第26話 ループラインの終わり



 出現した赤黒い柱。

 そこから湧き上がってくる空気は、私に既視感を抱かせた。

 あれだ、懲役126年の荒野と同じ空気。

 なるほど、あそこが妖精国を間借りしてたっていうのは本当みたい。


 乾いた風が吹きつける。出現した柱は、私が今まで見たものより大分細い。せいぜい直径2メートルだ。

 ティティが怯えた目で私を見上げる。


「ロ、ローズィア……」

「……巻き戻していいわ、ティティ。次はもっと早くあなたのところに来るから」


 今のこの時期でこれなら、もっと早くに行えば妖精契約は完遂できるはずだ。

 けどティティは、困惑の目で私を見た。


「巻き戻すって、どうやれば……」

「あ」


 ティティのあれは窮地に陥ったからこそできるものなのか。

 と言っても、私もやり方が分からない。とりあえず下がって対策を――


 そう言おうとした時、ぐん、と柱が広がった。


「っ!?」


 ユールの腕が、私たち二人を掴んで引く。

 それがなければ、今の一瞬で私たちはのまれていただろう。

 彼は私たち二人を引いて更に下がる。

 柱が急激に膨らみ始める。テーブルが、ランプが、机があっさりと中にのまれた。

 風が強くなる。カーテンが舞い上がる。

 私は隣の友人に言う。


「ティティ、逃げて」


 ティティさえ無事なら次がある。私は多少コマ切れになっても嘘の死だ。厳密には死なない。

 それに――誰か一人が死ねば、ティティはきっと巻き戻しができる。本気になる。

 私は彼女をドアの方へ押しやった。


「さあ」


 ティティは私を見つめる。

 不安な目をした妖精姫はそして、柱を目前に見たままのノナへ手を伸ばした。


「ロ、ローズィアも、こっちに……!」



 彼女の、本当の名を呼ぶ声。

 ノナが弾かれたようにティティを振り返る。

 彼女の目は見えない。驚いて開かれた口だけが、何かを吐き出したそうにわなないた。

 今はもう死人となった彼女。それでも繰り返し続ける彼女。

 人を外れ聖女になった彼女が、今だけはまるでただの少女に見えた。

 ただの、ローズィアに。



 柱が膨らむ。

 私ははっと顔を上げるとユールに叫んだ。


「ティティを連れていって、早く!」


 柱を見たままそう言う私の体を、けれどユールはティティとまとめてドアの方へ引いた。

 代わりに彼は自分が前に出る。


「行きなさい、あなたたちで」

「ちょ、」

「僕とあなたは同じ条件ですよ。行ってください」



 彼は私を振り返る。

 いつもの「仕方ないですね」って微苦笑を浮かべる。

 ああ、最悪。

 本当に、呆れるほどに優しいひとだ。



「また次に会いましょう。あなたは放っておけないですからね」

「そんなの」


 それは、駄目だ。

 彼を次の周回に連れてきては駄目だ。

 アシーライラの贈る100年は、私一人だからこそ耐えられる。彼と一緒では無理だ。

 記憶が増えていくなら、私はきっと耐えられない。彼にあの年月を味わわせる苦痛に、私が耐えられなくなる。

 だから、無理だ。



 一瞬、ほんの一瞬だけだ。思考が止まる。

 その一瞬の間に、ノナが自分の右手を柱の中に突き入れた。


「ああああぁぁぁああっ!」


 苦痛の絶叫が上がる。

 けれど同時に、柱の拡張がぴたりと止まった。

 代わりに彼女の中から何かが柱の中に吸い上げられていくのが分かる。

 それは今までノナが積み上げてきた……彼女自身の、無数の死だ。



 ぼたぼたと床に滴る血は赤黒い。

 私は呟く。



「どうして」



 ノナは、この周回を捨てて次に賭けることだってできるはずだ。

 きっと何度もそれをしてきた。別の私たちにローズィアとして生きる時間を譲りながら、自分は死を積んできた。

