならないんだけど。


 小説はどんなジャンルでも読むけど、「いつまでも心に残り続ける」って改めて聞かれると難しい。一度読んだ話は全部覚えているけど多分そういうことじゃないだろうから。

 真砂はそれを聞いて微笑む。西日のせいか、その顔が少し悲しげに見えた。


「わたしはね、悲劇で終わった話ほど覚えてるの。ああすればよかった、こうすればよかった、ってそんな話は忘れられない。ずっと後悔してる」

「それって、この本の話?」


 私は持っている本を持ち上げて見せる。

 A5サイズの分厚い本は彼女の新刊だ。彼女が書いて一冊だけ製本した本。

『妖精姫物語』というタイトルのファンタジー小説で、これが十五巻。

 真砂が小説投稿サイトに載せたり印刷してイベントに持っていったりしているのもこれで、でも今は更新もやめて私にだけ製本して読ませてくれている。


 美しく、必死で、ままならい人生を行く人たちの話。

 叶えたくて叶わないものを描いた話。

 この話が、私は大好きだ。


 真砂は小さく頷く。


「そう。いつもバッドエンドなの。付き合ってくれるのは咲良くらい」

「いやいやいやいや。面白いってば。ちゃんと人気あるよ? 確かに毎回バッドエンドだけど、ああすればよかった、こうすればよかった、って主人公が思ったことがちゃんと次の巻に反映されてるし」


 そう、この『妖精姫物語』って十五巻もあるけど全部一冊一冊完結してる。

 ローズィアって貴族令嬢に転生した女の子が主人公で、彼女が友人である妖精姫を助けるために奮闘する話だ。


 話の最後はいつも妖精姫を助けられなくてバッドエンドになるんだけど、次の巻にはローズィアだけ記憶が持越しされるから「じゃあ次はこうしてみよう」って違う動きをする。

 そうするとちょっとずつ未来が変わって面白い。まるでゲームの周回プレイだ。最後は変わらなくて、ローズィアが「また駄目だった」って絶望して終わるんだけど。感想欄には「いい加減幸せにして!」「読者の心が先に死ぬ」ってコメントが多かった。気持ちは分かる。

 でも、終わり方だけが作品の全てじゃないと私は思う。


「別にバッドエンドが好きなわけじゃないけどさ。ローズィア頑張ってるじゃん。他のキャラも苦労人だったり努力家だったりするしさ。好感が持てる。これお世辞じゃなくて。あと百巻は読める。ローズィアがハッピーエンドになるまで追い続ける。約束するよ」


 真砂と友達になったからっていうわけじゃなく、本当に好き。

 特に、何度バッドエンドになっても諦めずに次へ行く主人公のローズィアと、悲運で心優しい妖精姫ティティリアシャが好き。あとは……さりげないところで助けてくれるローズィアの幼馴染がかなり好き。かなり不遇なキャラなんだけど、自分が不利になるのを顧みずに、ここぞってところでローズィアに手を貸してくれる。感想欄だと「地味王」とか言われてたけど。毎回死ぬ場面になる度に吐いてた。もう二十回くらいは吐いてる。


 他のキャラも味があるし、好きなエピソードは読み込みすぎて設定資料集も作れそう。あ、作ったら次の巻を書くのに喜んでもらえるかな。


 そのことは新作を読む度に真砂に力説しているせいか、真砂は声を上げて笑った。



「ありがとう。――ねえ、咲良。じゃあお願いを聞いてくれる?」



 真砂の声音が変わる。

 静かで、真剣な。

 友達にこんな風に言われて断る人間は、きっといない。


 私は頷く。

 真砂は少し口を開いたまま躊躇った後、言った。


「あのね、わたしがローズィアなの」


 彼女の長い睫毛が翳を帯びる。真砂の手がテーブルの上できつく握られる。


「正確には、その本に出てくるローズィアが私。その前にもローズィアはいたの。でも誰一人悲劇を変えられなかった。できなくて、耐えきれなくなって、次の誰かを選んでバトンを渡す。それを私たちはずっと繰り返してきた」

