第25話 誰が覚えていなくても変わらない



「わたしがここに隠れていることは、誰にも言わないで」


 そう頼まれた。美しい少女だった。

 だから私は彼女との約束を守った。それが絶対に正しいと思うくらい、私は子供だった。

 山の小さな洞窟に、私は度々パンと水を運んでいった。

 彼女は私に何も請わなかった。礼だけを言った。

 それでも彼女は日に日にやせ細っていって。

 ある日、洞窟を訪れた時、そこに残っていたものは……彼女の着ていたぼろぼろの服と、青く透き通る4枚の羽だけだった。




                 ※




「ノナがローズィア・ペードン? どういうことですか」

「説明が面倒なんだけど、あなたやティティと子供の頃遊んでた方がノナ。私は妖精契約の失敗から2年前に戻ってループしている方のローズィア。私の方は今まで何人も代替わりしてるわ。先代は私の友達で、15回ループしてた」


 端的に状況をまとめると、ユールはいつもの信じがたい、という目で私を見る。


「代替わりって……そもそもどうしてノナとローズィアの二人に分かれているんですか」

「それはノナが知ってるんじゃないかしら。何故ローズィアがループしてるのかも」


 全員の視線がノナに集中する。

 目隠しをした彼女は言葉を詰まらせたように見えた。

 でもすぐに、諦めたように目を覆う布に手をかける。



 布が外されたその下から出てきた顔は、ローズィアと同じものだ。

 ただ目だけが違う。彼女の光彩は硝子みたいに透き通る青だった。

 ティティが驚きに口を押える。その彼女を、ノナは微苦笑で見やった。



「驚かせてごめんなさいね。今の私は死人なの。妖精姫の羽によって、死人になっても存在しているように見せられるだけ」

「……隠してあったあの羽は、あなたのものですか」

「私のものではないけれど、隠したのは私ね。私はね、子供の頃に妖精姫を匿っていたの」


 ユールの問いに、ノナは乾いた声で吐き出す。

 それは予想の範囲内だ。羽の数が合わないと分かった時に疑った。

 つまり――妖精姫はもう一人いたんじゃないかと。


「彼女は当時の私よりずっと年上に見えた。どこかから逃げてきたみたいで、私は食べ物を運んでいたの。けどある日いなくなって……服と羽だけが残っていた」

「それって……」

「妖精姫に死体は残らないわ。当時の私はそれを知らなかったけど……羽は、すごく甘い香りがした」


 私は思わず顔を顰める。隣のユールもだ。

 ノナは微笑んでいるように見えたけど、微笑んではいないんだろう。顔は青ざめて声が震えている。


「私は残りの羽を隠して、服は処分した。子供でも『何かまずいことになった』とは分かったから。あとはあなたたちも知る通りかしら。私は17歳の時に貴族学校に入ってティティと再会し、妖精契約に立ち会った。妖精契約は失敗して、時間は巻き戻った」