 だから今だってそうすればいい。それだけだ。なのに。


 ノナは柱を見上げる。



「どうしてかしら」



 柱が巻き起こす風が、白いフードを巻き上げる。

 プラチナブロンドの髪が舞い上がる。



「少しだけ、助けてあげたくなったのかも」



 吸い上げられていく死。

 それは彼女が積み上げてきた、文字通り血を吐くような年月そのものだ。

 子供だった彼女が一人の妖精姫の死に関わった、その贖罪から連なるもの。重すぎる時間。

 そんなものを惜しげもなく差し出しながら、彼女は言う。



「駄目だったら、また次の1000回を積むからいいわ」



 あっさりと、乗り遅れたバスを見送るように、彼女は言う。

 そんなの正気の沙汰じゃない。

 簡単に「次を」なんて投げうっていいものじゃない。

 でも、きっと、それをしてもいいくらい価値があった。ティティが「ローズィア」と呼んだ、あの声は。


 ノナの死を吸って、赤黒い柱がみるみるうちに縮んでいく。

 死人となった彼女の零す血が、小さな水溜まりくらいになる。

 ノナの顔は真っ白で、でも彼女は揺るがない。細くなっていく柱を見続けている。


 けど、そうして細くなっていく柱は、握りこめるほどの細さになったところでぴたりと漸減を止めた。


「っ、」


 ノナが唇を固く結ぶ。

 ああ、足りないんだ。

 ここまで来て。ここまで彼女に命を払わせて。

 それでもあとほんの少しが足りないなら。


 私は立ち竦んでいるティティに言う。


「ティティ、大丈夫だから巻き戻さないで」

「え?」


 ティティは大きな目を見開く。

 隣のユールが表情を変えた。


「あなた、まさか」

「次は要らないわ。……でも、嬉しかったよ。ありがとう」



 これは、ローズィアが始めた挑戦で、それに乗ったのも私だ。

 だから私たちで閉じる環だ。他の誰も巻きこまない。



 私は駆け出す。ユールの隣をすり抜けて。

 私の肩を掴もうとした彼の手が空ぶる。

 ノナが私を振り返った。

 目が合う。言葉にしなくても分かる。

 彼女は小さく頷くと、細い柱に飛びこむ。

 柱は更に縮小し、でも糸状の一本が残った。

 ユールの怒声が聞こえる。


「ローズィア、やめろ!!」



 残念、それは私の名前じゃないんだ。



 さよなら。

 二人とも愛してたよ。



                 ※




「この継承を受けたら、もう戻っては来られないの」


 真砂はそう言った。

 ちゃんと説明してくれた。

 ループをやめることもできるが、死と引き換えであること。

 やめた際には一年間の引き継ぎ猶予が与えられるけど、それだけだ。元の自分の人生に戻れるわけじゃない。

 それでもいいか、と真砂は念を押してくれた。

「それでいいよ」と私は受けた。


 ノナは「最初は生きる居場所がない娘を選んだ」と言ったけど、あれは私も同じだと思う。

 働いて食べて眠る生活を送れてはいたけれど、そこに何の執着もなかった。いつ終わってもいいと思っていたし、いつまでもこの生活が続くだろうことに疲れてもいた。

 だから「もう戻って来られない」と聞いても、別に構わないと思った。自分のこの先の生活よりも、真砂と真砂の教えてくれた世界の方が大事だった。



 生きるってことは、すごく高いところから飛び降りることに似ている。

 私たちは生まれ落ちた瞬間から落下し続けている。

 いつ地面に到達するかは分からない。ただいつかは必ずそこにぶつかる。

 だったらせめて、好きな人のために落ちていきたい。

 そんな終わりを、私は望んでいる。



 勝ち逃げしてごめんね。




                 ※




「――また来たのかい」



 嫌そうな、そんな声が降ってくる。

 私は目を開ける。