「……それ、本の話?」


 確かに一巻の時からローズィアは「起こり得る未来」を知っていた。

 そもそもこの話は彼女が知った未来を避けるために奮闘する話だ。

 でも、「どうして未来を知っているか」は作中に書かれていない。

 真砂はその答えを私に告げる。


「違うよ。現実の話。それはわたしが経験したことを全部書いてお話にしたの。だからその巻で終わり」

「終わりって……」


 どう見ても完結してない。妖精姫はいつも通り死んで、舞台になっている国は滅ぶ。

 何もかも手詰まりだけど、でもローズィアは諦めない。そういう話のはずだ。


 真砂は木のテーブルの中心に手を伸ばす。

 そして唱える。


「――魔力徴発・発光」


 作中でローズィアが使う力。

 それは三度目のループで聖女が彼女に与えたものだ。触れたものの魔力を強制発動する力。

 何もないテーブルの中央がうっすら青く光る。

 でも淡い光は一瞬で消えた。魔力がほとんどなかったんだろう。

 そんなことを考えながら、私は自分の口を押えていた。

 無意識のうちに今見た非現実を咀嚼しようとする。



「咲良、聞いて。わたしじゃ駄目なの。どうしてもティティリアシャを救えない。もう何も思いつかない。だから、次の人に全てを伝えるためにそれを書いたの。そして、ちょうど今日が一年の期限の日」


 物語を語るように、真砂は訴える。

 私はそれを疑えない。

 彼女は泣いていたから。


「どうかお願いを聞いてくれる?」


 テーブルの手が伸びてきて、私の手を握る。

 机の上にぽたぽたと涙が落ちる。


「ずっと探していたの。わたしが経験した全てを受け取って覚えていられる人。『こうしてみればいいのに』って考えられる人。決して折れない人」

「真砂、それは……」


 過大評価だ、と言いたいのを私はのみこむ。

 そんなこと読者なら誰だって考える。思いつく。今まで口にしてきたのはただの無責任な感想だ。

 あと百度ローズィアが挑むのについていけると言っても、それは私が物語の外にいる読者だから。

 何の力もない……ただの外野の意見だ。

 でも言えない。真剣な真砂をはぐらかすようで、私は口にするのをためらった。

 真砂の手に力がこめられる。痛いくらい手を握られる。


「咲良、あなたはあの世界の人たちを愛してくれてる。だから頼むならあなただと思った。あなたならやってくれるかも、って……」


 真砂はそこで言葉を切った。

 涙を流したまま、彼女の顔から表情が消える。たった今口にしたことを後悔するようにうつむく。


 ――その仕草を私はよく知っている。

 ローズィアが傷ついて、でも誰にも頼れない時に見せる仕草だ。

 一人だけ未来を知っている彼女が、一人戦い続ける時に、折れてしまいそうな時に見せる顔。

 その傍らに私がいられたらいいと、思ったことは何度もある。

 ローズィアは、私のただ一人の友達に、真砂によく似ていると思っていたから。



 ああ、なんだ、最初から私は気づいてたんじゃないか。

 この頑張り屋で寂しげな友達が、追ってきた物語の主人公だったって。



「やるよ」


 気づけばそう口にしていた。

 私は右手で真砂の本を抱きこんで、左手で真砂の手を取る。

 これが夢だったら、明日真砂に笑って話せばいい。

 冗談だったら、二人で笑い飛ばせばいい。


「やる。私が何とかする。だから真砂、知っていることを全部教えて」


 そして真実なら、決して笑わない。

 一人で生きてる私には失うものがない。目の前の、私の大事な友達以外は。


 真砂は私を見つめてぼろぼろと泣き出す。


「ご、ごめんね、咲良……ごめん」

「謝らないで」


 あの十五冊が全部真砂の話だというなら、どれだけ一人で戦って苦しんできたのか。

 本に書かれていたローズィアの心情は、極めて抑えた筆致だった。ストイックだった。

 そこには真砂の性格がよく現れている。

 私は立ち上がると友人を抱きしめた。その背を優しく叩く。


「大丈夫。私を頼ってくれてありがとう」

「で、でも咲良、本当に……嫌なこともいっぱいあるんだ……」

「知ってる。それでも楽しみなこともあるから」


 嘘じゃない。正直な気持ちだ。

 驚いて顔を上げる真砂に、私は告げる。


「真砂の大事な友達に、ティティリアシャに、デーエンに、フィドに、会いに行くよ」


 そして……私が一番好きな彼女の幼馴染、不遇の王であるユールにも。

 私があの世界にいたなら、彼の運命を変えたいと思っていた。

 それが、叶うかもしれない。



「真砂みたいにみんな好かれるのは無理でも、皆を助ける。――私が真砂の願いを叶える」


 軽い気持ちで約束するなんて、他人は言うかもしれない。

 でも私は、私の大事な友達に選ばれた。託された。

 世界を越える理由なんて、それで充分だ。





 そうして私は私の大事な人たちのために、十六歳のローズィア・ペードンになった。

 今度こそこの物語ならざる歴史を、幸せに終わらせるために。

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