 それで話は終わりだ、と言わんばかりにノナは両手を広げる。

 嘘は言っていないんだろう。でも全部も言っていない。私と同じだ。

 だから、問う。


「何年前に戻ったの?」


 ノナは顔を引き攣らせる。

 私がそれを聞いてくることは分かっているでしょうに。

 でも、あなたが言わないなら私が言うだけだ。


「本当は、ループで戻る地点は私が目覚める2年前じゃないんでしょう。もっと前に、あなたがちゃんとローズィアである頃まで戻ってる。違う?」

「……3年前よ」


 ああ、やっぱり。

 私は手元の紙を見る。

 そこに書かれている数字は、ループの回数としてはあまりにも多い。

 多いけど、これが本当の「ローズィア・ペードンが経験した回数」なんだ。


「え、え? 何……どういうこと? なんで二人になったの?」


 そう言うのは困惑を隠せないティティだ。

 無理もない。私でもそこは確信を持ててるほどじゃないんだ。「こうじゃないか」っていうのはあるけど、本当のところはノナしか分からない。


 ノナはティティの言葉に押し黙る。

 どう答えるべきか迷いあぐねているようなその顔は、ループ者特有のものだ。

 何を言って、何を言うべきではないか。

 そこにあるのは保身じゃない。ないから難しい。よく分かる。


 ノナはちらりと私を見る。

 その視線に、ユールがさりげなく私を庇うように半歩前に出た。

 彼の手が私の肩に置かれるのを見て、ノナはふっと笑う。


「妖精契約は必ず失敗する――これは事実だわ。ティティには二人分の妖精姫の役割がかかっている。それは、


 ああ、やっぱりそうか。

 ノナが子供の頃出会った妖精姫が死んだことで、ティティは2回分の淀みを負うことになったんだ。


「3年間を何度か繰り返した私は、ようやく気づいたわ。子供の私が、あの妖精姫のことを誰にも言わなかったから、見殺しにしてしまったから、ティティに重荷がかかっているんだと」


 本当なら一人目の妖精姫が妖精契約をしなかったことで伝染病が発生するはずだった。

 けど、そうならなかったのは、妖精姫の死が不慮の事故だったからか、ティティが近くで暮らしていたいたからか、それとも純魔結晶の鉱山の真上だったせいか――

 正確なところは不明だ。ただ事実として、ティティは知らぬまま本来以上の役目を負うことになった。


「やりなおせなるならやりなおしたかった。でも時間はそこまでは巻き戻らない。私は色々手を尽くして、過去の文献を漁って、ようやく未来と今の死者数が釣り合わなければならないことに気づいた……」

「今の僕たちと同じところまで来たわけですか」

「そうね。私は不器用だったし上手く人も頼れなかったから、もっとずっと時間がかかったけれど」


 ノナは自嘲気味にそんなことを言う。

 これについては私も全然上手くいってないんだけど、彼女には私に分からない苦労があったはずだ。


「人に殺された人間はね、死後にほんの少し淀みを残してしまうの。本来の魂からは1/10程度の淀み。でもそれも大量に重なればひどい淀みになるわ。だから淀みと同じだけの魂で押し流さないといけない。ただ未来に干渉できない以上、今のこの時代においては、同じだけの死者を用意するしか解決策はないわ。……でも、目の前で人が大量に死に始めれば、ティティは時間を巻き戻してしまう」


「だからあなたは、それを。ループができることを利用して。で、合ってる?」


 ティティが、ユールが、愕然とした顔になる。

 特にユールはこの紙に書かれていた回数を見ているから、その選択が正気じゃないって思うんだろう。私も正気じゃないとは思う。でもノナは、いや、ローズィア・ペードンはそれをやりきろうとしている。


 ノナは否定しない。

 ユールが乾いた息をのみこんだ。


「つまりあなたは、3年のうち2年を何人もの人間に代替わりさせることで、彼女たちの死を積み上げて妖精契約を超えようとしたんですか……?」


 ユールの手に力が込められる。

 ちょ、痛い痛い痛い。私の肩が砕ける。

 私が無言で悶絶するのに気づいて、ユールはあわてて手を放す。


「すみません」

「い、いや、大丈夫……あと、多分それ、違う……」

「違う?」

「だって私たちはループを選べるから。自分が選ばない限り死なないの」


 降りることを選んだ真砂も、元の世界に帰ってきて次の私を送り出したんだ。

 ローズィアを引き継いだ人間たちは確かに終わりと共に死ぬんだろうけど、その魂はこの世界から解放される。

 解放されないのは、ノナの方だ。


「ループをする方のローズィアは、厳密には死なない。でもノナであるあなたは現に死人になってる。……あなたは3年のうち2年を別の人間に任せてループを発生させながら、自分は死を重ねている。どうやってそんなことが可能になったかは分からないけど……?」


 ローズィアのままだと、彼女は死ねない。

 だから別の人間にローズィアを任せる。

 私が目覚める最初の朝の前日が、彼女の死ぬ日だ。

 私や真砂が2年間を繰り返す間、彼女は戻って死ぬまでの1年間を重ねていた。それも、気が遠くなるくらいの回数をずっと。

 誰にも顧みられない繰り返しだ。誰にも理解されない。

 ループ者である私たちでさえ、受け取れてほんの欠片だろう。


 ノナは私を見つめる。その唇が薄く微笑む。


「あなたみたいな娘が来たのは誤算だわ。……最初はね、生きる居場所がない娘を選んでいたの。元の暮らしを捨てて死にたがってた娘を選んだ。ローズィア・ペードンになれば、2年間だけだけど不自由ない暮らしを送れる。何回繰り返したっていい。私はその分、己の死の回数を稼げる。それならお互いの利害が一致しているでしょう?」