 赤い空が見える。私を覗きこんでいるフードの魔女も。


「……アシーライラ?」

「そうだよ、何でもない君」

「何でもないって……」


 私は体を起こす。

 見渡すそこは、いつかの荒野のようで、でも少し違う。

 空は場所によって色が違う。満天の星空だったり、澄んだ青色だったり。真っ暗な部分もあったり。

 同様に地面もずっと先は闇の中に埋没していて、どうなっているか分からなかった。


「ここは? ノナは?」

「死者の国、妖精国。それが君の主観で現出してるって状態かな。――ノナは消えちゃったよ。あの子はもう死んでたからね。全部使い果たした」

「……そう」


 彼女は、それを分かっていただろう。

 私もそうだ。私は乾いた大地に座ったままアシーライラを見上げる。


「私は?」

「君もちゃんと死んでるよ。ただ私の分の妖精の羽を飲んだからね、かろうじて意識が残ってる感じかな」


 アシーライラの笑顔は皮肉交じりのものだ。そりゃそうか。

 私は自分の手を握って開いてしてみる。肉体がある、ように見えるけど、やっぱりちょっと違うな。感覚が薄くてゼリーみたい。


「妖精契約がどうなったか分かる?」

「分かるよ。無事な収束まであとちょっとってところかな。今回は正しい手順が取られたってのも大きいね」


 げ、収束しきってないのか。

 でもちょっと気になるのは――


「正しい手順って?」

「ん? 契約相手の人間が死ぬことだよ。当たり前だろ、穢れを負う役目なんだから」

「あー」


 そうなのか。でも言われてみればそうかもね。

 ロンストンの儀式王がそうなわけだし、やっぱり私が引き受けて正解だった。

 ただあとちょっとが残ってるのか。これはまずいな。ユールが何かしそう。


 そんな私の内心を読んだように、アシーライラは悪い笑顔を見せる。


「何とかしたいかい?」

「したいわ。どうしたら教えてくれる?」


 アシーライラが親切で教えてくれるはずがないから、これはきつい交渉になりそう。

 案の定、アシーライラは、口の両端を楽しそうに吊り上げた。


「別に、タダで教えてあげるよ。君がそれをできるかどうかは別として」

「なら教えて」

「簡単だよ。この前と同じように、ここを歩き続ければいい」

「え?」



 私は荒野を見回す。

 懲役126年の記憶を思い起こす。



「私も予想してなかったけどね? 君が馬鹿みたいに歩き回ったの、あれ大分淀みを拡散させてたんだよ。だから妖精契約で現出した柱があそこまで小さくなった」

「……時期を外したからじゃないの?」

「もちろんそれもあるよ。でもそれだけじゃない。君の虚無みたいな126年は虚無じゃなかったと誇っていいよ。まあ、まだ足りないけど」

「あとどれくらい歩けばいい?」



 即、聞き返す私に、アシーライラは「ふふっ」と楽しそうに笑った。

 嬉しそうに彼女は目を細める。



「さあ、どれくらいかな? 100年かな? 1000年かな? この間より根を詰めて歩かないと駄目だとは思うけど。君にはもう肉体がないから、途中で擦り切れて消えちゃうかもね」

「分かったわ」



 立ち上がり、歩き出す。

 考える余地もない。それが必要だというならやるだけだ。

 後ろからアシーライラの笑う声が聞こえてくる。



「いいね、君はそうでないと」

「本当に間に合うんでしょうね。前回は半年も経ってたけど」



 そこは確認しておかないと。普通の時なら神隠しになってもいいけど、今は一刻を争う。

 歩き出しながら問う私に、アシーライラは愉しそうに返した。



「間に合うかどうかは君次第だ。あの時はね、君が『ずいぶん長い間歩いた』と思ったから半年になっちゃったんだよ。君の主観が時間を動かしたんだ。だから間に合わせたいなら、今度は時間を苦にしちゃいけない。大変だね。楽しいね」

「分かった。教えてくれてありがとう」



 それさえ聞ければ充分だ。

 前回は、自分を失わないために思考を続けていたけど、きっとそれをすると少しずつ時間が経過してしまう。

 なら今回は、何も考えなければいい。

 考えずに歩く。歩き続ける。この死が流れる場所を。ぽたぽたと自分を零しながら。



「さよなら、なんでもない君。腹立たしいけど、ちょっとだけ楽しかったよ」



 アシーライラの笑い声が遠ざかる。

 私は歩き続ける。

 いえ、何も考えない。

 歩き続ける。歩く。歩く――

 それは、生きることと同じだ。




 顔を上げて、色の変わる空を見上げて。

 何の苦痛を覚えることなく、何の感情も抱かずに。






 私は私らしく、自分が望むままに生きることができた。

 好きなひとができた。大事な友達ができた。

 あのひとたちを守って、願いをかなえられる。

 充分過ぎるエンドだ。





 さあ、目を閉じて奈落の底へ。

 落ち続けよう。歩き続けよう。

 何も考えずに。くるくると綺麗な円環を描いて。いつか来る終わりまで。




「ああ、楽しかった、な……」






 ……………………

 ………………





                 ※











                 ※





 零れ落ちる。

 散らされきった淀みの中から、ほんの一匙。

 小さく残った澱がぽたりと垂れる。


 人の形をとって。

 二対の青い羽を背に。

 目を開ける。



「――やっと起きましたか」


 声をかけると、寝台の上の彼女は定まらない目でこちらを見た。

 青い双眸。そこに前と同じ意志はまだない。起きたばかりではっきりしていないのだろう。

 彼女は、僕に手を伸ばす。

 白く細い手を取って、僕はその掌に口付けた。


「あなたが落ちてくる場所を知るのに、魔女に全部を払ってしまいましたよ」


 おかげで、形骸に過ぎなかった身分も、それなりに持っていた資産も今はない。ただ自由があるだけだ。

 彼女は身じろぎする。声を出そうとしたのか口を開いて、でもその表情が苦痛に歪んだ。

 思わずぎょっとしたが、苦痛は一瞬のものだったらしい。

 彼女が掛布で前を押さえながらゆっくりと身を起こすと、その背中から青い羽がぱさりと落ちるのが見えた。


 妖精姫。死の国の澱が形となったもの。

 その雫としてこちらに戻ってきた彼女は、普通の妖精姫と違って元と同じ17歳の姿だ。成長している体に羽が合わなかったのだろう。寝台に落ちた羽は、たちまち溶けて消え去る。



 彼女はそれを見て、僕に視線を戻した。

 細い首を傾げて僕を見つめる。

 不思議そうな、美しい目。そこに意志が宿る。

 何を聞かれるより先に、僕は言った。



「あなたを放ってはおけないので」

「……馬鹿ね」



 くすり、と彼女は笑う。潤んで見えるその目を愛しく思う。

 何もかも不思議な、理性と熱情が人の形を取ったもの。

 すべらかな頬に触れると、彼女は目を細めた。



「名前を、聞いてもいいですか?」



 他人の人生を負って走り続けていた彼女は、目をまたたかせる。

 僕の手に自分の手を重ねた。



「さくら」



 彼女はそう名乗ると、折れない意志そのもののまなざしで僕を見上げた。



「あなたの妖精姫よ。――愛しているわ」




                 ※




「この作品、更新停止してもう3年も経っちゃったのか……」


 小説投稿サイトのブックマークを眺めて、少女はぼやく。

 バッドエンドのループを繰り返し、それでも次を目指したまま更新されなくなった物語。

 そこに願いを込めた作者はもういない。

 ただ覚えている人たちが時折、幸せに終わる結末を想像する。

 ループラインの終わりに至る物語を。



 その果てには、人知れず生まれ落ちて、人の中に消えた一人の妖精姫がいる。

 夫と二人幸福に生きる彼女の話は、物語には描かれない、遠い世界の話だ。






               【-End-】


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