「一致していると言えばそうかもね。継承制にしたのはどうして?」

「特別な理由はないわ。疲れてしまったからよ。あなたたちはあなたたちで完結して時間を回して欲しかった。一人一人に肩入れしたくなかった。好きに生きて、好きに終わって欲しかった」

「でも、それをしてたら真砂が現れた」


 ノナの顔から笑顔が消える。

 山下真砂。――生きる場所がないから、ローズィアを引き受けた私の友達。

 彼女は、この世界に生きるうちにティティたちに肩入れしていった。肩入れして、なんとか悲劇を回避したいと奔走した。ノナがそうであるように。


 ノナは、沈痛さを押し隠した目を閉じる。


「……周回を繰り返しているうちに、私にできることは増えたわ。だから彼女にはその一部をあげただけ。すごく辛そうにしていたから、慰めになればいいと思っただけよ」

「真砂は助けたのに、私のやることは賛成してくれないの?」

「近道が正解とは限らないの。あなたも前回それを知ったでしょう?」

「耳が痛いわね」


 私も真砂も失敗し続けている。或いは他のローズィアたちも。

 ノナはだからもう、自分以外に希望をかけない。私のような不確定要素を生む人間はなおさらだ。彼女からしてみると、私の考えるようなことはとっくに考えたようなことなんだろう。

 でも――


「まだ通っていない近道があるなら通るわ。この1回を私にちょうだい」

「あなただけは見過ごせない。あなたは魔女と近づきすぎたわ。――私のように」


 あ、やっぱりノナを今のノナにしたのって魔女の介入ありでなのか。

 じゃあ私もそうなれる素養がある……ってコト?



 ノナは溜息をつくと近くのテーブルにあった小さな鐘を鳴らす。

 それは、王城の別の場所に連動しているんだろう。たちまち外からドアが叩かれた。


「聖女様! ご無事ですか!」


 兵士たちの声を聞きながら、ノナは再び目隠しを取り出す。


「デーエンのいる場所は転送禁止にしておくわ。諦めて残り1年を過ごしなさい」


 疲れ果てて聞こえるそれは、ノナの勝利宣言だ。

 私たちが妖精契約を強行したくても、もう相手がいない。

 これで詰みだ。


 私は息を吐き出し天井を見上げる。


「……分かった。じゃあ最後にティティと話させて」


 ノナを見つめていたティティは、弾かれたように私を見る。

 不安そうな、悲しそうな目。

 その彼女に、私は左手を差しだす。


「そんな顔しないで。何一つあなたのせいじゃないの」

「で、でも、あなたたちは……」

「私たちは、自ら選んで挑んでいる。誰かが覚えていなくてもそれは変わらない。大好きよ、ティティ」


 ティティが、私の手を見て気づいたらしく目を瞠る。

 彼女は私の手を取ろうと踏み出した。

 ユールの手が、私の背中を支える。私はポケットに右手を入れる。

 そこから取り出した指輪を、ティティが伸ばしてくる指へ――


 目隠しを結び終えようとしていたノナが、それに気づいた。


「何を」

「魔力徴発――」


 宣言する。

 ユールの魔力を吸い上げる。

 私とティティは、同じ指輪を嵌めて手を取り合う。

 お互いの目が、お互いの瞳を映し出す。


 契約相手の条件は、魔力があること。

 王族がそれを担っていたのは、単に彼らが確実に魔力を持っているからというだけだ。

 だったら別に、私だっていいだろう。


 ティティリアシャが、可憐な唇を開く。


「契約を、行う。遠きものをここへ、近きものを彼方へ」

「っ、ティティリアシャ!」


 ノナが叫んで手を伸ばす。

 ティティが、涙に潤んだ目で私を見つめる。



「これより二つの世界を繋ぐ。あなたが、どうか私の永遠の伴侶たらんことを」

「約束するわ、ティティ。絶対幸せな結末にしてあげる」



 握った手から光が、満ちる。


 次の瞬間私たちの目の前に、細い……赤黒い柱が現出した。


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